「人生で一番若いのは、今」北原照久さん【インタビュー後編】~日々摘花 第26回~

コラム
「人生で一番若いのは、今」北原照久さん【インタビュー後編】~日々摘花 第26回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

本編は、第26回のゲスト、北原照久さんの後編です。
前編では、2008年に他界したお母様との思い出と別れについてお話しいただきました。後編では、「五十の手習い」で始めた数々の趣味や、生涯をかけて集めてきたコレクションへの思いについてうかがいます。

74歳の僕なんて、「鼻たれ小僧」もいいところ

−−お母様が他界されて13年。今はその存在をどのようにお感じになっていますか?

北原さん: 時間が経つにつれ心の痛みは薄れ、母の笑顔ばかりが思い出されます。神様は人間に「忘れる」という特典を与えてくださったのだと実感しています。

僕は1月の誕生日にバースデーライブを開いているのですが、毎年、母への感謝を込めて演奏する曲があります。それは「朝日のあたる家」。アメリカ民謡で、いろいろなアーティストが歌っていますが、「優しい顔のおふくろが俺を育ててくれた家なのさ」という歌詞に母の面影を感じ、なつかしさで胸がいっぱいになります。最近では歌手のマリーンさんが歌ってくれて、僕がピアノを演奏しました。

−−ピアノをお弾きになるんですね。

北原さん:50歳でギターを始め、ピアノを弾くようになったのは65歳からです。きっかけは、ホストを務めていたテレビ番組。ゲストに招いたアーティストの方々の演奏を見て、「楽しそうだな」と感じたんです。楽器以外にもサーフィンやゴルフ、ダイビング、マジックなどいろんなことをやっています。全部、50歳を過ぎて始めたんですよ。37歳で独立してからの10年間は、博物館を成功させるためにスキー、海に行くこと、映画など大好きだったことをすべて封印して仕事に没頭しましたから。

ただ、働き詰めだった10年間もまったく苦痛ではなかったです。もちろん、大変なこと、うまくいかなかったこともたくさんありました。でも、自分のコレクションをたくさんの人たちに見てもらいたいという夢をひたすら追い続けていましたから、幸せでした。ありがたいことに、どんなに忙しくても病気ひとつしませんでしたしね。

それに、僕は熱しやすく、冷めにくい性分なんです。コレクションもそうですけど、ギターは毎日5分練習すると決めているし、腹筋もローラーを使って毎日30回。ギターも腹筋も50歳の時に始めましたから、もう25年続けています。

−−すごいです!

北原さん:おかげでギターはCDを出すまでに上達しましたし、腹筋もなかなかなものです(笑)。継続は力なり、という格言は本当ですね。

この先もやりたいことが山ほどあります。宇宙に行きたいし、僕のコレクションのすべてを展示する「メガ・ミュージアム」も作りたい。僕の人生で一番若いのは今ですから、何かをやるのに年齢はまったく関係ありません。

平櫛田中(ひらくしでんちゅう)という明治生まれの彫刻家がいましてね。100歳を超えても創作活動を続け、当時の男性で最高齢の107歳で天寿を全うした人物なのですが、彼の言葉がしびれるんです。「六十、七十は鼻たれ小僧、男ざかりは百から、百から」って言ったんです。僕なんて、「鼻たれ小僧」もいいところ。まだまだですよ。

1200坪の倉庫に眠るモノたちは一切売らない

−−「メガ・ミュージアム」、ぜひ見てみたいです。コレクションは現在、どのくらい所有されているのですか?

北原さん: 博物館や自宅に展示しているもののほかに、1200坪ほどの倉庫に大量のコレクションが眠っていて、とても数え切れません。以前、博物学研究家の荒俣宏さんが「僕が整理してあげるよ」と言ってくれたのですが、1ブロックほどで力尽きて、帰ってしまいました。僕はコレクションを一切売らないから、増えていくばかりなんです。
−−なぜ売らないんですか?

北原さん:僕にとってモノとの出合いは、人との出会いと同じだからです。僕のコレクションは、自分が好きかどうかだけを基準に一つひとつ一期一会で集めたものばかり。僕のときめきを集めたようなものですから、手放すことなんて考えられません。

正直なところ、経営が苦しい時などは売りたくなることもありました。でも、モノは大事にしていると、恩返しをしてくれるんですよ。例えば、写真集。僕のコレクションはアメリカやドイツで写真集として出版されていますが、海外には本をプレゼントする文化があるから、よく売れるんです。日本で初版3000部の写真集が、アメリカでは初版6万部。びっくりですよ(笑)。それに、うちのコレクションはイベントに貸し出したり、CM撮影に使われることも多いですから、リース料もコンスタントに入ってきます。

お金だけではありません。コレクションによってたくさんの人たちとの出会いがあり、僕自身の世界を広げてくれました。出会った人たちの中にはポール・マッカートニーや「トイ・ストーリー」のジョン・ラセター監督、ミック・ジャガー、デミ・ムーアなど世界的に有名な人たちもいますが、コレクションを介すと、初対面でもすぐ打ち解けられるから不思議です。

棺にひとつだけコレクションを入れるとしたら?

−−確かに、手放すわけにはいかないですね。では、いつか最期を迎えた時に、ひとつだけ棺に入れられるとしたら、何をお選びになりますか?

北原さん:間違っても入れないでほしいです。と言うのも、人は残念ながら寿命がありますが、モノは大切にすると寿命がないんですよ。僕のところにも100年を超えたものがいっぱいあります。

僕のコレクションはブリキのおもちゃの印象が強いかもしれませんが、レコード、雑誌、広告ポスター、昔のお菓子の景品、家庭常備薬の袋、石鹸が入っていた缶など幅広く、そのほとんどが今ではどこを探しても見つかりません。20世紀の庶民の文化が詰まった宝物です。この宝物を次世代に伝えるのが、寿命のある僕の役目。いわば僕は「一時預かり所」ですから、棺に入れていいものはひとつたりともありません。

僕の人生はどんどん楽しくなっていますし、ヌンチャクも振れるくらい鍛えているから、110歳くらいまでは生きる気がします。ただ、コレクションのようにこの先100年も、200年も生きることはできません。だから、今はこの宝物たちを僕と一緒に次世代に受け継いでいってくれる仲間を探しはじめたところです。「メガ・ミュージアム」を建ててくれる誰かが現れたら、全コレクションを喜んで寄贈するつもりですよ。

−−素敵なお話をありがとうございました。最後に読者に向けて言葉のプレゼントをお願いします。

北原さん:「夢一路」という言葉を贈ります。人生は思うようにならないことの方が多いかもしれないですよね。それでも僕は夢に向かってまっすぐに歩むのが好きです。だって、その方が楽しいじゃないですか。

僕はさまざまな出会いに恵まれ、幸せな人生を送ってきたと感謝していますが、見方を変えれば、逆風ばかりの人生だったとも言えます。古いものを集め始めたころは「なんでそんなものを」と誰にも理解されず、コレクションを仕事にすると決めた時はなおさらでした。17歳の時に加山雄三さんと吉永小百合さんに「会いたい」と言った時も「いくら何でも、無理でしょう」と誰にも相手にされませんでした。

でも、今、僕はコレクションを生業にしていますし、加山雄三さんには52歳の時にお会いし、同じステージでギターを弾くことまでできました。吉永さんにお会いするのは少し時間がかかったけれど、60歳で実現しました。だからこそ、「夢はあきらめなければ、絶対に実現できる」と僕は断言します。大きなことでも、小さなことでもいい。夢を持ち続けることを大切にしていただきたいです。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
温かいごはんに、のりと梅干しがあればうれしいです。品種やお米の炊き方のこだわりですか? ありません。いつも通り、「いただきます」「ごちそうさま」と感謝して食事をいただきたいです。最後の最後まで、感謝だけは絶対に忘れたくないですね。感謝と幸せの数は比例しますから。いいこと言うな、僕(笑)。

梅干しの保存法

梅干しは「保存食だから、常温保存でも大丈夫」と思われがち。塩分濃度が20パーセント以上なら常温保存で問題ないが、最近は減塩志向が定着し、市販の梅干しの主流は塩分濃度8〜10パーセント。開封後は冷蔵保存が基本だ。また、梅干しは冷凍保存もできる。1個ずつラップで包んでジッパー付き保存袋に入れて冷凍する。冷凍の保存期間は約3カ月が目安。

プロフィール

おもちゃコレクター/北原照久さん

【誕生日】1948年1月30日
【経歴】ブリキのおもちゃコレクターの世界的第一人者。1986年4月に横浜・山手に「ブリキのおもちゃ博物館」を開き、以後全国各地でも開館。テレビ東京系列『開運!なんでも鑑定団』には1994年の初回から出演。ラジオ、CM、講演会などでも活躍中。著書多数。
【ペット】ゴールデン・ドゥードルのロビーくん(♂・12歳)
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)