「最期までエネルギッシュに!」マッハ文朱さん【インタビュー後編】~日々摘花 第59回~

コラム
「最期までエネルギッシュに!」マッハ文朱さん【インタビュー後編】~日々摘花 第59回~
類まれなスタイルとスター性で、15歳にして女子プロレスラー界のアイドルに登りつめたマッハ文朱さん。引退後は、その明るく、親しみやすいキャラクターで、映画やテレビに数多く出演。主演・助演もできる女優として、バラエティやクイズ番組では人気タレントとしてマルチに活躍してきました。後編では、マッハさんが51歳のときに突然訪れた姉との別れと、大切な人を失ったときの喪失感との向き合い方についてお話を伺いました。

好きな温泉とサウナを堪能して逝った姉

――親代わりでもあったお姉さまとの“お別れ”も突然だったそうですね。

マッハさん:母の最期にも驚きましたが、姉との別れも突然でした50歳手前で乳がんを患ったものの手術と術後の治療がうまくいき、転移せずに寛解。ただ罹患してから6年経った頃、自分の身体に合う自然療法を行う伊豆の療養所を見つけて、頻繁に通うようになりました。その施設には温泉やサウナがあり、1週間泊まり込みで自然療法を行うプラン以外に、宿泊のみの利用も可能でしたので、旅行のような感覚で行っていたようです。

姉は2010年にその施設で亡くなるのですが、その日も旅行日和で気分が上がっていたのか、療養所に行く途中、勢い余って階段を踏み外したようでした。視力がかなり悪いのに眼鏡は嫌だと言って裸眼で生活し続け、時々転倒することもあり、転ぶことに慣れてしまったのかもしれません。

すぐに病院で精密検査を受ければよかったのですが、姉は大丈夫だと思ったのか、顔面血だらけのまま療養所に直行。でも、その姿を見て驚いた療養所の方が救急車を呼んでくださって、ようやく病院へ。頭を強打していたことが死後に判明するのですが、姉はそのことを医師に伝えなかったようで、精密検査をせずに療養所に戻り、いつも通り温泉にたっぷり浸かり、さらにサウナが好きなのでサウナに長く入り……。翌朝、妹が姉の携帯に電話をしてもなかなか出なかったので、療養所の方に見に行っていただいたら、静かに、眠っているように亡くなっていたと。
――大切なお二人との別れによる喪失感は大きかったのではないでしょうか。

マッハさん:母と姉は二人で1本の割り箸のような感じで私と妹を守ってくれました。なので2000年に母が亡くなったときは私よりも姉が落ち込んで大変でした。

姉には「どんなに医療が優れていても治せない病気はある。お姉さんから見れば私たちの努力が足りなかったと思うかもしれないけど、お母さん側から見たら違うんじゃない?」と。母は、願わくば病院で私たちがいる中で逝きたいと日頃から言っていましたし、好きなガウンを着て逝ったわけですから、これ以上のことはないじゃないって。
姉を励ます反面で、泣くのをやめるようには言いませんでした。故人の話をすることが供養に繋がると思うので、三姉妹で泣いた分だけ母は成仏していいところに行けているはずだから、遠慮なく話をしようよって。

悲しみは時が経てば経つほど減ると言われたりもしますが、私はまったくそうは思いません。みな日々生きることに忙しいので、仕事や勉強に集中していたら一瞬は忘れますけど、それは減ることにはならないのではないかと。だから、泣きたいだけ泣けばいいんです

お墓も私たちがすぐに行ける場所に建てました。母は富士山が見えて海が見えるところを希望していたのですが、私たちが母にいつでも会いに行けるよう近くにしてほしいとお願いしました。お墓が近くにあったら、お互い寂しくないんじゃない?って。30年経った今でも、買い物帰りにお墓に寄って「お母さん、元気?」って気軽に声をかけたり、コンビニでおでんを買ってアツアツの状態でお供えしたり、クリスマスの時期にはツリーを飾ったりしています。母はお墓でのご近所さんに「騒がしくてごめんなさいね」なんて謝っているかもしれません(笑)。
ご本人提供:マッハ文朱さんとお母さん

突然の別れに備え、写真や服を整理中!

――お二人との別れを経て、変化したことはありますか。

マッハさん:姉の死をきっかけに、私も突然来るかもしれないその日を想定して、悔いのないように生きたいと思うようになりました。会いたい人には会っておく、行きたいところには行っておく食べたいものは食べておく。それから、家族といろいろな話をしておく

あとは今所有しているものを整理して、自分と人生をシンプルにしておこうと。亡くなったあと、残された家族は手続きがいろいろ発生して、物理的にも精神的にも大変ですから。生前整理はコロナ禍で家にこもっていたときから始めて、いまひと通り終わりました。写真は、貸し出し依頼の可能性がありそうなものとそうでないものを分類し、プライベートのものは娘に捨てていいと伝えています。洋服は着たいものがあればどなたに差し上げてもいいですし、不要なら処分する

最近、亡くなられた方が財産管理をスマホでされていたのに、家族が暗証番号を知らなくて内容を見ることができず、何千万円も相続税の請求が来たというニュースを見たので、暗証番号も書き出してあります。私の場合、何千万円もの請求が来る心配はまったくないんですけどね(笑)。クレジットカードや銀行口座も1つのノートにまとめてあります

「マッハ文朱」という名前に感謝

――今年でデビュー50周年を迎えられました。

マッハさんおかげさまで51年目に入りました。生前整理では、これまでの作品や母たちが残してくれた新聞記事の切り抜き、ビデオ、映画など、多くの方々に取材をさせていただいたインタビュー記録を目にして、「こんなにお仕事をさせていただいていたんだ!」と自分でもびっくりしました。長嶋一茂さんのドラフトのときに、長嶋茂雄さんに唯一インタビューをさせていただいたのが私だった記事まで出てきて、とても感慨深かったですね。

映画も『マルサの女』に出演させていただいたり、『宇宙怪獣ガメラ』では主役をやらせていただいたり。たった3年間弱のプロレスラー人生で、全国のみなさんに名前を覚えてもらい、渡米して20年間日本にいなかったにもかかわらず声をかけてくださる人がまだたくさんいらして。自分で言うのもなんですけど、惚れ惚れするぐらい良い名前だと思っています。一度聞いたら忘れられにくいですしね。「マッハ文朱」という名前に感謝しています

――今後やりたいこと、挑戦したいことについてお聞かせください。

マッハさん:私もいつかエンジェルになる日が来ますので、そうしたらあちらの世界で母に会って、「お母さん、私、こんなに頑張ったよ」と胸を張って言えるような生き方をしたいですね。母には「ご苦労さま、よく頑張ったね」と褒められたい。「お母さーん!」って呼んでも「知りませーん」なんて他人のフリをされるような生き方はしないように(笑)って。

――具体的に取り組まれていることはありますか。

マッハさん:ダンス・レッスンでは、「今日はマッハさんと一緒で嬉しい」「なんか元気でる!」ということを言っていただくこともあり、自分の存在や行動が誰かの活力になれたら本望だと常に思っています。これまで応援してくださった方、支えてくださった人たちへ恩返しすることが、自分の最後の使命です。

それと、4年ほど京都の本屋さんで、月1回お子さま向けの読み聞かせ会をさせていただいていました。東京でも……と思っていたところ、偶然、恵比寿アトレの有隣堂さんで読み聞かせ会をされているのを知り、お店にお電話で直訴。受け口の店長さんが「マッハさん、私ファンでテレビで見てました。ぜひ!」と二つ返事でした。
恵比寿アトレでの読み聞かせ会
――オーラはもちろんですが、行動もエネルギッシュです。

マッハさん母からも体だけじゃなく発するエネルギーが大きいと言われていましたので(笑)、最後の最後までこのエネルギーを使いながら何か人の役に立てることをやり続けたいですね。

母と姉、二人の年齢を超えてしまいました。とにかく元気で、長生きして、二人の分まで生き抜きかなきゃと。今は残された家族にできるだけ負担をかけないような状態にしたいので、今後もっと終活を考えていきたいと思っています。私のセレモニーは、やっぱり笑いがおこる楽しい感じがいいかな。

――最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

マッハさん:一度きりの人生ですから、好きなこと、楽しいと感じることをやって欲しいです。そして自分の直感を大切に。みなさん頑張っていますから、エールを送りたいです。あなたは頑張っています! 偉い! 偉い! きっと大丈夫。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
ニューヨークです。25歳のとき、1週間お休みをいただいて行ったのですが、ニューヨークに来さえすれば、街が私を変えてくれると思っていたら幻想に過ぎなくて……。滞在最終日にミスタードーナツのイラストでも有名なイラストレーターのペーター佐藤さんがエンパイア・ステート・ビルに連れて行ってくださったんです。ビルから街を見下ろしたら、人がものすごく小さく見えました。そのときに、自分が思いきりやりたいと思ってやったところで何の影響もないだろうから、好きなことを存分にやればいいんだと思い至りました。その後ロサンゼルスを拠点にしていたため見られていないので、絶対にもう一度行きたいと思います。

エンパイア・ステート・ビル

ニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区にある地上443.2m、最上階373.2mの超高層ビル。86階にある屋外展望台は世界的にも有名で、窓越しではなく、直接ニューヨークの街を360度一望することができる。また、映画『キング・コング』に登場することでも知られている。

プロフィール

女優・タレント/マッハ文朱さん

【誕生日】1959年3月3日
【経歴】
熊本県出身。13歳のときに『スター誕生!』(日本テレビ系)に出場し、決戦大会に進出。15歳のとき全日本女子プロレスに入門し、リングネーム「マッハ文朱」としてデビュー。モデル並みのスタイルとスター性で、女子プロレス始まって以来の人気スター選手に。WWWA世界シングル王座(第17代)、赤城マリ子とのタッグでWWWA世界タッグ王座(第61代)獲得するなど名実ともに活躍するも2年8ヶ月で引退。タレントに転向後は映画やドラマ、バラエティ、クイズ番組など多岐にわたり活躍した。25歳で休業し、ニューヨークに留学。留学中に知り合った台湾系アメリカ人男性と結婚し、二女に恵まれる。2013年にアメリカから日本に拠点を移し、芸能活動を再開。
(取材・文/鈴木啓子 写真/鈴木慶子)