夫の愛した津軽三味線の音が心に響いた、お別れの式。
思い残すことなく見送れて、みんなに感謝しています。

愛知県在住
K.O様(奥様)

早世した長女の親代わりとして、
夫と一緒に孫を育てた

「ああ、この子たちは“じいちゃん”をこんなに慕っていたんだな…」

夫との別れの時、柩を囲む孫たちが泣き崩れる姿を見て、あらためてそう感じました。とりわけ、長年一つ屋根の下で暮らした孫娘は、葬儀の最初から最後まで泣き通し。倒れるのではと心配になるほど涙を流し、孫娘の旦那さんが寄り添って支えていました。

私たち夫婦の長女は29年前、当時6歳の息子と5歳の娘を残して交通事故で亡くなりました。その後私たちはその兄妹を親代わりとなって育てたのです。みんなから「大変ね」とよく言われましたが、そうは思いませんでした。「この子たちを世の中に出すまでは、絶対私は死ねん」と力が湧き、孫たちの成長が日々の喜びだったのです。

家族を支え、孫を大切にまもってくれたおじいちゃん

家族を支え、孫たちを大切に
まもってくれた“じいちゃん”

それに、夫がよく面倒を見てくれましたからね。孫たちが小・中学生のころ、私は保険会社の社員として働き、平日はほとんど家にいませんでした。一方、夫は親の代からの井戸掘り職人で、雨が降れば、仕事はお休み。帰宅も私より早く、孫たちと過ごす時間を大切にしていました。

兄妹の孫のうち兄の方は、幼いころから患っていた喘息とアトピー性皮膚炎が、中学生になって悪化。学校にほとんど行けない状態になり、私が会社を辞めて彼のそばにいようと考えたのですが、夫は「会社員は安定しているから、あんたは続けた方がいい。俺が辞める」と。それからは孫の世話も家事も、うちのことはほとんど夫がやってくれました。孫たちにとって夫は、“じいちゃん”以上の存在だったはずです。

心置きなく仕事に打ち込めたのは、
夫のおかげ

夫は職人気質で、もの静か。こうと決めたら譲らない、頑固な一面もありました。隣近所に勧められて結婚しましたが、「あんた、あんな大人しい人とよう一緒になるね」と周りから言われたものです。確かに、もう少し社交的でも良かったかもしれません(笑)。でも、よく働き、何の心配もかけない人でしたから、「いいじゃない。あの人がしゃべらないぶん、私が何倍もしゃべるんだから」と気になりませんでした。

仕事についても、同じ考え方でした。夫は会社員ではなく、収入の保証がなかったので、先々のことを考えて私が会社員になろうと考え、次女を出産した後、営業職として保険会社に就職したんです。生活のために選んだ仕事でしたが、始めてみたら、まさに「天職」。営業の仕事は実力主義で肌に合い、一生懸命やっていたら、営業所の所長を任されるまでになりました。

定年までの35年間、私も頑張りましたが、心置きなく仕事に打ち込めたのは、夫が家を守ってくれたおかげ。感謝の気持ちを込めて、退職金で津軽三味線を夫に贈りました。夫は釣りやグランドゴルフ、カラオケなどたくさんの趣味を楽しみ、中でも愛していたのが、三味線。何事も真面目に取り組む人でしたから上達し、師範の免状を持つ腕前でした。

たくさんの趣味を楽しみ、極めた証の賞状や免状

たくさんの趣味を楽しみ、
極めた証の賞状や免状

晩年、介護施設に入ってからも、三味線はいつもそばに置き、「大きな音を出さずに弾くから」と個室で爪弾いていました。ところが、次第に体調が悪化してそれもできなくなり、昨年末に脳梗塞で入院。寝たきりになり、桜の季節が過ぎたころ、息を引き取りました。

今年10月に結婚60周年を迎える予定でしたし、夫の米寿のお祝いもしてあげたかったのに、残念でなりません。でもね、ずっと眠った状態だった夫が、次女と一緒に最後にお見舞いに行った時だけは、目をぱっちりと開けてくれたんですよ。「“じいちゃん”があいさつをしとるよ」と次女と話し、「あんた、よう頑張ったね」と夫に声をかけました。亡くなったのは、その明くる日。苦しんだ様子はなく、いい顔をしていたのがせめてもの救いでした。

「夫らしい葬儀に」という
私の気持ちを、
次女は大事にしてくれた

葬儀会社は以前から決めていました。数年前に「家族葬のファミーユ」のホールで行われた友人の葬儀に参列し、家族や近しい人たちを中心に、穏やかにお別れできたことが心に残っていたからです。故人の思い出の品や写真が飾られた、会場の温かな雰囲気も印象的で、夫や自分の葬儀は、こんな風に皆さんに偲んでいただける場にしたいと思っていました。

穏やかで温かい空間の中、たくさんのお花に囲まれてお見送り

穏やかで温かい空間の中、
たくさんのお花に囲まれてお見送り

葬儀の打ち合わせでは、葬祭ディレクターの丸山さんが丁寧に話を聞いてくださり、安心感がありました。「大好きだった津軽三味線の演奏で、あの人を送り出してあげたい」と私の思いを伝えた時もそうでした。前例はなかったようですが、その場ですぐに手配をし、「大丈夫ですよ」と言ってくれました。

夫らしい葬儀にしたい、と思いつくままに丸山さんにアイデアを話す私の姿を見て、次女は「また、お母さんが調子に乗って」と少しあきれ顔でした。でも、私のやりたいようにさせてあげよう、と思ってくれたのでしょう。津軽三味線の献奏についても、「 “じいちゃん”の一番好きなことだから、いいじゃない」と賛成してくれました。


感謝の気持ちをこめた写真付きのメッセージボードや、スライドショーを展示

感謝の気持ちをこめた
写真付きのメッセージボードや、
スライドショーを展示

次女はね、本当に頼りになるんですよ。葬儀の打ち合わせでも、隣でちゃんとメモを取ってくれていました。おかげで、内容を忘れずに済みました。私は口が達者なだけで、抜けているところだらけですからね(笑)。

長女が早くに亡くなり、自分ひとりが残ったせいか、次女は「自分がしっかりとして、親のことも支えないと」という気持ちが強いようです。私が保険会社を定年退職した後は、同じ仕事を引き継いで頑張ってくれました。次女には息子が4人もいるのですが、全員を成人まで育てて大変だったと思いますよ。でも、その素振りを見せません。今回も父親を亡くしてつらかったはずですが、「泣いてばかりおられん」と気丈に振る舞い、喪主は彼女が務めてくれました。

津軽三味線の音色にありし日の
夫を想い、涙があふれた

お通夜には次女の会社の皆さんにもお越しいただきましたが、葬儀は親族のみで執り行いました。約30年も前の長女の時は大きな葬儀で、お顔を知らない方までご参列いただき、感謝しつつも、バタバタとしてしまったので、夫は近親者だけでゆっくりと見送りたいと思ったんです。ただ、夫が息を引き取ってから葬儀まで4日間あり、長年のお付き合いがあった友人の方々には、その間にお別れに来ていただくことができました。

葬儀会場は写真でいっぱいのパネルや、三味線、釣り竿など趣味の道具で飾られ、ご会葬の皆さんもじっくりご覧になっていました。夫の趣味について私は何も知りませんでしたが、「これはいい釣り竿ですね」「すごい三味線ですね」と言ってくださる方もいて、「見る目があったのね」と夫のことを見直しました(笑)。

夫愛用の津軽三味線や釣り竿を会場に。次女の会社関係の方もじっとご覧になっていました。夫愛用の津軽三味線や釣り竿を会場に。次女の会社関係の方もじっとご覧になっていました。

夫愛用の津軽三味線や釣り竿を会場に。次女の会社関係の方もじっとご覧になっていました。



津軽三味線の献奏はCDも出している有名な方にお願いしました。曲目はお任せしましたが、心に残る素晴らしい演奏でした

津軽三味線の献奏はCDも出している有名な方にお願いしました。
曲目はお任せしましたが、心に残る素晴らしい演奏でした

葬儀の日。一番心に残っているのは、あの津軽三味線の音色です。演奏は式の前だけの予定でしたが、式の最後、夫の生涯について司会の方による紹介があった後にも献奏してくださいました。静寂の中、三味線の音が心に響き、夫がバチを持つ姿を想って涙があふれました。

棺には、夫が津軽三味線の舞台に立った時の衣装も入れたんですよ。三味線も一緒に、と考えたのですが、次女が「私がいつか弾きたいから」と言うので、彼女に受け継いでもらうことにしました。その方が夫も喜んでくれるかな、と思って。

お葬式は新しい人生の旅立ち。
悲しいことじゃない

夫の柩が閉じられた時、心は悲しみとともに、感謝の気持ちでいっぱいでした。夫婦ですからね。60年連れ添い、その間には喧嘩もしました。「私は仕事で走り回っているのに、あんたはうちにおって」なんて思ったこともあります。でも、あの人と結婚したから、私はやりたいことができた。定年後、私がクリーニング店を始めて、地域の人たちが集える場をと店内にカフェスペースまで作った時も、夫は「お前がやることなら、ええよ。どうせ、やるやろ」と言ってくれました。

結婚以来ずっと、私も仕事や子育てでキリキリ舞いだったでしょう。だから、夫のことは半ば放ったらかし。でも、お通夜でふた晩、柩に入った夫の横で寝たんですよ。何年ぶりだったでしょうか。本当に久しぶりに、ふたりっきりで。だから、私、思い残すことなくあの人を見送れました。葬儀も、私の思い描いた通りにできましたしね。夫にも、家族にも、「家族葬のファミーユ」の方々にも、みんなに感謝をしています。

忌明けまでは何かとやることがあり、目の前のことに集中できましたが、落ち着いた今はふと、夫を思い出してしんみりすることもあります。でも、まだ迎えに来てもらっては困ります(笑)。長女の50回忌の法要は私が務めると決めていますから。

それに、朝、夕はクリーニング店の店番もあるし、ね。ありがたいことに、近所の方々がやってきては、おしゃべりをして行ってくれます。長女の息子も一緒に住んでくれているし、可愛い犬もいつもそばにいてくれて、私は幸せだなと思います。犬は10歳の雌のチワワで、名前はライザー。知らない人には吠えるんだけど、「家族葬のファミーユ」の方たちのお顔は覚えていて、おとなしくしているんですよ。

奥様と担当ディレクター

お仏壇の前で、
奥様と担当ディレクター

夫を見送り、あらためて「お葬式は新しい人生の旅立ち。悲しいことじゃない」と感じました。私は8歳で父を、52歳で長女を亡くし、人の死について考えさせられてきたからこそ、命を大事に、今を生きることを信条としてきました。

この世はこの世。明日のことばかり考えてちゃいかん。今日を一生懸命生きれば、絶対明日はいいことがあると思っています。

【式場】ファミーユ青山斎園前
【時期】2021年4月
【故人】夫(87歳)
【喪主】次女様
【会葬者数】31名
【葬祭ディレクター】丸山直樹、松永和江
【葬儀プラン】オリジナルプラン

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