「人生はコメディ」エッセイスト・阿川佐和子さん【インタビュー前編】~日々摘花 第63回~

コラム
「人生はコメディ」エッセイスト・阿川佐和子さん【インタビュー前編】~日々摘花 第63回~
小説家、エッセイスト、司会者、インタビュアー、女優など多方面で活躍中の阿川佐和子さん(71歳)。聞き手の名手でありながら話術にも長け、2012年に出版した著書『聞く力』は年間のベストセラー総合1位に。
前編では、そんな阿川さんに多くの影響を与えたご両親との“永遠の別れ”について話をうかがいました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

半世紀ぶりの葬儀は戸惑いの連続

――父で作家の阿川弘之さんを10年前、お母さまを5年前に看取られました。

阿川さん:父は94歳、母は92歳で亡くなりました。
エッセイスト/阿川佐和子さん プロフィール
1953年11月1日生まれ、東京都出身。大学卒業後、テレビ番組でのリポーターを機に、『情報デスクToday』のアシスタント、『筑紫哲也NEWS23』でキャスターを務める。1992年に渡米、帰国後『報道特集』のキャスターに。以降、『ビートたけしのTVタックル』、『サワコの朝』で司会・進行を務めるほか、女優として映画やドラマにも多数出演。『ああ言えばこう食う』(檀ふみとの共著、講談社エッセイ賞)、『ウメ子』(坪田譲治文学賞)『聞く力』『叱られる力 聞く力2』(文藝春秋)、『だいたいしあわせ』(晶文社)など著書多数。2014年、菊池寛賞受賞。
阿川さん父は90歳のときに自宅で転倒して入院、誤嚥性肺炎を併発していることがわかり、介護が必要になるのではないかということで高齢者病院に転院することに。その病院で3年半お世話になったのですが、病室で大腿骨を骨折し、最後の1年は寝たきりの生活でした。徐々に体は弱っていきましたが、頭はしっかりしていて達者な口も変わらず(笑)

亡くなったとき、臨終に間に合わなかったことも影響してか、結構泣いた記憶があるのですが、私は60代でしたし、医師からは「死因は老衰です。立派な大往生です」と褒められたこともあり、取り乱したり、何も手につかなかったりするようなことはありませんでした

そもそも葬儀を執り行うのがひと苦労で、悲しんでいるどころではなかったんです。私の家系は親族も含めて長寿で、父が亡くなるまで身近な人を見送る経験がほとんどなくて。私自身、60歳を過ぎるまでに身内の葬儀に参列したのは、高校時代に亡くなった伯父のときくらい。約50年ぶりのことだったので、何をしたらいいのかまったくわからない状態で。

――身内の葬儀が50年ぶりとは驚きです。

阿川さん:その間に人さまのお葬式に行くことはありましたけど、執り行うとなるとえらい大変だと思い知りました。私には兄と弟が二人いるんですけど、4人とも右も左もまったく分からなくて。夏だから早いほうがいいんじゃないかということになり、葬儀屋さんに「明日にします」と伝えたら、「明日は友引です」と言われて。でも、知識がないから「友引の何が悪いの?」って。終始そんな感じだったので、死亡届の提出、葬儀の日程や形式、棺桶や霊柩車の選択など、知らないことばかりなうえにやることが多くて、混乱と戸惑いの連続でした。

慌ただしく毎日が過ぎていったんですけど、ある女性からこんなことを言われたんです。「私は父とは仲があまりよくなくて、そんなに好きじゃなかったけれど、亡くなってだいぶ経ってから突然電車の中で『父はもういないんだ』と思った途端に涙が止まらなくなって号泣した」と。

亡くなった直後はそんなにショックではなかったはずなのに、あとからどっと悲しみが押し寄せてきたそうで、「父親と娘ってそういう感じなんじゃないかしら?」って。「阿川さんも今はお父さんがいなくなって、それほどにも思っていないかもしれないけど、しばらくするとぼこぼこぼこっとジャブが来るわよ」と言われたんです。

でもね、いまだにそのジャブが来ないんですよ(笑)
――お父さまとはどのような関係を持たれていたのでしょうか。

阿川さん:父は私にとって常に怖い存在というか……ずっと怒られていました。父の中では理が通っているけれど、私にとっては理不尽に怒られている感じが多々あって。だから、その父の圧政からどう逃れるかっていうことが人生最大の目標だったんです。

でも、亡くなってからも夢の中にしばしば登場するんですよ。「お父さ~ん」って懐かしくて涙と共に目が覚めた……なんていう感動的な夢は皆無で、毎回怒られる。たとえば、「何時までに帰れ」と言われたのに間に合わず、慌てて電車に飛び乗ったら逆方向だったとか、父と出かけたら私が忘れ物をして叱られるとか。

父ちゃん懐かしい!っていう気分にはなれず、死んでもなお圧政から逃れられない(笑)

“理不尽に怒る”父は私のストッパー

――いつぐらいまで“怒る”“怒られる”という関係が続いたのですか。

阿川さん:亡くなるまでずっとです。社会人になって、それなりに仕事で多少成果を出したとしても、「お前は立派になったな」なんて言われたことはなく、むしろ「ちょっと物を知ったからといって偉そうにするんじゃない」って怒られたことも。

私が出演している番組に父がゲストに出たときなんて、他のゲストのマイクをちょっと直して差し上げたら、「慣れた手つきでマイクなんかに触りやがって」って(笑)。収録現場で言わなくてもいいことまで言っちゃう。

病院で亡くなる直前も、「先週あれを持ってこいって言ったのにどうして持ってこない!」と怒られて。身体は弱っていましたけど、最期まで頭はしっかりしていましたし、気持ちは元気でしたね。歳を取るにつれて、子どもが親にあれしちゃダメ、これしちゃダメと言って親子の関係が逆転していくと言われますけど、最後まで逆転することはなかった

少し達観してものを言えば、父に怒られたくないというか、こういうことをしたら怒るだろうか、どう言うだろうか、また反対するだろうかと思うことで、物事に落ち着いて対処できる部分があるんです。

父がいなくなってだいぶラクになりましたけど(笑)、ストッパーみたいなものを失ってしまった今、自分が図に乗ってしまうんじゃないかっていう不安はあります

ずっと理不尽に怒っているように思えた父ですが、人間にはビクビクして恐れる対象が必要なんじゃないかと感じています。

母との別れを受け入れさせた、10年介護

――お母さまとのお別れはどのようなものだったのでしょうか。

阿川さん:亡くなるまでの9年半、認知症を患っていました。父が入院する際、症状は軽かったものの、家にひとり残すには不安があったので、昔なじみのご夫婦に通いで来ていただいたり、週末は兄弟で交替で泊まったり、デイサービスを利用するなどしてやりくりしていました。

2020年の5月に亡くなったのですが、半年前から足がふらついていたので、2月に父がかつて入院していた高齢者病院にショートステイをさせたんです。ところが、すぐにコロナ禍に突入し、退院できなくなってしまって。ほどなくして軽い脳梗塞を起こし、徐々に容体が悪化。病院から危篤の知らせを受けて、家族だけ病室に入ることを許され、弟二人と最期を看取ることができました

母のときはあまり涙を流さなかったと記憶しています。長年介護をしてきたこと、また入院してから亡くなる瞬間まで見届けられたこともあり、死を受け入れるまでの時間があったからかもしれません。
――長い年月、介護を経験されていかがでしたか。

阿川さん:しっかり者だった母が少しずつ忘れっぽくなり、最初の頃は戸惑い、私たち家族もイライラしていた時期がありました。でも、次第に「これは怒っても仕方がない」と思うようになり、むしろユーモアを感じて楽しむようになっていったんです。

娘の私が言うのもなんなのですが、母はとても素直で明るい人。認知症になると性格が変わるという話を聞いていたので、怒りっぽくなったり、意地悪になったりするのかと思っていたら、性格はそのままに子供返りしていくような感じでした

いきなり「わっ!」と驚かせるようないたずらをしたり、笑えるウソをついたり(笑)。ほかにも、私が自分の顔を指しながら「私はだあれ?」って聞くと、しばらく考えてから「お鼻」と答えたことがあって。確かに「鼻」も正解だなって笑ってしまいました。

――発想が豊かですね。

阿川さん:そうなんです。認知症で記憶力が低下すると、それだけで人間としてすべてがダメになったと思われることもあるようですけど、観察力や反応力、発想力、機転の利かせ方などが維持できていることもあり、ダメだと思うのは時期尚早。

たとえば、デイサービスから帰るときに、スタッフさんが「阿川さんまた来てね」「はーい!」と会話をしたのに、車に乗って「今日は何をしたの?」と聞くと「ずっとうちにいたのよ」とすぐに忘れてしまう。でも、車で走り出したら「信号が黄色に変わるから止まって」「小学生がそこを歩いているから気を付けて」と言って、私が気づくよりも前に教えてくれて観察力に長けていると感じました。交通ルールもきちんと覚えていましたし。
阿川さん:初期の頃は、記憶を忘れていく姿がショックで、なんとか記憶を維持させたいと真実を教えようとしたこともありました。でも、長生きしてもあと10年だとしたら、いちいちきつく言って毎日を過ごすよりも、もう生きていてくれれば御の字。今日を楽しく過ごして寝て、明日も楽しく過ごして寝て……をくり返して生きていくことのほうが大事じゃないかって。デイサービスに行ったことを忘れてたっていいじゃないの。正す必要なんて、ねぇ。

薬や病気、命に関わることならダメですけど、普段の会話の中にさして必要な「事実」はないと思うんです。レストランに連れて行ったときに「この店、前に来たわね」って言われて、本当は初めて来たとしても「そうね、前に来たわね」って答えればいいだけ。同じ話を何度しても楽しく聞いてあげる。母の世界に自分が合わせる。それだけで毎日が断然楽しくなりました。

――食事においても、コレステロール値よりも大好きなバターを食べることを優先されていたとか。

阿川さん:母は食べることに意欲的でした。特にバターが大好きで、そのままかじって食べてしまう(笑)。かかりつけの医師に「食べたい意欲は、生きたいという意欲です。コレステロール値を気にしてあれこれダメと言わずに、食べる意欲を優先させてください」と言われて目から鱗でした。それにバターの弊害が出るまでに10年かかるそうで、まぁいいかと。

介護は大変だけれど、毎日何かしらハプニングが起きて面白いことのほうが多かった。たとえ怒っていたとしても、人が怒る顔ってよく見るとコメディみたいだから、そんな顔さえ楽しく思える(笑)。もうね、人生コメディですよ、コメディ

介護もほどほどに手を抜けば気持ちがラクになりますし、ハプニングをコメディとして捉えると少しは楽しさも見い出せるかもしれません。今悩んでいる方がいたら「人生コメディ」だと思ってみてください。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
おいしい白米とぬか漬けとお味噌汁。最期は特別なものではなく、普段の食事をいただきたいですね。
お米が高騰している時代に贅沢は言えませんけど、ごはんはお気に入りの「つや姫」を食べたいですね。ぬか漬けは自分でも作っているのですが、最期に食べたいと思えるレベルには達していないので、プロが作ったものを。お味噌汁は赤だしで、ワカメか豆腐がいいかな。この3品だけだと少し物足りないので、お肉系の食品をちょこっとプラスしたい。例えばソーセージを2、3本とか。ソーセージは百貨店でしか売っていないような高価なものではなく、スーパーでも買えるプリマハムの「香薫(こうくん)」が大のお気に入り。お徳用パックもよく購入しています。
と言いながら、この取り合わせは、私がいま食べたいだけのメニューな気がしますけど(笑)。

香薫® あらびきポーク

2025年で23周年を迎えたロングセラーのポークウィンナー。11種類の挽きたてスパイスの風味をそのままに生かし、プリマハム独自の製法で「香り」高い風味に。2024年DLG(ドイツ農業協会)コンテストで金賞、2022年IFFA(国際食肉業専門見本市)で金賞をW受賞。

Information

『阿川佐和子のきものチンプンカンプン』(世界文化社 刊)

母から受け継いだ着物を着ようと、着付けもできない、着物のルールもよくわからない状態から一念発起し、着物と向き合い続けた奮闘記。雑誌『きものSalon』と「家庭画報.com」で好評を博した阿川さんの連載を収録。思わずくすっと笑ってしまうような失敗談や、心温まる家族との思い出など、誰もが共感できるエピソードが満載。着物を着てみたいけど敷居が高そう……と躊躇している人の背中を押してくれる一冊。
(取材・文/鈴木 啓子  写真/鈴木 慶子)
インタビュー後編の公開は、9月26日(金)です。お楽しみに。