「40年の人生で一度だけ泣いた患者さんの死」おかずクラブ・オカリナさん【インタビュー前編】~日々摘花 第60回~

コラム
「40年の人生で一度だけ泣いた患者さんの死」おかずクラブ・オカリナさん【インタビュー前編】~日々摘花 第60回~
看護師から芸人に転身した異色の経歴を持つお笑い芸人・オカリナさん(40歳)。吉本興業のお笑い養成所NSC東京校の同期ゆいPさんと2009年に「おかずクラブ」を結成、15年に出演した『ぐるナイ大晦日恒例! おもしろ荘』でブレイク。少女漫画をパロディにしたコントと、ボケとツッコミが明確に分かれていない独特な芸風で、人気芸人の仲間入りを果たします。
前編では、出身地の宮崎県でオカリナさんが看護師を目指すきっかけとなった祖母の死と、看護師時代に経験した忘れがたい死別体験についてうかがいました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

家族を守るために看護師の道へ

――芸人になる前は看護師をされていたそうですが、看護師になったきっかけは?

オカリナさん:中学2年生のときに、同居していた祖母が脳梗塞で倒れて亡くなったことがきっかけです。当時住んでいた家が2階建てで、私の部屋は2階にあったのですが、朝はいつも起こしてくれる母が部屋に来なかったので、1階の居間に降りていったんです。そうしたら、祖母が倒れていて、准看護師だった母が心肺蘇生を施していました。間もなく救急車が来て病院に搬送されましたが、1週間後に息を引き取りました

祖母が突然亡くなって、「人って本当に死ぬんだな」ということを実感すると同時に、私も両親や兄弟など大切な人が病気になったときに助けられる人になりたいと思いました。医者になれる学力はないけれど、看護師ならなんとかなれるかもしれない。そう考えて看護師を目指すことにしたんです。

――お母さまの反応はどうでしたか。

オカリナさん:祖母が亡くなってすぐに、母に「看護師になりたい」と言ったら、日南学園という高校の看護科を勧めてくれました。当時、宮崎県内には看護科のある高校が3校あったんですけど、日南学園は住んでいた西都市からもっとも遠い距離にあり、電車で片道3時間以上! 寮に入ったんですけど、そうしたら母が「なんで真季(オカリナさんの本名)は高校から寮に入っちゃったの」って泣いたそうなんですよ。母が勧めてきたのに、本人はまったく覚えていなくてびっくりしました(笑)。

本人の記憶がないのでなんともいえないのですが、母は高校野球を見るのが好きで、日南は野球が強くてよく甲子園に出場していたので、たまたまテレビで見て印象に残っていたとか、そんな感じだったのだと思います。
――学校生活はどうでしたか。

オカリナさん入学してすぐにめちゃくちゃ後悔しました(笑)。学校の規則も、寮の規則も厳しかったうえに、食事が合わなくて。同じ宮崎県内でも北部と南部で離れているので、例えば牛乳の味ひとつとっても違うんですよ。味にはわりと敏感なので、慣れ親しんだ味ではないのが苦痛でした。それで、入学してから1週間ほど体調を崩してしまって……。

――入学早々たいへんでしたね。

オカリナさん:入学して間もなく退学したいと思いましたけど、高校に入るために病院奨学金(正看護師の資格を取得して3年働いたら返済しなくてよいという奨学金制度)も借りていましたし、そもそも私には辞める勇気がなくて。勇気があったら、たぶん1日で退学していたと思います。

もちろん良い面もありました。同級生たちが一生懸命勉強している姿を間近で見ては自分も頑張ろうって思えましたし、先輩たちから看護実習に行った様子を聞くことができたのでモチベーションを保てました。そのおかげで私のような怠け者でもコツコツ勉強し続け、最終的にはなんとか国家試験に受かることができましたから。

ハリガネロックの漫才に魅せられ芸人を志す

――芸人になろうと思われたのはいつ頃から?

オカリナさん:高校2年生のときに、お笑い好きの友人から『M-1グランプリ』のビデオを観せられて、ハリガネロックさんの漫才に感銘を受け、「病院奨学金を返したら芸人になる!」と決意しました。

――高校2年のときに、すでに志していたのですね。

オカリナさん:はい。ただ、芸人を目指すのは看護師として働いてからでも遅くなはいと思ったので、まずは正看護師の国家試験に合格して、看護師として働くという将来のプランに変更はありませんでした

また、勉強していく中で、自分に看護師の適性があるのだろうか、という疑問を抱いたことも芸人を目指すことに至った理由のひとつになっています。もともと人見知りで、人と話したり、こまめにコミュニケーションを取ったりするのが得意ではなく、誰かのために奉仕したいという気持ちが強くはありませんでした

でも、それでは看護師は務まらないですよね。高校卒業後に進学した看護専門学校の先生から、私の性質を見抜いていたのか「看護師に向いていない」と言われました。テキパキ動けるタイプでもないので、看護実習でも看護師になってからも、先輩や同僚、周りの人たちに助けてもらっていたので、やはり向いていなかったなと。じゃあ、芸人の適性があるかと問われたら、それもわかりませんけど(笑)。
――晴れて国家試験に合格し、看護師として関東圏内の病院に勤務されます。働いてみていかがでしたか。

オカリナさん:地域密着型の総合病院に、4年間だけ勤務しました。病棟が併設されているので夜勤があり、重病の患者さんも入院していたので、とてもハードでした。ひっきりなしにナースコールが鳴るし、内科も外科も担当するので確認事項も多く、四六時中てんやわんや。どんなに忙しくても、患者さんの命にかかわる大事なこともあるので、常に気が抜けませんでした

実習生のときにカルテの前に立っていたら、看護師さんたちから「邪魔だからどいて!」と強い口調で言われて、「怖いなぁ」なんて思ったことがあったんですけど、いざ自分が働くようになって実習生がカルテの前にいると本当に邪魔なんですよね(笑)。看護師さんたちは怒りたかったわけではなく、それだけ常に緊迫した状況下で働いていたのだと痛感しました。

また、病院で働いていると人が亡くなるということが、“流れ”のひとつになっていく感覚が日に日に増していくのを感じていました。新人の頃はそんなことはなかったのですが、仕事に追われる中で、「ここで急変されたら困るな」といやでも思ってしまう。決して患者さんのことを大事にしていないわけではないのに、そんなことを考えてしまう自分に嫌気がさしました

人にはとんでもねぇ生命力も救えない命もある

――看護師として働き始めてから、「死生観」は変わりましたか。

オカリナさん:高校1年生の看護実習で、「人は簡単に死なない」ということを知りました。担当させていただいた患者さんで、褥瘡(じょくそう / 寝たきりの状態や車椅子生活などをきっかけとして皮膚の血流が滞ってしまうことで生じる皮膚病変のこと)、いわゆる床ずれがかなり悪化している方がいたんです。

ぱっと見てわかるようなこぶし大ぐらい陥没している部分がお尻にあって、2、3年寝たきりだったので、当時16歳だった私が見ても回復は難しいんじゃないか……と思っていたら、翌年、実習で別の病院に行ったときに偶然その方も入院されていて、その方がスタスタと元気に歩いていたんですよ! 別人か、嘘だろ?って目を擦りました。その患者さんのご家族に回復理由を聞いたら、新しい治療法に変えた途端、劇的に良くなったと。とんでもねぇな人って、と思って。人間の生命力の強さに驚きました。
――驚異の回復力。医学の進歩もすごいですが、人間の生命力には驚かされますね。

オカリナさん:本当にびっくりしました。一方で、受け持った患者さんがなすすべもなく死に近づいていくのを目の当たりにして、救えない命があるのだということも思い知りました

その患者さんは末期の肝臓がんで入院してきて、はじめのうちは普通に歩いたり、食べたりしていたのですが、2カ月も経たないうちに具合が悪くなって寝たきりに。身寄りがなく生活保護でお金もないから延命治療はしないとのことで、治療らしい治療もできませんでした。

心電図のモニターを見ると日に日にハートレート(心拍数)が落ちていって、亡くなる直前はお小水も出なくなって……。病院からは何もしてはいけないという指示を受けていたので、私は毎日ただ見ているだけ。そして、心電図が止まった瞬間、人目もはばからずに号泣してしまって。患者さんに特別な思い入れがあったわけでも、よく会話をしたわけでもなかったんですよ。祖母が亡くなったときですら泣かなかったのに。

先輩にも看護師は泣いたらダメと言われていたのに、何で泣いたのか説明するのが難しいんですけど……。人は生まれてくるときは同じような医療を施されて生まれてくるのに、死ぬときは人によって全然違う。助けたい人を、助けられるかもしれない人を、全て助けられる訳じゃない。命が尽きていく過程を見ながら、そんな思いがめぐって自然と涙があふれてきたのかなと思います。40年の人生の中で、人の死で泣いたのはこのときだけです。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
母が作ってくれる豚汁とおにぎり、父が作ってくれる宮崎名物の冷や汁*です。おにぎりは、塩とゆかりがお気に入り。実家に帰ると必ず作ってくれます。世の中には美味しいおにぎりがたくさんあるのに、母が作るおにぎりに勝るものはないんです。シンプルな味付けなのに、不思議ですよね。
冷や汁は、本来暑い時期に食べるものなんですけど、私が帰省すると真冬でも食卓に並びます。父は私が喜ぶと思って張り切って作ってくれるので、「寒い!」と内心思いながら(笑)、ありがたくいただいています。
*冷や汁……宮崎県の平野部を中心とする郷土料理で、出汁と味噌で味をつけた冷たい汁物。農民たちが暑い夏に重労働をおこなう際、時間や食欲のない時でも充分な栄養補給や体力回復のために、簡単に食べられる生活の知恵として伝承されてきた。

冷や汁の名店「ふるさと料理 杉の子」

昭和45年創業の日本料理店。創業以来、地元・宮崎の素材にこだわり続けた郷土料理が評判で、中でも「冷や汁」は同店の名物料理として人気が高い。ほかにも、新鮮な魚介類、宮崎牛、みやざき地頭鶏といった名産を堪能できる。
ふるさと料理 杉の子公式HP
杉の子チキン南蛮定食(冷や汁付)

プロフィール

芸人/オカリナさん

【誕生日】1984年9月28日
【経歴】
宮崎県出身。日南学園高等学校看護科を卒業後、看護専門学校へ進学。看護師として関東の病院に4年務めたのち、2008年、24歳で吉本興業グループのNSC吉本総合芸能学院東京校に入所。09年、NSC東京校15期生の同期・ゆいPと女性お笑いコンビ「おかずクラブ」を結成。15年、『ぐるナイ大晦日恒例! おもしろ荘』に出演し、一躍注目を浴びる。19年、コンビで日本テレビ「女芸人No.1決定戦 THE W」決勝進出。「世界の果てまでイッテQ!」(日本テレビ)「デルサタ」(メ~テレ)、冠番組「キャイ~ン&おかずクラブの激ウマ西遊記」(中京テレビ)など多くのレギュラー・準レギュラー番組を持つ。ソロでは実写ドラマ「天才バカボン」で主演、映画「妖かしの恋一陣の風に」で大家さん役を務めるなど役者としても活躍中。

おかずクラブちゃんねる
(取材・文/鈴木啓子  写真/鈴木 慶子)
インタビュー後編の公開は、6月27日(金)です。お楽しみに。