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もっと親孝行したかったのに。
後悔の涙を温かな記憶に変えた、二度の葬儀

宮崎県在住
S.K様(ご長女様)

大きなトラックを操る、憧れの両親。私も同じ道を歩んで

父と母はかつて運送会社に勤め、大型トラックのドライバーの仕事をしていました。幼いころの私にとって、大きなトラックを豪快に操る両親の姿は、格好よく、誇らしいものでした。そんな二人に憧れ、私自身も今、トラックドライバーとして働いています。

両親が朝早くから夜遅くまで働いていたため、子どものころは兄2人と一緒に祖母の家でごはんを食べさせてもらう日がほとんどでした。さみしさがなかったと言えば嘘になりますが、私たちのために必死に働く両親への感謝の気持ちが、幼心にいつもありました。

私は両親のもとを離れた時期もありましたが、離婚をし、実家に戻ってからはずっと一緒に暮らしました。幼かった息子と娘も今では成人し、兄の息子には子どもも生まれて、両親はひ孫の顔を見ることもできました。にぎやかで温かい家族の時間を両親とともに重ねた日々は、私の人生の大きな宝物です。

家族に尽くした母に突然告げられた病。
母との別れなんて想像もしたくなかったけれど…

15歳の愛犬・ナツコ。私の仕事中は母が世話をしてくれていました。

15歳の愛犬・ナツコ。私の仕事中は母が世話をしてくれていました。

母は我慢強く、自分を犠牲にしてでも人のために尽くす人でした。私の息子の野球の練習や試合も、毎日のように応援に行ってくれました。近くに住むひ孫ともよく会って可愛がっていましたし、15歳になる愛犬・ナツコを毎日散歩させてくれていたのも母。花が大好きで、庭には母が育てた蘭の花が毎年綺麗に咲きました。

父は家族の前では無口でしたが、明るく優しい人。父の一言ですべてが決まるような大黒柱としての力強さもありました。家族が不自由なく暮らせるようにと70歳まで現役で大型トラックの運転手を続けてくれましたが、晩年は体調を崩し、療養生活を送っていました。

父を甲斐甲斐しく看護をしていた母に病気が見つかったのは、昨年春のことでした。医師から「癌の末期です」と知らされ、言葉を失いましたが、当時は母もまだ元気で実感がなかったというのが正直なところです。ただただ信じられないという思いでいっぱいでした。

万が一のために葬儀について考えはじめたのは、母が亡くなる2カ月ほど前だったと思います。母の病状が進んで入院を余儀なくされ、「余命3カ月」の宣告を受けたことがきっかけでした。

母の葬儀のことなんて、考えたくもないに決まっています。でも、考えなければと思いました。母から、「私が亡くなった時には、家族だけでいいからね」と葬儀についての言葉を託されていたからです。

「家族だけで」と聞いて、真っ先に思い浮かんだのが、親友の親御さんが亡くなった時に参列した「家族葬のファミーユ」の葬儀でした。式場が広過ぎず、落ち着いた空間が印象に残っていたんです。折込チラシを手に連絡を取り、相談に伺うと、対応がとても丁寧で、張り詰めていた心がほぐれていくようでした。

「家族だけでいいからね」の言葉の奥へ。
母の紡いだご縁を大切に200名で見送った二部制の葬儀

母が息を引き取ったのは、秋から冬へと季節が変わるころ。母に病気が見つかってから亡くなるまでの時間は、わずか半年でした。

母を亡くした直後はやらなければいけないことが次々とありました。初めてのことで何もわからず、「とにかくしっかりしなければ」と必死で立っているような感じでした。そんな私を支えてくれたのは、ファミーユの葬儀担当・Mさんでした。病院へ迎えに来てくださったMさんは私に代わって病院での手続きを手順よく進め、事前に希望していた式場まで母と私たちを運んでくれました。

母の葬儀は二部制で行い、お通夜、告別式で200名を超える方々が参列してくれました。二部制にしたのは、母が望んだ通り家族だけで静かに過ごす時間を大切にしつつ、お世話になった方々に最後のお別れをしていただきたいと思ったからです。

野球が大好きだった母。孫の野球の試合を何よりも楽しみにしていました。

野球が大好きだった母。孫の野球の試合を何よりも楽しみにしていました。

地域の方々といつもにこやかに挨拶を交わし、孫の野球関係の方々にも親しまれていた我が母の姿を思うと、「家族だけでいいからね」という言葉を額面通りに受け取るわけにはいきませんでした。

実は、当初私は多くても100名の会葬者を想定した小規模な葬儀プランを考えていたんです。でも、Mさんから「生前のお母様のお姿と地域柄を考えると、こちらの方が安心ですよ」とご提案をいただき、少し規模の大きいプランを選びました。

母の葬儀でお供えいただいたお花の数々

母の葬儀でお供えいただいたお花の数々。

結果的にこの選択は大正解でした。変更後のプランは祭壇が華やかで、優しい色の花々に彩られた母らしいものでしたし、何よりも母が紡いできたご縁を最後まで大切にできたことを良かったなと思っています。

母の後を追うように旅立った父。
やるせない心に寄り添ってくれた葬儀担当者の完璧なサポート

母の葬儀の喪主は父が務めました。父は母が入院したタイミングで施設に入居しており、車椅子での参列でした。認知症の症状もあり、母が亡くなったことをわかっているのか定かではありませんでしたが、棺の蓋が閉められる瞬間までの最後の時間、母の顔を悲しそうに見つめていました。

その日から4カ月後、父は母の後を追うように亡くなりました。母の葬儀後、ファミーユの皆さんにお礼のご挨拶をした時に、「父の時もお願いしますね」と冗談半分でお話ししましたが、まさかその日がこんなに早く来るなんて、とやるせない思いでした。

父が息を引き取った施設に迎えに来てくださったMさんの姿を見た時、どんなにホッとしたか言葉では言い表せません。葬儀の打ち合わせでも、Mさんは式場の調整、日程や葬儀プランの決定など何から何まで私たち家族の気持ちに寄り添った完璧なサポートをしてくれました。

私は何でも即断するタイプなのですが、Mさんは私の話を受け止めた上で、プロとしての意見をはっきりと言ってくれました。理由もしっかり説明してくれるので納得しやすく、とてもありがたかったです。とくに葬儀の規模についてのご提案にはまたしても助けられました。父は高齢でしたから、ご会葬者が少ないのではと考えていたところ、Mさんに「お母様の葬儀と同様たくさんの方がお見えになると思います」とご説明があり、プランを変更しました。蓋を開けてみると多くの方にお越しいただき、さすがプロと唸りました。

泣きたくても泣けなかった私の心を揺さぶった1枚の写真パネル

母の葬儀の祭壇と棺は私が選ばせてもらいましたが、父の葬儀では娘に任せました。“おじいちゃん子”の娘の方が父らしいものを選んでくれるだろうと考えたからです。

父の葬儀での式場の様子。この綺麗な空間を思い返すたびに心が洗われます。

父の葬儀での式場の様子。この綺麗な空間を思い返すたびに心が洗われます。

 

葬儀当日。式場に足を踏み入れた瞬間、空間の美しさに目を見張りました。蝶が舞うような姿の白い胡蝶蘭に囲まれた父の遺影を中心に、たくさんの花が飾られた祭壇と刺繍の施された布張りの棺──。その佇まいが綺麗で、綺麗で。うれしいような、誇らしいような思いで胸がいっぱいになりました。

父の写真パネル。電話で少し話した父との思い出がこんな素敵な文章になるなんて、本当に驚きました。

父の写真パネル。電話で少し話した父との思い出がこんな素敵な文章になるなんて、本当に驚きました。

 

エントランスに飾っていただいた写真パネルの数々も素晴らしかったです。とりわけ感動したのは、父が乗っていた大型トラックの写真を大きく配置し、文章が綴られた一枚です。その文章は、私が何気なく話した父との思い出をファミーユのスタッフがサプライズでまとめてくださったものでした。

忙しく働き、一週間家を留守にすることも珍しくなかった父が幼い私の願いを聞いて、小学校の運動会に駆けつけてくれたエピソードで始まるその文章は、私の父への思いそのまま。涙が滲み出ました。



振り返れば、母の葬儀では「娘として役目を果たさなければ」という思いが先に立ち、ひとりで気を張って動き回っていました。泣く間もありませんでしたし、泣いたら全てが崩れるような気がして泣けなかったんです。でも、父の葬儀では悲しみにまっすぐ向き合えた気がします。これは、母の葬儀を通してMさんをはじめファミーユのスタッフの方々と信頼関係が築けていたことが大きかったのかもしれないですね。「皆さんがそばにいてくれる」という家族のような安心感が、張り詰めていた心を解きほぐしてくれました。

「もっとおってほしかった」。
後悔を包み込んだ、両親の葬儀への親戚の言葉

母の葬儀の記憶も新しいまま父を見送って3カ月。今、我が家の仏間にはファミーユの皆さん特製の写真パネルが所狭しと飾られています。たくさんの写真の中で父と母が笑っていて、家族みんながいて──。私、この空間が大好きなんですよ。ここで寝るのが好きなんです。

毎朝出かける前には、父と母の写真に「いってきます」と声をかけています。家に帰ってきたら「ただいま」とお線香をあげ、仕事終わりの一杯を飲みながら「今日はこんなことがあったよ」と報告。いつも両親の顔を見て話をしているから、亡くなった気がしません。

ただ、本音を言えば、もっと一緒にいてほしかったです。毎日、仕事でトラックのハンドルを握っていると、両親の苦労が偲ばれ、ふたりがどれだけの愛情を持って私たちを育ててくれたのかを身に沁みて感じます。特に母は家族に尽くすだけ尽くして突然の病気であっという間に逝ってしまい、葬儀での母との最後の別れ、私が心の中で母にかけた言葉は「お母さん、ごめんね」でした。

「お母さん、もっとおってほしかった。お父さんの看病が落ち着いたら、一緒に買い物をしたり、旅行に出かけたり、いろいろなところに連れて行ってあげようと思っていたのに」って。

だから、両親の葬儀について「本当に立派な式だったね」「すごかった」と親戚から言ってもらえたのは、すごくうれしかったです。表現が難しいのですが、まるで結婚式で娘を送り出す時のような、さみしさと安堵が混じり合った気持ちでした。

もともとは、葬儀って暗くて寂しいイメージだったんです。でも、両親を見送った今、ふたりの笑顔とともに葬儀を温かなものとして思い返しています。


母が庭で大切に育てた蘭の花。「水やりが大変なんですけど」とボヤきながら、今は私が育てています。

母が庭で大切に育てた蘭の花。「水やりが大変なんですけど」とボヤきながら、今は私が育てています。

 
インタビュー取材の後、ディレクターと一緒に撮影。

インタビュー取材の後、ディレクターと一緒に撮影。

 

【式場】ファミーユ清武加納(宮崎県宮崎市)
【時期】2025年11月
【故人】母(69歳)
【喪主】父
【会葬者数】230名
【葬儀プラン】オリジナルプラン

【式場】ファミーユ清武加納(宮崎県宮崎市)
【時期】2026年3月
【故人】父(76歳)
【喪主】長男様
【会葬者数】200名
【葬儀プラン】オリジナルプラン