「最高の“父ちゃん”」漫画家・倉田真由美さん【インタビュー前編】~日々摘花 第61回~

コラム
「最高の“父ちゃん”」漫画家・倉田真由美さん【インタビュー前編】~日々摘花 第61回~
“くらたま”の愛称で親しまれている漫画家・倉田真由美さん。累計発行部数200万部を超える代表作『だめんず・うぉ~か~』はテレビドラマ化や舞台化もされ、流行語に。
私生活では2009年に映画プロデューサーの叶井俊太郎さんと再婚し、第二子を出産。夫婦で様々なメディアに出演、その仲睦まじい姿が記憶に新しい人もいるのではないでしょうか。
24年2月16日、夫の叶井さんが56歳という若さでこの世を去ります。前編では、叶井さんとの闘病生活と、お別れについて伺いました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

同じ日がずっと続くと思っていた

――夫・叶井俊太郎さんとの「永遠の別れ」から、もうすぐ1年半になります。

倉田さん:この1年ちょっと、長かったような気もしますし、短かったような気もします。2022年6月にすい臓がんと診断され、医師からは「このまま何もしなければ、悪ければ半年、長くても1年です」と宣告されました。夫は抗がん剤を投与しない標準治療を選び、当初は普段と変わらない生活ができていました。時には体調が悪化したこともありましたが、好きなものを食べたり、仕事をしたりして診断前と変わらず過ごしていました。
漫画家/倉田真由美さん プロフィール
1971年7月23日生まれ、福岡県出身。一橋大学商学部卒業。元NHK経営委員会委員、2013年恵泉女学園非常勤講師。
大学卒業後、就職が決まらず『ヤングマガジン』にてギャグ大賞を受賞し、漫画家デビュー。2000年より週刊『SPA!』で連載している「だめんず・うぉ~か~」が大ヒット。近著に『凶母(まがはは)~小金井首なし殺人事件16年の真相』(サイゾー)、『お尻ふきます!!』(KADOKAWA)などがある。
倉田さん:本格的に体調が悪くなったのは、宣告から1年半以上経った2024年の1月中旬。その頃から、夫は本当にがんなんだ、病人なんだと実感するようになりましたが、昨日と同じ今日、今日と同じ明日が変わらずにやって来るので、今日にも別れの日が訪れるかもなんて想像すらしませんでした

1月の下旬あたりから頻繁に嘔吐するようになり、私は心配だったんですけど、本人はあまりつらく感じていなかったようで、吐瀉した茶色い液を面白がって写真に撮ったり、その写真を知り合いに送ったりしていました(笑)。

――すごい精神力ですね(笑)。

倉田さん本当に面白い人でね。そういうところが救いでもありました。

亡くなる前日も嘔吐していて、いつもの症状だと思っていたら、急に夫が訪問医の先生を呼んでくれって言うんですよ。22時過ぎだったかな。「こんな時間に来てもらってもしてもらえることはないから、苦しいなら痛み止めの薬を飲むか、(患部を)冷やしたりしようか?」と止めたんです。ただ珍しくしつこく、「先生を呼んでくれ」と。よほど具合が悪いのかなとも思ったんですけど、ひとりでシャワーを浴び、髪を洗い、トイレにも行けていたので、診てもらうことで気が済むのなら……ぐらいの気持ちで、先生に申し訳なく思いながら連絡しました
倉田さん:先生が来てから、夫は先生に「痛いのだけは勘弁して」と振り絞るように言いましたが、先生が顔色を変えて「危篤状態です」とおっしゃって。血圧は測れないほど低かったらしく、「こうして話したり、座れていたりすることが奇跡です。普通は昏睡状態になりますよ」と。朝までもたないかもしれないとも言われました

それでも、夫が寝ているベッドの隣にいながら、元の状態に戻るだろうと信じていました。実際、朝の7時ぐらいに目を覚まして、「昨日、俺やばかったよね」と言うので、「うん、やばかったよって」って。たったひと言のやり取りでしたけど、意識が戻ったことが嬉しくて、泣きながら答えて

その日の昼過ぎぐらいに意識が朦朧としてきたのか、意思疎通ができない状態になったんですけど、私はベッドの隣で原稿を書きながら、夫がこのまま死んでしまうとは思いませんでした。動ける状態ではないのにベッドの上でごろごろ動き回っていましたから。ほんの少し目を離した隙にベッドから降りてしまい、目を閉じて床に座り込んでいたんです。

――自力でベッドから降りられたんですか。

倉田さん:そうなんです。半日前に危篤といわれたのにもうびっくりして。私の力だけではベッドに戻せなかったので、倒れて頭を打たないよう周辺にクッションを敷き詰めて置き、夜に駆け付けた夫の妹と二人がかりでベッドに戻しました

「ベッドにやっと戻れたね~」なんて声をかけて夫の顔をじっと見たんですけど、浅めの呼吸を数回したあと、息を吸い込まなくなってしまって……。「父ちゃん、父ちゃん、息して!」って何度も声をかけたんですけど、二度と息を吸うことはありませんでした

息を引き取る寸前まで、今が別れの時間になるなんて全然自覚できなかったです。少し前まで普通に生活していましたから、ずっと同じ日が続くと思っていたほど突然の別れでした。

闘病中もチキンやドーナツを爆食する夫

倉田さん:突然別れがやってきたように感じたのは、夫も私も、がん発覚前と変わらない日常を過ごしていたのも大きかったように思います。私は、普通に飲み会や食事会にも行っていましたし、仕事も自由にしていました。

夫も何かを変えようと頑張るようなことはひとつもしていませんでした。健康のために野菜をたくさん摂ろうとか、たんぱく質を摂ろうということはなく、食べたいものしか食べない。ジャンクフードと甘いものが大好きで、おやつに「ファミチキ」やドーナツ、カップ麺なんかを食べていました(笑)。

――叶井さんの食生活に関して、倉田さんの中で葛藤はありましたか。

倉田さん:ありましたね。好きなものを食べさせてあげたいけど、もっと健康的な食生活をしたほうがいいんじゃないかって。がんが進行しているからと腹水を抜いたあとにも、本来なら術後に絶対ダメな飲食、それも好きなマクドナルド​に寄って帰っちゃうぐらい、本当にいい加減でした(笑)。

でも、がん告知後まもなく、セカンドオピニオンで診ていただいたがん治療の名物医師・近藤誠先生から「好きに生きるのがいちばんいいですよ。好きなものを食べなさい」と言われて、夫は喜びましたね。近藤先生は持ち込んだCT画像などを見ながら、1年は元気でいられるけど、1年後以降のどこかで亡くなるでしょうとも。

最初は何かほかに治療法を見つけようとしていた私も、先生にそう言われて我慢せずに悔いなく最期を迎えたほうがいいと思うようになりました。夫は日頃から、「やりたいことはやっているから、いつ死んでも悔いはない」と言っていましたし、何ががんに効いたのかはいまだにわかりませんが結果的に余生宣告よりも長く、普通に生活できましたから。

おばちゃんのような夫とは最高の相性

グアム旅行にて、夫の叶井俊太郎さん(左)と倉田真由美さん(右)※ご本人提供
――互いに尊重し、我慢を強いない関係が素敵ですね。

倉田さん:ありがとうございます。夫とは本当に相性がよかったんです。2009年に結婚して、結婚生活は15年ほどでしたけど、子どもが生まれてからの12~3年は男女の恋愛感情のようなものはなくて、「父ちゃん」と「ママ」と呼び合う“家族”の関係でした。付き合い初めた頃に何て呼ばれていたか忘れてしまうぐらい「父ちゃん」と「ママ」が染みついています。

世の中には男と女の関係を維持している夫婦もいますけど、男女でないことがいい方向に作用することがあるとも思います。例えばヤキモチを妬かなくて済むとか。夫はモテる人だったので、結婚後も(女性の)気配がないわけではなかったんですけど(笑)、気にならなかったですね。

――おふたりともメディアによく出ていらして、互いに尊敬している印象を受けました。

倉田さん:夫が私を尊敬していたかどうかは微妙ですけど(笑)、私は夫を尊敬していました。ただ、ダメなところもあって。特にお金の使い方は酷くて、私が入院費を払わないといけないぐらい有り金すべて使い果たしちゃうの。自分は着道楽なもんだから、ハイブランドの服を着ておしゃれをしていて、私は古着やファストファッションが日常着。ある日、ふたりで散歩していたら、「ママの好きな服屋があるよ」って言うので、指をさした方向を見たら「しまむら」で。しまむらは安くていいお店だと思いますけど、あなたのせいで行っているんだけど? ってちょっと腹が立ちました(笑)。

尊敬していた部分は、能天気なぐらい明るくて、人を楽しませることが上手で、娘とペットには惜しみなく愛情を注いで、几帳面でマメで、自分に正直で……挙げたらきりがないほど素晴らしいところがたくさんありました
――倉田さんにとって叶井さんはとても相性のよいパートナーだったのですね。

倉田さん:そうですね。夫は人を“いじる”タイプで、私にとってはすごく面白かったけど、人によっては腹が立つギリギリのラインなので、それを面白いと思うか不快に思うかは、相性なんでしょうね。1歩間違うとただの悪口でしかないし。だから、相性と本人のキャラクターも重要だと思うんです。夫は上手に面白くできるキャラクターでしたから、得だなっていつも思っていました。周りにも「あいつは面白い」「憎めない、面白いやつだ」っていう人がたくさんいて。普通のサラリーマンなのに、お別れ会には400人という大勢の方が来てくれました

――多くの方に慕われていたのですね。そんな面白い“いじり”をしてくれる叶井さんがいない今、物足りなさはありますか。

倉田さん:物足りなさ……今質問いただいて、「あぁそうか、私をいじってくれる人はもういないんだ」と初めて気づきました。心に余裕がなくて気づきませんでしたけど、この先きっと恋しくなるでしょうね

逆に日常生活ではあまり困ることはないかな。ゴミ捨て、皿洗い、掃除、洗濯を分担してくれていたので助かっていましたけど、いま自分がやって大変になったかっていうと、そんなことはない(笑)。ただ、夫が担当していた作業をするたびに、率先して家事を分担してくれたところも好きだったのだと実感しています。

あと、夫はママ友をつくるのがすごく上手で、とても助かっていました。私が言うのも何ですが、わりとイケメンでおしゃれで男らしくて、ただ中身がおばちゃんみたいだから、すぐに女性と仲良くなれるんです。『女性セブン』もよく読むし、芸能ゴシップも大好きだから、ママさんたちとも話が合ったようです。

そんな明るくて面白い夫だから、家庭内での存在感が大きくて毎日ちょっとしたことで泣いてしまいます。でも今こうして振り返ってみても、彼は最高の「父ちゃん」です

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
海苔を巻いたおにぎり。海苔はしっとりしていないといやなので、ちゃんと手で握ったものに限ります。海苔はスーパーで売っているような味海苔がいいですね。具は梅で。子どもの頃に、祖母がよく握ってくれた梅入りのおにぎりがとても美味しくて、死ぬ前にはこれを食べたい。もちろん、祖母と同じ味は再現できませんから、あんなに美味しいおにぎりにはならないけれど、この組み合わせのおにぎりがずっと好きなんですよ。

山本山 ありあけ海苔「味付」缶(8切50枚)

山本山は海苔と茶を主とする老舗の食品会社で、玉露を発明したことでも有名。元禄3年(1690年)に日本最古の煎茶商として創業したとされ、1941年に現在の株式会社山本山に。国内の百貨店やスーパーのみならず、北米や南米にも進出。パリッとした歯ごたえと、風味豊かな焼き海苔は、高級料亭や鮨屋などでも使用されている。
「ありあけ海苔」は、有明海産の海苔の中でも品質のよい海苔を厳選し、遠赤外線加工で焼き上げた逸品。北海道産羅臼昆布と有機醤油で味付けし、豊かな香りと味わいが特長。

Information

ご著書『抗がん剤を使わなかった夫 ~すい臓がんと歩んだ最期の日記~』(古書みつけ)

いつ死んでもいい、思い残すことはない――すい臓がんを患いながら、標準治療である抗がん剤を使用せずに、最期まで確固たる意志を貫いた夫・叶井俊太郎さん。1年9カ月にわたる闘病を詳細に綴った倉田真由美さんの渾身のエッセイ。
(取材・文/鈴木 啓子  写真/刑部 友康)
インタビュー後編の公開は、7月25日(金)です。お楽しみに。