ミイラはなぜ作られた?古代エジプト人の死者への想い

お葬式のマナー・基礎知識
ミイラはなぜ作られた?古代エジプト人の死者への想い
ミイラとは、生前に近い形で残された遺体のことです。包帯巻きの姿を思い浮かべる人も多いかもしれません。ミイラからは、古代人の死との向き合い方、世界の埋葬法、死者が大切に葬られてきた歴史などを学ぶことができます。本記事では、ミイラの語原、作られた理由、そして、古代エジプトにおける死生観などを紹介します。

ミイラの基礎知識

まずは、ミイラの概要や語源などを解説します。また、数多く発見されている古代エジプトのミイラについても紹介します。

ミイラとは腐敗のとまった遺体

人は亡くなると、自然に還るべく腐敗していきます。ミイラとは、この腐敗の作用が止まった遺体のことです。遺体がミイラになる理由は乾燥や冷凍などさまざまです。自然環境によって遺体がミイラ化してしまうケースもあれば、人為的に遺体をミイラ化させた事例もあります。

ミイラの語源・表記

日本のミイラの語源は、ポルトガル語の「mirra(ミルラ)」にあると言われます。「ミルラ」とは、ミイラを作るときに使われた没薬(もつやく)のことです。

ミイラは漢字では「木乃伊」と表記し「モミー」と呼んでいたそうです。これは、中国の陶宗儀(とうそうぎ)が書いた14世紀の書物、輟耕録(てっこうろく)に登場します。輟耕録は江戸時代に日本へ伝わり、「木乃伊」の最も古い記述のある書物となりました。

ポルトガル語の「ミルラ」と、漢字表記の「木乃伊」が結びつき、日本では「ミイラ」と呼ぶようになったと考えられます。

ちなみに英語では「mummy(マミー)」と言います。

古代エジプトのミイラが有名

ミイラと言えばエジプトのツタンカーメン王を連想する人が多いでしょう。彼は古代エジプトでも中期(紀元前1350年頃)の王様です。エジプトでは、紀元前3700~3500年頃から、亡くなった人を布に包み、砂に埋める風習があったとされています。また、ミイラを人工的に製造していたと考えられています。

ミイラが作られた理由

世界各地でミイラの存在が確認されています。その理由は、地域によって違いがあります。

古代エジプトでミイラが作られた理由

古代エジプトで人工的なミイラが作られるようになったのは、古王国時代(紀元前2500年ごろ)とするのが一般的です。来世で復活するには肉体が必要と考えられたため、亡くなった人を人工的にミイラにして肉体を残そうとしたのです。

ミイラ加工を施していた当初は、ファラオ(王様)や王族のみでした。しかし時を経て、ミイラ加工で肉体を残す習わしは、広く庶民にも浸透しました。

アンデス高地でミイラが作られた理由

古代エジプトと同様に、南米・ペルーのミイラも有名です。例えばアンデス山脈東側にあるチャチャポヤス地方では、遺体を折り曲げて包んでミイラ化させ、崖の上に安置する風習がありました。また、ミイラとなった人を生前と同様に扱い、衣服を着せたり、ともに食事を摂ったりする地域もあったそうです。

アンデス高地も非常に乾燥した気候のため、遺体は腐敗が進みにくく、自然にミイラ化することが珍しくありません。ミイラとなった遺体は祖先崇拝の対象とされ、子孫を見守る存在と考えられました。

ミイラができるまで

遺体を人工的にミイラ化させるには、特殊な加工が必要でした。ミイラがどのように作られたのか、簡単に紹介します。

ミイラ職人が遺体を加工する

ミイラ化を希望したのは、一部の裕福な人たちです。遺族は亡くなった家族の体をミイラ職人の元へ運び、ミイラの作り方や料金について説明を受けます。その後、遺族が加工方法を決めました。

加工処理方法は上級・中級・下級の3つ

ミイラの加工処理方法は、上中下の3コースがあったと言われます。以下の上級が最も手が込んでおり、高価です。
  1. 遺体を洗浄後に内臓・脳を取り出して没薬などを詰め込む(心臓は除く)
  2. 乾燥・防腐作用のあるナトロンに約70日間浸す
  3. 水分が抜けたら洗浄する
  4. 化粧・整髪をして装飾品を付ける
  5. 樹脂や香料を塗りながら細長い麻布を巻き付ける
中級・下級になると処理方法が簡素化されます。例えば、次のような点です。
  • 中級:内臓を摘出せずに油を流し込んでナトロンに約70日浸す
  • 低級:下剤で腸内を洗浄してナトロンに約70日浸す
ご紹介したのは、あくまで一例です。

ミイラの背後にある古代エジプト人の死生観

古代エジプトで多くのミイラが作られた背景には、その時代を生きた人の死生観が大きく関わっています。どのような思想のもとにミイラが誕生したのかを紹介します。

人は死ぬと来世の楽園に行く

古代エジプトでは、亡くなった人が行く死後の楽園があると考えられていました。これがイアルの野です。

イアルの野では、生きていた頃とほぼ同じような環境が再現されており、亡くなった人たちはこの楽園で、神様に供物(くもつ)を捧げながら暮らします。

来世の楽園に行くには試練がある

亡くなった人が楽園に行くには、長い旅に出ねばなりません。途中にはさまざまな困難があり、最後には冥界の神・オシリスの審判が待っています。亡くなった人は、ここで生前のおこないを告白し、心臓を天秤にかけられます。天秤が心臓の方に傾いたら、その人は嘘をついていたという証です。楽園への道は閉ざされます。遺族たちは故人が試練を乗り越えられるよう、棺に護符などを添えました。

再生への強い執着

死んだ人は肉体と魂に分かれ、魂は最後の審判を受けます。そしてそれが終わったら、魂は再び肉体に戻ってくるのです。しかしこのとき肉体が残っていなければ、再生はできません。

再生を強く願う古代エジプトの人々は、魂の入れ物である肉体をミイラにして保存しようとしました。

この死生観は、身近にある死への恐怖を和らげるための考え方であったとも言われています。

ミイラにまつわるエトセトラ

ミイラの棺や副葬品は美術品、歴史遺産としても価値の高いものです。ここではミイラに関わるいろいろな知識を紹介します。

棺のデザインは死者を守るためのもの

ミイラの棺は、死者を物理的な汚れや傷みから遠ざけるとともに、呪術的に保護する役割があります。棺には「死者の書」の呪文や神々の絵などが描かれていますが、これは死後の世界を信じた古代エジプトの人々が、死者の安らかな来世を祈って描いたものです。

美しい宝飾品

中王国時代のミイラからは、金や銀を多量に使った美しい宝飾品が見られます。当時の女性の墓からは、ミイラとともに頭飾りや髪飾り、首飾り、襟飾り、腰飾り、腕輪や足輪などが見つかりました。

副葬品のなかでも、大量のビーズをつなげた「襟飾り」や四角形や祠堂(しどう)の形をした「ペクトラル(大型のペンダント)」などは、特に重要なものと考えられています。

幸運の象徴「スカラベ(コガネムシ)」のアクセサリーは現代人にも人気があります。

ミイラは人だけではない

古代エジプトの墓からは、ネコやコブラ、犬、ハトなどのミイラも発見されています。神の化身とされている動物は、亡くなった人が来世で復活できるようにとの祈りを込めて、遺体とともに入れられていたとされています。その他にも、死後の食料として入れられたという説もあります。

新たに100基のミイラの棺が発掘された

2020年11月、カイロ近郊のサッカラでミイラが納められた棺が100基見つかりました。これらは約2500年前のもので、考古学的意義は大きいとされています。今後、棺はエジプト国内にある複数の博物館に収蔵される予定です。

東京国立博物館に常設のミイラ

日本でミイラが常設されているのは、東京国立博物館です。

パシェリエンプタハのミイラ

東京国立博物館にあるのは、「パシェリエンプタハのミイラ」と呼ばれる男性のミイラです。これは第22王朝時代のもの(前945-前730年頃)で、1904年にエジプト考古庁長官より寄贈されました。

日本には、全身ミイラは2体しかありません。パシェリエンプタハのミイラは、そのうちの1体です。

棺の様子に注目

パシェリエンプタハのミイラで注目したいのが、棺です。表面全体に黒い塗料がかけられているため、棺に描かれている神々の像や呪文がはっきりしません。このような処理が施されているミイラは、世界的にも珍しいそうです。

ミイラに「死」を学ぶ

ミイラは歴史の証人であり、今も学術研究され、歴史研究はもちろん、生命・医学のヒントをも提供し続けてくれています。
そして、その存在はただの歴史遺産ではなく、誰かの大切だった人です。丁寧に埋葬されていたからこそ、今、現代に生きる私たちも目にすることができます。機会があれば、死生観や埋葬への想いなどをミイラに学んではいかがでしょうか。

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