「父へ、日本へ。氷上で奏でたレクイエム」安藤美姫さん【インタビュー後編】~日々摘花 第64回~

コラム
「父へ、日本へ。氷上で奏でたレクイエム」安藤美姫さん【インタビュー後編】~日々摘花 第64回~
世界を舞台に華麗な演技で人々を魅了してきたフィギュアスケーター、安藤美姫さん。輝かしい競技成績の陰には、幾度もの葛藤がありました。バンクーバー五輪で彼女が選んだのは、モーツァルトのミサ曲《レクイエム》。そこには亡き父へ、そして同じような喪失体験を持つ人々への祈りが込められていました。
プロフィギュアスケーター/安藤美姫さん プロフィール
1987年12月18日生まれ、愛知県名古屋市出身。2002年のジュニアグランプリファイナルにおいて、国際スケート連盟公式大会で女子選手として史上初の4回転ジャンプ(サルコウ)を成功させ、注目を集める。04年世界ジュニア選手権優勝、07年、11年世界選手権優勝。冬季オリンピック2大会出場[2006年トリノオリンピック、2010年バンクーバーオリンピック5位入賞]。11年の四大陸選手権優勝のほか全日本フィギュアスケート選手権で3度の優勝を果たす。13年に現役引退後はプロスケーターとして国内外のアイスショーに出演するほか、振付師や解説者、指導者としても活躍中。

大切な人の死を演じることへの葛藤

――2010年、バンクーバー五輪出場で滑られたモーツァルト《レクイエム》はミサ曲*ですが、お父さまに捧げた作品なのでしょうか。
*ミサ曲……カトリック教会で行なわれる儀式、典礼で歌われる歌で、中でもレクイエムは鎮魂歌とも訳され、死者の魂が安らかに眠れるようにという祈りが込められている。
安藤さん:そう思われた方もいるとは思うのですが、父だけに捧げた作品というわけではないです。

ニコライ先生から《レクイエム》を提案されたとき、最初は「イヤです!」と断ったんです。でも、先生が「ミキはそれでつらい思いをしたかもしれないし、周りから勝手にストーリーを作り上げられて、涙を誘うような扱いをされてきたかもしれないけれど、亡くなったお父さんへの思いはあなたにしか表現できないでしょ」と言われまして。

同じように大切な人を失った人は世の中にたくさんいる。けれども、大きな舞台で大切な人への思いを抱いて滑るのはすごく特別なことで、見た人に思いは絶対に伝わるから「レクイエムを滑れ!」と半ば強引に説得された感じでした(笑)。でも、練習していくうちに先生が言っていたことがわかるようなっていったんです。私の人格を見て、運命を受け入れる覚悟ができていたからこそ、あの曲選びをしてくれたんだと。

――バンクーバー五輪の演技は高貴で崇高で広大で……素晴らしかったです。

安藤さん:ありがとうございます。

普通の曲では観客とコンタクトをとったりして盛り上げるのですが、レクイエムは祈りの曲なので、天とつながるイメージを持って滑るように心がけました。スケートリンクは屋内なので、天井がありますが、その天井がなくてどこまでも高く青い空が広がっていて、その先に大切な人たちがいる、というイメージで滑るようにしていました。
安藤さん父のことに関しては会見の時の怒りの気持ちもあって、楽曲が持つ荒々しさにはぴったりでした。出だしはやや強めの曲調なので、誰もが抱える怒りや絶望のようなものを力強いスケーティングで表現。中盤で急に静かな曲調になるところがあるのですが、そこでは、まずは氷上に全身を横たわらせ、次にゆっくりと身体を起こし、そして静かにひと蹴りひと蹴り氷の上を滑っていく―。大切なものを失った人がどん底からなんとか這い上がり、少しずつ自分の人生を歩み始めるようなイメージで演じました

同じように大切な人を亡くした方から多くのメッセージをいただきまして、この《レクイエム》は私にとっても忘れられない重要な作品のひとつとなっています。

震災直後、日本への祈りが導いた二度目の世界女王

――二度目の世界女王に輝いた2011年の世界選手権は、東日本大震災の直後でした。

安藤さん:あのときは日本全体が悲しみに包まれていました。テレビから流れてくる映像に胸が痛み、練習をしていても気持ちがついていかない日々で、ただ何かしたくて即席の募金活動をしてみたり

私も父との突然の別れを経験していたので、急にご家族を失われた方の悲しみや、やりきれない気持ちはある程度わかりましたし、中には家を失った人がいたり、物資が行き届いていなくて生活そのものが困難になったりした人もいて。こんな大変な時にスケートをしていていいのかと、世界選手権も棄権する方向で考えていたんです。

――そうだったのですね。

安藤さん:でも、そんなときに被災地の方から一通のお手紙をいただいたんです。その手紙には、「世界選手権がもし開催されたら頑張ってきてほしい」と書かれてあって。「美姫さんの笑顔や演技を見て、自分も笑顔になりたい」と。そのときに初めて、自分がスケートをする意味といいますか、人にパワーを与えることができるということを知って、出場することを決めたんです。
安藤さん:それまでは自分のために滑っていたところがあったのですが、このときの世界選手権は、手紙をくださった方、そして日本で応援してくれている人のうち誰かひとりでも、元気になれた、笑顔になれた、と思ってもらえたらという気持ちで、ただひたすら見てくれている人のことだけを考えながら滑りました

――演技を終えたときのことを覚えていますか。

安藤さん:競技用の曲はレクイエムではなかったのですが、リンクに立っていた時間は、祈りそのものでした。技の成否や順位ではなく、「誰かの心に届きますように」という思いだけで滑っていた気がします。点数がどうこうではなく、あの場で滑り切れたこと自体が意味を持っていたと思っています。
――競技後のエキシビションで再び《レクイエム》を披露されましたね。

安藤さん:開催国のロシアが日本のために特別な時間をとってくれました。自分自身の父の死を踏まえたバンクーバーのシーズン以上に、もっと大きな祈りを込められるのではないかと思ったんです。あの状況で《レクイエム》を滑ることには、言葉以上の意味があると感じました。亡くなられた方、残されたご家族、そして日本全体に向けて、祈りの気持ちを込めました

あのときの演技を見て「力をもらった」と言ってくださる方がたくさんいました。私にとっては本当に救いでした。自分が届けたかったものが、ちゃんと届いたんだと思えて。作品を通して誰かとつながることの大切さを実感しました

母としてプロスケーターとして、命の重みを胸に

――現役を引退してから、どんな変化がありましたか。

安藤さん競技を離れてからは、勝ち負けにとらわれずに滑れるようになりました。プロとしてのアイスショーでは、自由に表現できる楽しさがあります。かつては「ジャンプを成功させなきゃ」と常に緊張していましたが、今は音楽や観客とつながる喜びを味わえるようになりました。

――演じるテーマにも変化はありましたか。

安藤さん:今は、作品としてどう届けるかだけを考えるようになりました。滑りを通して人生観や思いを伝えたい、そういう意識が強くなっています。

また、娘が生まれてから、生き方そのものが変わりました。娘がいるから頑張れるし、自分の背中を見せたいという思いが大きな原動力になっています。母親としての経験――喜びや不安、命の重みを感じる日常があるからこそ、氷上での表現も広がった気がしているので、娘には感謝の思いでいっぱいです。
――これからの夢や目標を教えてください。

安藤さん:競技者としてはもうリンクを去りましたが、プロのフィギュアスケーターとしてはまだまだ挑戦したいことがあります。振付や指導を通じて、次の世代にスケートの魅力を伝えていきたい。そして何より、自分自身が氷の上で滑り続ける姿を、子どもにも、応援してくださる方々にも見てもらいたいです。

父の死や東日本大震災を経て、死は誰にでも訪れるものだと実感しました。でもだからこそ、生きている今を大切にしたい。スケートも人生も同じで、今ここで何を表現するか、どう生きるか。それを大切にしながら、生きていきたいと思っています。

――最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

安藤さん私は空が大好きなんです。競技をはじめてからずっと、海外遠征や海外での生活が多かったこともあり、日本は島国なので陸だけ見ると離れてしまっているんですけど、空ではつながっているんですよね。家族は日本にいて海外はひとりで行っていたので、寂しいとき、つらいときはずっと空を見上げていました。空には父もいるので、飛行機で移動するときなんかは、「お父さんの近くにいられる機会が多くてラッキー」と思っていたぐらい(笑)。

悲しかったり、考え込んだり、辛いときというのは、つい下を見がちですが、空を見ることをおすすめします。空を見ようとしたら、自然に上を向けるし、顔が上がりますし、徐々に気持ちも上がります。なので、みなさんにこの言葉を贈りたいと思います。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
現役時代、ニュージャージーのリンク「アイスハウス」に再訪したいです。先日、知り合いから、そのリンクに掲げられたバナーの写真を送っていただいたんですけど、その中に、世界の名だたる選手と並んで、私の名前も残されていたのを見てびっくりしました。
日本の選手だった私のことを、国や所属を超えて「ここで練習したスケーター」として大切にしてくださっている――その事実がとても胸に沁みて、嬉しかったですね。その写真を見て、当時の氷の感触や、支えてくださった人々の顔が一気によみがえりました。
人生の最後に訪れる場所をひとつ選ぶとしたら、私はもう一度あのリンクで、今度は、これまでの感謝の思いを込めて滑ってみたいです。

Ice House of New Jersey(アイスハウス)

※写真協力:Ice House of New JerseyのFacebookより
1996年に、ニュージャージー州のハッケンサックにオープンし、4面のNHL規格リンク(アイスホッケーなど国際規格のリンク)を有する大型スケート施設。主に、フィギュアスケートやアイスホッケーチームで使用されている。同リンクをホームリンクとしていたフィギュアスケート選手に、2002年ソルトレイクシティオリンピック女子シングル金メダリストのサラ・ヒューズや、同じく同五輪のペア金メダリストのエレーナ・ベレズナヤとアントン・シハルリドゼなどがいる。
(取材・文/鈴木 啓子  写真/鈴木 慶子)