「家族がダイスキ!亡き父母と35年ぶりの同居」中山秀征さん【インタビュー後編】~日々摘花 第62回~
コラム

今年芸能生活40周年を迎えたタレント・司会者の中山秀征さん(58歳)。お笑い芸人、歌手、俳優、司会者などマルチに活躍してきた中山さんが50歳のときに、お母さま、そしてお父さまとの永遠の別れが訪れます。
前編では、ご両親の思い出と別れを中心に語っていただきました。後編では、死別との向き合い方や死生観、今後の生き方についてお話をうかがいます。
前編では、ご両親の思い出と別れを中心に語っていただきました。後編では、死別との向き合い方や死生観、今後の生き方についてお話をうかがいます。
タレント・司会者/中山秀征さん プロフィール
1967年7月31日生まれ、群馬県藤岡市出身。84年、渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメント)主催の『第二の吉川晃司オーディション』に16歳で合格。85年にお笑いコンビ「ABブラザーズ」を結成。コンビ活動の傍らピンでもドラマ『静かなるドン』や映画に主演し、俳優としても活躍。その後、『DAISUKI!』、『THE夜もヒッパレ』、『ウチくる⁉』、『シューイチ』などに数多く出演し、タレント・MCとして不動の人気を得る。 『第二回中山秀征書道展』が8月19日(火)~31日(日)、東京都中央区の銀座鳩居堂にて開催中。
1967年7月31日生まれ、群馬県藤岡市出身。84年、渡辺プロダクション(現・ワタナベエンターテインメント)主催の『第二の吉川晃司オーディション』に16歳で合格。85年にお笑いコンビ「ABブラザーズ」を結成。コンビ活動の傍らピンでもドラマ『静かなるドン』や映画に主演し、俳優としても活躍。その後、『DAISUKI!』、『THE夜もヒッパレ』、『ウチくる⁉』、『シューイチ』などに数多く出演し、タレント・MCとして不動の人気を得る。 『第二回中山秀征書道展』が8月19日(火)~31日(日)、東京都中央区の銀座鳩居堂にて開催中。
あの世の両親とは、今のほうがよく話してる!?
――お母さまとお父さまを矢継ぎ早に亡くされたとあって、さぞおつらかったことと思います。
中山さん:もちろん、つらいと言えばつらかったんですけど、なんと言いますか……二人とも後期高齢者を超えていましたし、頑張って生き切ったと思うんです。
それに、もう亡くなった人は帰ってこないじゃないですか。いくら泣いても悲しんでも帰ってこない。ただ、それは肉体が無くなっただけの話であって、自分の中では今も父と母は生き続けています。ですから、後悔の念は消えなくてもそこまでつらくはないですし、寂しくもないです。
実家の仏壇とは別に、僕の家にも両親の写真を飾っているスペースがあるんですけど、毎日お茶をお供えしながら会話をしているんですよ。「今日はこんなことがあったよ」、「今日はこれからこんなことがあるんだ」という感じで。実家を出てから35年経って、また一緒に暮らしているような気分と言いますか。生前は本人たちに話せなかったことまで話しちゃって、喋りすぎることもしょっちゅう(笑)。それを日々くり返しているからか、今は両親をすごく身近に感じますし、人は死んでも終わりじゃないなって思うんです。
――いつも見守られているような感覚でしょうか?
中山さん:そうですね。この世とあの世の関係性なんていうと、少しスピリチュアルっぽい話になってしまいますけれど、常に見守ってくれているような気がしますね。加えて、僕が伝えたいことや想いも届いているじゃないかな、とも。
僕は東京に出てきて、最初から全部うまくいったわけじゃなかった。芸能界に限らず、生きているとたまに悪い誘いがあったり、悪い仲間ができたりすることもあるじゃないですか。でも、僕がその領域に足を踏み入れなかったのは、親の存在が大きかったんです。ラクなほうに逃げたくなることもなくはないけど、そのたびに「これは違うんじゃないか?」「何のために東京に出てきたんだ?」と。親の顔がね、毎回ぱっと浮かんできたんですよ。
今振り返ってみると、生まれてから50年ものあいだずっと見守ってくれていましたし、これからもずっと見守り続けてくれるんだろうなって思っています。
中山さん:もちろん、つらいと言えばつらかったんですけど、なんと言いますか……二人とも後期高齢者を超えていましたし、頑張って生き切ったと思うんです。
それに、もう亡くなった人は帰ってこないじゃないですか。いくら泣いても悲しんでも帰ってこない。ただ、それは肉体が無くなっただけの話であって、自分の中では今も父と母は生き続けています。ですから、後悔の念は消えなくてもそこまでつらくはないですし、寂しくもないです。
実家の仏壇とは別に、僕の家にも両親の写真を飾っているスペースがあるんですけど、毎日お茶をお供えしながら会話をしているんですよ。「今日はこんなことがあったよ」、「今日はこれからこんなことがあるんだ」という感じで。実家を出てから35年経って、また一緒に暮らしているような気分と言いますか。生前は本人たちに話せなかったことまで話しちゃって、喋りすぎることもしょっちゅう(笑)。それを日々くり返しているからか、今は両親をすごく身近に感じますし、人は死んでも終わりじゃないなって思うんです。
――いつも見守られているような感覚でしょうか?
中山さん:そうですね。この世とあの世の関係性なんていうと、少しスピリチュアルっぽい話になってしまいますけれど、常に見守ってくれているような気がしますね。加えて、僕が伝えたいことや想いも届いているじゃないかな、とも。
僕は東京に出てきて、最初から全部うまくいったわけじゃなかった。芸能界に限らず、生きているとたまに悪い誘いがあったり、悪い仲間ができたりすることもあるじゃないですか。でも、僕がその領域に足を踏み入れなかったのは、親の存在が大きかったんです。ラクなほうに逃げたくなることもなくはないけど、そのたびに「これは違うんじゃないか?」「何のために東京に出てきたんだ?」と。親の顔がね、毎回ぱっと浮かんできたんですよ。
今振り返ってみると、生まれてから50年ものあいだずっと見守ってくれていましたし、これからもずっと見守り続けてくれるんだろうなって思っています。
工場経営の父母から学んだ“気くばり”
――今のヒデさんがあるのはご両親の影響が大きいのですね。
中山さん:本当に両親のおかげです。自分が芸能界に入りたくて入って、自分のために努力してきたと思っていたんですけど(笑)、誰に見せたくてやっていたかって、親のためだったんですよ。親が喜んでくれるのがいちばん嬉しかった。そのことにいつ気づいたのかは忘れてしまったけれど、とにかく親を喜ばせたい一心で走り続けてきました。
15歳で親元を離れたので、両親はテレビでしか僕の成長した姿を見られなかった。だから、僕がテレビに出ることが唯一の親孝行だったんですよ。
――可愛いわが子に会える唯一の方法がテレビという…。
中山さん:本当に寂しい思いをさせてしまったと思いますけど、17歳でレギュラー出演した『ライオンのいただきます』は放送が月曜から金曜までだったので、毎日見られるといってすごく喜んでくれました。毎回ビデオにも録画していて、膨大な量のビデオテープが今も残っています。それ以降も出演している番組をすべて録画してくれているので、保管するか廃棄するかが悩ましいところですけど、本当にありがたいと思っています。
――お父さまとお母さまに大切に思われていたのですね。
中山さん:今思うと、自分の意志を尊重し、送り出してくれて本当にすごい親だと思います。子どもが生まれてから、両親の偉大さをより感じますね。
父は真面目で何事もコツコツと取り組むタイプで、兄がそういうところは良く似てる。粛々とできる人でね。僕は母に似たのかな、母は明るくておしゃべりが好きな人で。一見対照的ではあるんですけど、二人ともとにかく面倒見がよくて、懐の深い人でした。
中山さん:本当に両親のおかげです。自分が芸能界に入りたくて入って、自分のために努力してきたと思っていたんですけど(笑)、誰に見せたくてやっていたかって、親のためだったんですよ。親が喜んでくれるのがいちばん嬉しかった。そのことにいつ気づいたのかは忘れてしまったけれど、とにかく親を喜ばせたい一心で走り続けてきました。
15歳で親元を離れたので、両親はテレビでしか僕の成長した姿を見られなかった。だから、僕がテレビに出ることが唯一の親孝行だったんですよ。
――可愛いわが子に会える唯一の方法がテレビという…。
中山さん:本当に寂しい思いをさせてしまったと思いますけど、17歳でレギュラー出演した『ライオンのいただきます』は放送が月曜から金曜までだったので、毎日見られるといってすごく喜んでくれました。毎回ビデオにも録画していて、膨大な量のビデオテープが今も残っています。それ以降も出演している番組をすべて録画してくれているので、保管するか廃棄するかが悩ましいところですけど、本当にありがたいと思っています。
――お父さまとお母さまに大切に思われていたのですね。
中山さん:今思うと、自分の意志を尊重し、送り出してくれて本当にすごい親だと思います。子どもが生まれてから、両親の偉大さをより感じますね。
父は真面目で何事もコツコツと取り組むタイプで、兄がそういうところは良く似てる。粛々とできる人でね。僕は母に似たのかな、母は明るくておしゃべりが好きな人で。一見対照的ではあるんですけど、二人ともとにかく面倒見がよくて、懐の深い人でした。
中山さん:工場には口がきけない人や耳が聴こえない人など障害を持たれている方もいて、母はよく手話でコミュニケーションを取っていましたね。両親ともに障害があっても可哀想な人だと思って接することはなく、他のスタッフたちと区別せずに同じ。僕は幼かったので詳しいことはわかりませんでしたけど、そんな二人をとても尊敬していましたし、誇りに思っていました。
――ヒデさんが“気くばりのプロ”と言われる所以は、そのようなご両親の姿も礎になっておられるのですね。
中山さん:いえ、両親のレベルにはまだ全然追いついていないです。ただ、幼いころから両親の人に対する接し方を見ていたので、世の中にはいろいろなタイプの人がいて、それこそ環境やバッググラウンドも違うし、抱えている問題や悩みも人によって違うっていうことを早いうちに学ばせてもらったというか、背中で見せてもらえたのはありがたかったですね。
父も母も働いているすべての人たちの幸せを願うような人でした。僕もテレビやラジオなどの番組づくりの際には、ゲストの方もスタッフさんもその場にいるすべての人が「あぁ、今日(現場に)来て楽しかったな」って思って帰ってもらえるように、自分なりに声をかけたり、話題を振ったり、協力するよう意識しています。まだまだ足りていないかもしれませんが。
――ヒデさんが“気くばりのプロ”と言われる所以は、そのようなご両親の姿も礎になっておられるのですね。
中山さん:いえ、両親のレベルにはまだ全然追いついていないです。ただ、幼いころから両親の人に対する接し方を見ていたので、世の中にはいろいろなタイプの人がいて、それこそ環境やバッググラウンドも違うし、抱えている問題や悩みも人によって違うっていうことを早いうちに学ばせてもらったというか、背中で見せてもらえたのはありがたかったですね。
父も母も働いているすべての人たちの幸せを願うような人でした。僕もテレビやラジオなどの番組づくりの際には、ゲストの方もスタッフさんもその場にいるすべての人が「あぁ、今日(現場に)来て楽しかったな」って思って帰ってもらえるように、自分なりに声をかけたり、話題を振ったり、協力するよう意識しています。まだまだ足りていないかもしれませんが。
ぐんま大使、書家、そして誇れる父として
――残りの人生でやりたいこと、成し遂げたいことはありますか。
中山さん:たくさんあるんですけど、まずは子どもたちにとって「喜ばせたい」と思ってもらえる存在になりたいですね。
僕は長年親に喜んでもらいたい一心で仕事をしてきましたけど、二人が亡くなって初めて、今度は自分の妻と子どもたちに喜んでもらいたいという思いに変わったんです。だから、今は家族のために、家族が喜んでくれることを最優先に生きているつもりです。
そして同時に、僕が両親に喜んでもらいたいと思って頑張ってきたように、子どもたちにもそう思ってもらえる親でいなきゃいけないな、と。この人のために頑張りたい、頑張らなきゃっていう存在になりたい。父も母もそう思わせてくれる人でしたし、あの親でなければ今の自分はないとも思っています。
中山さん:たくさんあるんですけど、まずは子どもたちにとって「喜ばせたい」と思ってもらえる存在になりたいですね。
僕は長年親に喜んでもらいたい一心で仕事をしてきましたけど、二人が亡くなって初めて、今度は自分の妻と子どもたちに喜んでもらいたいという思いに変わったんです。だから、今は家族のために、家族が喜んでくれることを最優先に生きているつもりです。
そして同時に、僕が両親に喜んでもらいたいと思って頑張ってきたように、子どもたちにもそう思ってもらえる親でいなきゃいけないな、と。この人のために頑張りたい、頑張らなきゃっていう存在になりたい。父も母もそう思わせてくれる人でしたし、あの親でなければ今の自分はないとも思っています。
――ほかにはどのようなことをしたいですか?
中山さん:両親が特に喜んでくれたのが、僕が2008年から務めさせていただいている「ぐんま大使」だったんです。そのほかの群馬関連の仕事も含め、父も母も地元に貢献しているというのが嬉しかったみたいなので、これからもっと群馬に貢献していきたいと思っています。
現在、毎週金曜日は群馬の「fmgunma(エフエムぐんま」で「中山秀征の夕焼けウォンチュ!」っていう生放送のラジオ番組をやらせていただいていまして、群馬に帰ることが増えました。ラジオの他にも最近また群馬関連のお仕事が増えてきたので、ひょっとしたら両親が地元に帰れるように増やしてくれているのかもしれませんね。
それと、10代の頃からずっと書道を続けていまして、毎年個展をしているのですが、これがまた楽しくて。書道以外にもやりたいことがたくさんあるので、“やり残したこと”というより“やっていきたいこと”という意識のほうが強いかな。まだまだ心身ともに元気でいないと! 毎日を全力で生きていきたいです。
中山さん:両親が特に喜んでくれたのが、僕が2008年から務めさせていただいている「ぐんま大使」だったんです。そのほかの群馬関連の仕事も含め、父も母も地元に貢献しているというのが嬉しかったみたいなので、これからもっと群馬に貢献していきたいと思っています。
現在、毎週金曜日は群馬の「fmgunma(エフエムぐんま」で「中山秀征の夕焼けウォンチュ!」っていう生放送のラジオ番組をやらせていただいていまして、群馬に帰ることが増えました。ラジオの他にも最近また群馬関連のお仕事が増えてきたので、ひょっとしたら両親が地元に帰れるように増やしてくれているのかもしれませんね。
それと、10代の頃からずっと書道を続けていまして、毎年個展をしているのですが、これがまた楽しくて。書道以外にもやりたいことがたくさんあるので、“やり残したこと”というより“やっていきたいこと”という意識のほうが強いかな。まだまだ心身ともに元気でいないと! 毎日を全力で生きていきたいです。
――最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。
中山さん:「智慧(ちえ)」という言葉を贈りたいと思います。よく使う「知恵」は学習することで身に付けた知識を生かすことですが、この「智慧」は体験や経験によって得られた気づきや学びを生かすことを意味します。
何事も経験がいちばんです。もちろん机に向かって勉強することも大切なことではありますけど、すべては経験、体験してこそ得られるものがあるというか。経験を重ねていくと、人って否定しなくなるんですよ。やった人にしか語れないことがある、っていうことを知るから。
大切な人とのお別れというのも、経験した人にしか語れないこと、わからないことがあると思うんです。つらいお気持ちの方もいらっしゃると思いますが、この「智慧」を大いに使って生きていきましょう、とお伝えしたいです。
中山さん:「智慧(ちえ)」という言葉を贈りたいと思います。よく使う「知恵」は学習することで身に付けた知識を生かすことですが、この「智慧」は体験や経験によって得られた気づきや学びを生かすことを意味します。
何事も経験がいちばんです。もちろん机に向かって勉強することも大切なことではありますけど、すべては経験、体験してこそ得られるものがあるというか。経験を重ねていくと、人って否定しなくなるんですよ。やった人にしか語れないことがある、っていうことを知るから。
大切な人とのお別れというのも、経験した人にしか語れないこと、わからないことがあると思うんです。つらいお気持ちの方もいらっしゃると思いますが、この「智慧」を大いに使って生きていきましょう、とお伝えしたいです。
~EPISODE:追憶の旅路~
人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
伊香保温泉。群馬には草津温泉や四万温泉など素晴らしい温泉がたくさんありますけど、伊香保は幼少期に父親の会社の社員旅行で何度も行っていまして、思い出が多く詰まっている場所だから。毎晩ね、宴会が楽しみだったの。そこで歌ったり踊ったりすると、みんなが喜んでくれて嬉しかった。浴衣を着て射的をやったのも楽しかったなぁ。
伊香保の石段を見ると、あの頃の記憶が蘇ってきて、毎回幸せな気持ちになれるんですよ。仕事でもプライベートでも何度も行っている場所ではあるんですけど、もし最後に行くとしたら、やっぱり伊香保ですね。
伊香保の石段を見ると、あの頃の記憶が蘇ってきて、毎回幸せな気持ちになれるんですよ。仕事でもプライベートでも何度も行っている場所ではあるんですけど、もし最後に行くとしたら、やっぱり伊香保ですね。
伊香保温泉
伊香保温泉(いかほおんせん)は、群馬県を代表する温泉地で、名湯として知られる。「黄金の湯(硫酸塩泉)」と「白銀の湯(塩化物泉)」を楽しむことができ、昔から当時湯として人気を博してきた。365段の石段は温泉街のシンボルで、両側に温泉旅館や土産物店、遊技場などが立ち並ぶ。
(取材・文/鈴木 啓子 写真/鈴木 慶子)