「1000年後も人に寄り添う音楽を」千住明さん【インタビュー後編】~日々摘花 第67回~

コラム
「1000年後も人に寄り添う音楽を」千住明さん【インタビュー後編】~日々摘花 第67回~
テレビや映画の劇伴から、アニメ、CM、クラシック、オペラ、ミュージカルまで、幅広いジャンルの音楽を手がけてきた作曲家・千住明さん。
家族を自宅で看取り続けてきた千住さんにとって、「別れ」は特別な出来事であると同時に、日常の延長線上にあるものでした。祖父、祖母、父――その経験を重ねる中で、死と向き合う感覚は少しずつかたちを変えていきます。後編では、お母様との別れ、ご兄妹との関係、そしてご自身が見出してきた死の受け止め方についてお話いただきました。
○作曲家/千住明さんさん プロフィール
1960年10月21日、東京都生まれ。音楽の道を志し、慶應義塾大学工学部を中退後、東京藝術大学音楽学部作曲科に入学。同大卒業、首席で同大学院を修了。クラシック音楽を基盤に、ドラマ・映画・舞台など幅広い分野で数多くの作品を手がける。代表作にドラマ『砂の器』『風林火山』『VIVANT』、映画『黄泉がえり』などがあり、繊細で叙情的な旋律で高い評価を受ける。オーケストラ作品やミュージカルの分野でも活躍し、国内外の演奏会でも支持を集める。近年は後進の育成や教育活動にも携わっている。

カーテンコールのように逝った母

――千住家にとってお母様は大黒柱のような存在だったそうですね。

千住さん:ええ。僕も兄の博も妹の真理子も、何かあると必ず母に聞いていました。母はとても感性が豊かで、率直に意見を言ってくれるんです。例えば、大河ドラマ『風林火山』のテーマ曲を書いていた時に最初のデモ曲を聴かせたら、「武田信玄の騎馬隊の馬が走っていない。もっと走らせて」と

作り直した曲を聴かせたら「馬が走っているどころか、馬の耳の穴まで見えた」なんて言ってね。母は文筆家になるのが夢で、本をよく読む人でもあったので、表現がとても豊かだったんです。僕が自宅で仕事をしていたというのもあり、母の相談相手はいつも僕。一番喧嘩もしたけれど、可愛がられてもいたんじゃないかな?

――お母様の最期はどのように迎えられたのでしょうか。

千住さん母は80歳のときに心臓病の難しい手術を乗り越えた後、2011年2月に末期の腎臓がんを患っていることがわかり、2013年6月、87歳で亡くなりました

最後の入院先も「死を待つ人がいる病院はイヤ。未来のある病院がいい」と言ってがん治療に特化した病院やホスピスは拒否。心臓病の手術をしてくださった「南淵明宏先生のところがいい」と言い出しまして、普段は終末期医療やがん治療は行っていない病院なのですが、受け入れていただけました。

そして入院から1週間、危篤の知らせを受けて3人で病院に駆け付けたときのこと。僕らが見守る中で、母の心電図モニターの心音が「ピッピッ」から「ピッ…ピー」と弱まっていき、3人とも最期だと思って「ありがとう」って言ったんです。だけど本人はまだ生きる気だったようで、一度止まったはずの心音が「…ピッピッ」と復活​。みんなで「カーテンコールみたいだね」って。

――本当に。

千住さん:母の人生を讃えるためにパチパチと拍手をしましてね。再び「ピー…」と止まったので、今度こそお別れだろうと思ったら、また「ピッピッ」って(笑)。先生も「心臓は元気ですね」なんて。悲しいはずなのに、笑いの耐えない病室で、何度かこの世とあの世を往復しながら母は旅立ちました

最後は、「次の世界に行けてよかった、おめでとう」みたいな感じで3人ともシャンパンで乾杯しました。献杯じゃなくて、乾杯を。ちょっと不思議な家族だと思われたかもしれません。

“宿命”に教えられた音楽家としての矜持

千住さん:母との想い出はいろいろあり過ぎるくらいですが、ある時ね、真理子がバッハを弾いていたときに母が言ったんです。「芸術は苦しむ人のためにあるのよ」と。

――深い言葉ですね。

千住さん:苦しんでいる人たちのために、演奏する、曲を作るのだ、と。

そのことを僕自身、身をもって知ったのが、TBSドラマ『砂の器』(2004年版)の『宿命』を書いたときです。末期がんの患者さんや人生に疲れた人からお手紙をいただき、そこには「この曲を聞いて、生きる力をもらいました」というようなことが書かれてあって。読みながら、「あぁ、僕はなんて難しい大変なものを職業にしてしまったんだろう!」と思いました。

音楽は、人の最後や大切な時間に寄り添い、人生に影響を与えることができる。だから、僕たちはもっともっと敏感にならなくちゃいけないし、その人の人生を引き受けるくらいの覚悟で曲作りに挑まないとダメ。それこそがアーティストの役目なんだと、40歳を過ぎた頃に思い至った。僕が音楽家になった意味がわかったんです。
――『宿命』は、どのように作られたのでしょうか。

千住さん:映画版『砂の器』(1974年)を2004年にTBSがテレビドラマとしてリバイバルすることになりまして。僕は74年の映画で前編に物語と共に流れた菅野光亮さんが作曲した「ピアノと管弦楽のための組曲『宿命』」を継承し、更に新たな命を持つ全く新しい「ピアノ協奏曲」にしてほしいとオーダーされました。

菅野さんの『宿命』は映像音楽のお手本的作品。前作があれだけ印象的だったので、妥協は許されない。しかし、テレビドラマは制作準備期間が短く、ピアノ演奏の練習をしてもらう時間もほとんど無い。この難易度の高い楽曲を、1週間の準備で弾けるピアニストは羽田健太郎さん(以下「ハネケン」)しかいない、とハネケンさんにお願いし、おかげで様々な人の心に訴えかける協奏曲にすることができました

残念なのは、この『宿命』がハネケンさんの最後のピアノ演奏になったことです。彼は肝硬変の闘病中で、最後の方では全盛期のように弾けなくなっていました。あのハネケンが、とショックでした。

ただ最後の演奏の姿がね、ふと父と重なったんです。父はあれだけ優秀な頭脳であったのに、脳梗塞になり脳が衰えていった、その姿と。

人間ってのは残酷ですよね。頭や指を鍛えて、まるで修行のような努力を積み重ねて全盛期を迎えるのに、そこから能力が失われていく。できることが減る。母の主治医の南淵先生がね、「人も店じまいをしていく」って言っていて本当にそうだなと思いました。

――最後は人も店じまい。言い得てますね。

千住さん:アーティストの旬な時期がいつまでなのか? 僕ら三兄妹だって、いつ神様からもういいよって言われるのかわかりません。あとどのぐらい曲を書くのか。どこまで書けば、神さまはいいよって言ってくれるんだろうか。これはアーティストに与えられた、まさに“宿命”だと思っています。

命を持った音符を書き続けたい

――千住さんは、大切な人の死をどうやって受け止めてきましたか?

千住さん:当たり前に存在するものがなくなるっていうのは……すごくショックだと思います。僕は物理的に考えて、死んだら「無」になると思って生きてきたんですけれど、博や真理子は故人の魂がずっと近くに存在していると信じているんですね。

どちらが真実かは自分が死んだ後でないと解き明かせない。二人が正解だったとしても、ずっと見守っていられたら、ちょっとこっぱずかしいので。ずっとはやめてほしい(笑)。

母たちが側にいるという真理子のヴァイオリンケースの中には、祖父母から両親の写真まで全部入っているんです。彼女は家族の存在を常に感じながら、ヴァイオリンを弾いている​。彼女は自分のルーツを大切にして、それが音楽と向き合う時の勇気になっているんですね。

亡くなった方たちは、皆さんの勇気になる。亡くしたものは二度と現れないから価値があるし、故人は自分にとっての財産なのかもしれません。
――家族を亡くして、生活や創作での変化はありましたか。

千住さん40歳になる時に父が亡くなり、次のことがやりたいと思ったんです。博と真理子は自分自身の千住ブランドで勝負していたけど、それまでの僕は違った。例えば『機動戦士Vガンダム』の曲も作りましたけど、でもそれはガンダムの曲なんです。実用音楽、商業音楽ですから、千住明の音楽じゃない

僕は実用音楽が好きだし、これまでの仕事にも満足している。でも父の死を機に、二人のように「アキラ・センジュ」の音楽を発信したいと思いました。オペラをやったり、博の作品展での曲を書いたり、自分のコンサートもやったりして、芸術家「千住明」を表に出すようになったんです。

母が亡くなってからは、兄妹を想うようになりましたね。母のように二人を心配するようになりました(笑)。それと、これまでずっと助言を求めていた母がいなくなったことで本当の親離れと言いますか、自分が思うように、自由にやっています。

大切な人との別れは曲を作る力にもなっています。祖父が亡くなった時に曲を書いて、真理子がヴァイオリン、僕がピアノを担当して、一緒に演奏して音楽葬にしたんですけど、母も音楽葬で送りました。母には《アンダンテ》という曲を書きました。音楽用語で「歩くような速さ」を意味するんですけど、母が何度もあの世とこの世を行き来してはゆっくり亡くなっていったようなことも含めて、まさに《アンダンテ》だったなと。

――これからの目標や、やりたいことはありますか。

千住さん本心をえぐるような曲を作っていきたいですね。本心をえぐる曲っていうのは、自分の中から出てくるものというか、嘘をつけない曲。あるいは後世のために書く曲です。

博がね、「俺と一緒にやる時は、日本画は1000年残るから、1000年残る曲をかけ」って言うんです。僕も本心をえぐる曲を1000年後の人たちのために書いています。去年も真理子と博と一緒にコンサートをしましたが、芸術家の彼らと並び立ち、後世に残るような曲を書いていくつもりです。

ただ商業ではない芸術のための音楽だとしても、音楽っていうのは、人に聞いてもらって初めて命を持つと思うんです。命を持たない音符を書くのは可哀想で僕は嫌。一部の人たちしかわからないような難しい曲ではなく、簡単でわかりやすく、しかし音楽的にも意味のある曲を書きたいと思っています。
――最後に、読者の皆さんに言葉のプレゼントをお願いします。

千住さん:「ありがとう」という言葉と曲を贈りたいと思います。
少し前に親しい友人を亡くしまして、彼女のために書いたのが《ありがとう》という曲で。この曲を書き下ろしたあと、お別れの会でも演奏したりしていたのですが、最近、ある病院の合唱団であるとか、ホスピスの方であるとか、葬送だけでなくいろいろな場面で歌われるようになってきたんです。

彼らが歌っている映像をいくつか拝見したんですけど、僕がイメージしていた曲よりもものすごく純粋な曲になったと感じました。「めぐりあえてありがとう」「大切な日々をありがとう」「勇気をくれてありがとう」……。みなさんも、大切な人にぜひ「ありがとう」と言ってあげてください

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
そうですね……やっぱり、母がよく作ってくれていた唐揚げですね。僕は、音楽以外に手を使えない妹の分まで母かららレシピを伝授されていて、全部自分で作れるんです。
兄や妹が食べたいというときは、今でも僕が作っています。昔、兄がニューヨークに帰る前に、母が朝早く起きて唐揚げとおにぎりを持たせていました。そういう家族の歴史も含めて、最後に食べたいのは母の味の唐揚げ。きっと、博も真理子も同じことを言うはずです。
右:完成の唐揚げを手にする千住明さん。左:千住家の唐揚げ弁当(写真協力:千住明さん)

千住家の唐揚げレシピ

①鶏肉の脂と皮を全部取る。
②にんにくとお醤油だけで味付け。長く漬けると味が濃くなるので、軽く浸す程度にとどめる。
③お肉に片栗粉を薄くまぶして、植物性の油で揚げていく。ポイントは二度揚げ。一度目は低めの温度で、二度目は高温で揚げる。

母の千住文子さんは元・化学系の研究員で栄養士の資格も持っていたため、衣は薄いのにかりっとヘルシーに揚がる唐揚げが完成した。
(取材・文/鈴木 啓子  写真/刑部 友康)