「母さんの幸せが俺の幸せ」作家・鈴木光司さん【インタビュー前編】~日々摘花 第65回~

コラム
「母さんの幸せが俺の幸せ」作家・鈴木光司さん【インタビュー前編】~日々摘花 第65回~
今年3月、16年ぶりの新作ホラー長編『ユビキタス』を発表した、日本ホラー界の帝王として知られる作家・鈴木光司さん。“貞子”でおなじみの『リング』は日本とハリウッドで映画化され、ともに大ヒット。その他、『らせん』『ループ』『仄暗い水の底から』『エッジ』など、これまでに数々のベストセラーを生み出してきました。
それら多くの作品で描かれているのが「死」。誰もが避けて通れない死を、そして大切な人との別れを、どのように受け止め、作品へ落とし込んできたのか――。死別体験と死生観について、お話を伺いました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

幼い頃は母の死が怖かった

――ご両親とのお別れについてお伺いしてもよろしいでしょうか?

鈴木さん:ちょうど20年前の2006年に父さんが84歳で、6年前に母さんが94歳で亡くなったんだけど、二人とも平均寿命より長生きしているから、全然悲しくなかったの
※厚生労働省の発表によると2025年における日本人の平均寿命は、男性が81.09歳、女性が87.13歳。
小説家/鈴木光司(すずきこうじ)さん プロフィール
1957年5月13日生まれ、静岡県浜松市出身。慶應義塾大学文学部仏文科卒。90年、第2回日本ファンタジーノベル大賞優秀賞を受賞した『楽園』でデビュー。『リング』『らせん』『ループ』『バースデイ』の「リング」シリーズで人気を博す。『リング』は日本、ハリウッドで映画化され、共に大ヒットとなる。95年発表の『らせん』で第17回吉川英治文学新人賞、2013年に『エッジ』で米シャーリイ・ジャクスン賞(2012年度 長編小説部門)を受賞。その他の著作に『鋼鉄の叫び』『樹海』『ブルーアウト』『エス』『タイド』などがある。
鈴木さん:でもね、小学校の頃はとにかく母さんが死ぬのが怖かった。すごく怖かった。中学、高校、大学……若い頃はずっと怖かったかな。男の子っていうのは、母さんのことが大好きなわけ。俺もそうで、一生懸命貯めた小遣いをもって浜松のデパートに行って、母さんが使っている香水を誕生日プレゼントに買ったりしてね。

――小学生で香水を?

鈴木さん:当時、小学校3年生だったかな? 母さんの好きなヘリオトロープとかっていう香りの香水を買いに行って。ブランドは覚えていないけど、当時で3、4,000円したと思う。そしたら、デパートのお姉さんが「僕、これどうするの?」って聞くから、「母さんにプレゼントするんです」って言ったらね、お姉さんが胸キュンになっちゃってね(笑)

「まぁ素敵!もう、おまけしちゃっていいかしら」みたいな感じで安くしてくれて。当然うちの母さんも胸キュンになるわけですよ。そんな感じで、すごく母さんに可愛がられていたの。だから、若い頃は母さんが死ぬっていうことが本当に怖くてしょうがなかった。
――お母さまの死を意識したきっかけはあったのですか。

鈴木さん:とにかくすごい頭痛持ちで、毎日のように頭が痛いって言っていて。それと、頭痛が関係していたのかはわからないんだけれども、熟睡できなくてね。まともに寝られない。だから、毎日のように「大丈夫かな?」「死んじゃうんじゃないかな」って、いつも不安でたまらなかった。頭が痛いっていうと、少しでも解消してあげたくて頭を揉んであげたりして、なんとかして母を助けたかった。その原因が、実はあとになってわかるんですよ。

母さんが60歳を過ぎた頃だったかな。俺が大学生のときに、くも膜下出血で倒れて病院に運ばれて。たまたま浜松の街中で倒れたものだから、即座に運んでもらえて、その運ばれた病院に偶然来ていた東海大学医学部脳外科の教授が執刀してくれて、出血場所をクリップで4ヶ所パチパチって止めて手術は成功

そしたら頭痛までピタッとなくなって、前よりも元気になっちゃって。長年、くも膜下出血を引き起こす小さな脳動脈瘤があったんだろうね。

76歳のときには富士山に登頂したりなんかして、すごくアクティブな晩年だったね。

親孝行は最期の後悔を消す

――それほど大切だったお母さまが亡くなられて、喪失感は大きかったのではないでしょうか。

鈴木さん:まったく悲しくなかったし、喪失感もない。5歳上の兄がいるんだけど、浜松で母とずっと同居していて、兄の世話のもと90歳過ぎてから施設に入って、最後は施設で眠るようにして旅立った。

施設の人が夜巡回してくれるんだけど、最初に見たときは「あれ? 寝ているのかな?」と思ったほど、穏やかに亡くなっていたそう。完璧な老衰だよ。ただ、一週間前に風邪を引いたと言っていたから、それがきっかけになったかもしれないんだけれども、苦しむことが一切なく、本当に眠るように。

あとは、俺が思い残すことがないのも大きいと思う。母さんは俺という息子に大満足だった。そういうのがあると、死というものは何も怖くない。
――悔いがなければ死は怖くない、と。

鈴木さん:そう、悔いが残るから悲しんだり苦しんだりする。

小説家になりたいと思ったきっかけは、小学校の先生に書いた小説を褒められたり、太宰治の『人間失格』に感銘を受けたりといくつかあるんだけど、母さんの影響も大きくてね

母さんは、海外旅行と小説を読むのが好きで、映画も大好きな人だった。映画が好きすぎて、浜松のロードショー館の株を買っちゃったぐらい。株主優待で毎月4枚無料招待券が届いていたから、母さんと俺とで月2回は映画を観に行っていたかな。

――素敵ですね。

鈴木さん:そんなだから、俺が小説家になるって言ったときは、もちろん反対せず、大応援なわけよ。「あんたね、もっと安定した仕事に就きなさい」なんて一切言わない。教育方針は、リスクを冒してでも果実を採れだったから。美味しそうな果実が木の高いところに実っていたら、登って採ってこいっていうね。

それでイチかバチかの賭けに出ることができたわけ。小説家になるため大学を卒業するときに就職するという道を選ばなかったけれど、そういったことに対してもすべて理解してくれた。

子どもの頃から家族団らんを大切にする家庭で育ったから、俺もすごく親孝行をしたいと思えたんだ。ベストセラーが出る前から無理してでも海外旅行に何度も連れて行ったし、ベストセラーが出てからは毎年海外旅行に。母さんは俺の小説やエッセイが出るのも楽しみにしてくれていた。

だからすごく満足してくれていたと思う。母さんが幸せになると、俺もそれによってすごくハッピーになる。やれることはすべてやりつくした感じがあるから、悔いはないよね。

もちろん、これは人それぞれだから、こうじゃなきゃいけないって話じゃないよ。でも俺は、母の死を通して、“死は怖いものじゃない”って実感した。

最悪のホラーは、不自然な 『絆の断絶』

鈴木さん:よく「死が怖い」って言うけど、俺は死そのものが怖いんじゃなくて、悔いが残ることが怖いんだ。大往生の死は悲しくないし、怖くもないんだけれども、不自然な形で絆がぶち切られることは耐え難いと思う。母さんも94歳で亡くなっているからいいけど、小学生のときに、もし寿命ではなく亡くなっていたら……つまり不自然な形で亡くなっていたと想像するとやっぱり怖いよね。
――お母さまは身体が弱いにもかかわらず一家の大黒柱として働いていらしたから、何があってもおかしくない状態でしたよね。

鈴木さん:そうだね。本当に大往生で良かったと思う。例えば、子どもが犯罪者に殺されるなど、不自然な形で絆が断ち切られるっていうことは、ものすごく怖いし、悲しい。

俺の小説には「死」が描かれているけれど、作中の登場人物を動かす上で、死を防ごうとする動機がいちばん強いんだよね。小説の中では登場人物が動くでしょ。動くときには、なぜこのような動き方をするのかっていう動機が必要になってくる。動機が弱いと面白くないし、登場人物の動きも鈍くなっちゃう。

そのときにいちばん強い動機が、「この人の命を助けたい」とか、「生き延びたい」とかそういうことになる。もし俺が仙人のように山の中にひとりで暮らしていて誰との交流もなく、絆もなく、コミュニケーションもないような状況で、たったひとりで生きていたら、死はまったく怖くないと思う。
――大切な人たちがいるからこその恐怖。

鈴木さん:そう。上の世代が亡くなるぶんにはまだいいんだけれども、下の若い世代が亡くなるっていうのは勘弁してくれと思うよ。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
とんかつ。子どもの頃から、うちの家族は“いいことがあったらとんかつを食べに行く”っていう伝統があってね。兄貴が高校に受かったらとんかつ、俺が受かったときもとんかつ。浜松に「とんかつよかろう」という店があって家族でよく行っていた。あれが俺の中で“最高のごちそう”だったね。
いまその店はなくなってしまったけど、花園インターの近くにある「みつみね」の味は近いかな。とにかく、うまい。
食べ物って、味だけじゃなくて、その背景にある“思い出”が大事なんだよね。家族で笑い合いながら楽しく食べたり、祝いごとで嬉しい気持ちで食べたり、そういうのが全部セットになっている。だから最後に食べるなら、俺の場合はやっぱりとんかつなんだよ。人生を象徴する一皿だから。

「とんかつみつみね」和豚もちぶたロースかつ定食

熟成肉の旨味を凝縮した「和豚もちぶた」を使用。肉質はきめ細やかで柔らかく、甘みのある脂がジューシーでありながらあっさりした味わいが特長。豊富な野菜とたっぷりの果実を長時間煮込んで作られるオリジナルソースが、とんかつの旨味をより引きたてる。

■とんかつみつみね 〒369-1245 埼玉県深谷市荒川660-2

Information

鈴木光司『ユビキタス』KADOKAWA刊

鈴木光司さんの16年ぶりの新作ホラー長編。
原因不明の連続突然死事件を追う探偵・前沢恵子と、異端の物理学者・露木眞也。二人は過去に起きた宗教集団の事件と“南極の氷”の謎が結びつくことに気づく――。不可解な死の裏に潜む“見えざる支配構造”を暴く、SFを融合させた壮大なホラーサスペンス。
(取材・文/鈴木 啓子  写真/刑部 友康)
インタビュー後編の公開は、12月26日(金)です。お楽しみに。