「ひとりで生きてきた私が、母を見送って」作家・折原みとさん【インタビュー前編】~日々摘花 第66回~

コラム
「ひとりで生きてきた私が、母を見送って」作家・折原みとさん【インタビュー前編】~日々摘花 第66回~
少女小説『時の輝き』『アナトゥール星伝』、少女漫画『るり色プリンセス』などで知られる漫画家・小説家の折原みとさん。『時の輝き』は110万部を超えるベストセラーとなり、映画化も大ヒット。あまりの人気ぶりに、読者世代を「オリチル」(折原チルドレン)と呼ぶ現象まで起きました。
2025年に作家生活40周年を迎え、長く「生」と「死」を描き続けてきた折原さん。同年10月、91歳のお母さまを見送りました。前編では、折原さんが受け止めた“別れのかたち”を辿ります。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

91歳で大往生。苦しまずに逝った母

――これまでに経験された亡くなった方との「別れ」の中で、とりわけ心に残っているのは、どなたとのお別れでしょうか。

折原さん:母です。心に残っているといいますか、実は昨年10月に亡くなったばかりで、今いちばん記憶が鮮明なので。

――そうでしたか。お話しいただくのがつらい時期かと思います。

折原さん:いえいえ。今回このインタビューのお話をいただいて、すごくタイミングがいいなと思っているんですよ。いいな、というのも変ですけど(笑)。でも、今だから話せることもあるかなって
小説家/折原みとさん プロフィール
1964年1月27日、茨城県生まれ。1985年に角川書店(『月刊Asuka』)で漫画家デビュー。87年に小説『ときめき時代 つまさきだちの季節』で作家としても歩みを始め、90年代には小説『時の輝き』『星色の翼』や漫画『るり色プリンセス』『天使のボディガード』などで幅広い読者を魅了、これまでに漫画、小説、エッセイ、絵本など著作は200冊以上に及ぶ。プライベートでは、神奈川県の湘南エリアのほか、故郷である茨城、八ヶ岳、横須賀などで愛犬と多拠点での生活を楽しんでいる。Instagramでは自身の暮らしぶりを発信し、注目を集めている。
折原さん母は91歳で、老衰で亡くなりました。大往生です。闘病生活で苦しむということもなく、自然に草木が枯れていく感じというか……とても穏やかなお別れでしたね。

この10年、母は姉の家族と一緒に住んでいまして、2階に母の部屋があったんですけど、1年前あたりから階段の昇降が難しくなってしまって。それで老人ホームに入居することになりました​。入居する直前は部屋から出るのもままならなくて、姉が食事を部屋まで運ぶという状態でしたので、老人ホームのほうが多くの人と接しますし、少しは元気になるのかな、なんて思っていたんです。スタッフの方がとてもよくしてくださっていましたし、お部屋も広くてキレイで、設備も整っていたので、施設のほうが環境もいいだろうと思っていたんですけど……。

――想定と違ったのですか。

折原さん:冬の間、コロナやインフルエンザのおかげで、面会できない期間が続いたりして。久しぶりに会ったら反応が鈍かったり、生気がなくなっているように感じました。特に今年の夏ごろから、なんとなく今までと違うと感じるようになって。お盆に会いに行ったときは、「これが最後の夏になるかもしれない」と思い、密かに心の準備をしていました。

案の定、9月に入ってからガタッと体力が落ちまして。お年寄りって急激に変わると聞くんですけど、本当に変わるものなんですね。この頃はすでに寝たきりで、会話もあまりできない状態でした。

――最期には立ち会えたのでしょうか。

折原さん:亡くなる前日まで容体は安定していたんですけど、施設のスタッフの方から「ちょっと呼吸がおかしいです」と、姉のところに電話があって、姉が急いで駆けつけたものの、到着したときにはすでに息を引き取っていたそうです。離れて暮らしている私も、もちろん最期に立ち会うことはできませんでした。
折原さん:10月に入ってからはいつ亡くなってもおかしくない状態でしたから、常に心の準備はできていましたし、初旬に会いに行ったときには「ありがとう」って私の中でちゃんとお別れをしていたんですよ。だから、悔いはないですし、今はまだそんなに寂しくもない。

それに、最後のほうは点滴で生かされている感じで、意識もほとんどない状態でしたし、これが長く続いても本人も楽しくはないだろうなって。家族みんなで、「いい死に方だったよね」「大往生だよね」っていう感じで見送りました

これはすごい偶然なんですけど……、ホント笑ってしまうぐらい偶然なんですけど。私も姉も義理の兄も姪も10月に絶対に外せない用事っていうのがいくつも入っていて、しかも空いている日のほうが圧倒的に少なくて、「この日だけは何も起きないで!」って毎日どきどきしながら過ごしていたんです。ところが奇跡的に、亡くなった日も、お通夜も、告別式もみんなが出席できる日だったんですよ。

――すごい偶然ですね。

折原さん:みんなが「ここだけやめてね」って言っていたから、母が察してくれたのかもしれません
葬儀の日は、出棺の前に、ひ孫たちが庭の花を摘んで、棺に入れました。白い菊や百合だけじゃなくて、カラフルなお花に囲まれて、とても綺麗でしたよ。キラキラした秋晴れの日で、和やかな、いいお見送りができました

19歳で上京。離れて暮らす年月が、喪失感を和らげた

――お母さまを亡くされてから間もないですが、喪失感みたいなものはありますか。

折原さん:喪失感は……正直、あまりないですね。

私は19歳のときに漫画家を目指して上京していまして、それから40年以上一緒に住んでいませんでしたから、母が身近にいないのが当たり前という環境でした。年に数回実家に帰っていたので会うことはあったけれど、自分の生活にはほとんど影響がないし、変わらないんです。

なので、亡くなっても「いなくなった」という感覚がなくて、「いると思えばいる」みたいな。自分が想像すれば、これまでと同じように母はこの世に存在するんです。きっと、一緒に住んでいたら喪失感は大きかったように思います。

母はものすごくおとなしい人で、頻繁に電話をかけてきたりすることもなかったですし、話すこと自体もそんなに多くはなかった。もともとコミュニケーションを取ることが少なかったんですよ。
――今たくさんお話してくださる折原先生から、お母さまがおとなしい方だとは想像がつきません。

折原さん:想像つかないでしょう?(笑)

基本的にお出かけもしませんでしたし、母が我が家に来ることはほとんどなかったですね。最後に来たのはいつだろう……? 70歳ぐらいのときに来たきりかも。よく考えたら20年も前ですね。今私が住んでいる逗子と、母が住んでいた茨城はそう遠くはないんですけど、それぐらい外出しない人でした

いつか、ふとした瞬間に喪失感を覚えることはあるかもしれませんが、幸か不幸か、今のところ母に関してはないです。こんなことを言っては、母に申し訳ないけど、一緒に暮らしてきたゴールデンリトリバーたち――初代のリキ丸、2代目のこりきが亡くなったときのほうが、むしろ喪失感が大きかったです。私の場合は、自分の日常にどれだけ入り込んでいたか、によって喪失感の大小があるように思います。

省エネモードな母の満ち足りた人生

――お母さまは、どんな方だったのでしょう。

折原さんとにかくおとなしい人でした。あと、体が弱くてよく寝込んでいましたね。だから、家事をほとんどしなくて、祖母が全部やっていました。

というのも、父は婿養子で、私たちは母の実家で暮らしていたので、祖母が全部やってあげていたんですね。祖母が亡くなってからは父が代わりに、父が亡くなったあとは姉の家で暮らし、姉が身の回りのことをしてあげていたので、母は一生、あまり家事をすることがなく、周りに面倒を見てもらって生きていたという感じ。すごい省エネモードな人生ですよね。姉とは、「だから長持ちしたんだね」ってよく話しています。

――折原さんのInstagramを拝見すると、おしゃれで丁寧な暮らしぶりが素敵で、勝手にお母さまの影響を受けていらっしゃると感じていたのですが。

折原さん:うちの母と、今の自分の暮らしはまったく関係ないです(笑)。本当に家事を一切やっていませんでしたから。

では、何をして過ごしていたかというと、まず思い浮かぶのは読書。姉の家で暮らしていた晩年は、よく読書をしていましたね。あとは編み物をしていたぐらいかな。そんなふうに、ずっとマイペースに生きてきた母ですから、人生としてはそれなりに満ち足りていたのではないでしょうか。

ただ、遺品整理をしていたときに母の日記帳が出てきまして
――日記はドキドキしますね。

折原さん:まだ読み終えてはいないんですけど、すごい秘密が書いてあったらどうしようってドキドキしながら読んでみたら、全然大したことは書かれていなかった(笑)。

今日は何を食べたとか、医者に行ったとか、その日の出来事がほとんどで、たまに感想やその時の自分の気持ちが書いてあるんです。普段から感情を表に出さない人だったので、嬉しかったことや孫が生まれたときの喜びなどがつづられているのを読むと、実はこんなふうに思っていたんだ、こんなことを考えていたんだ、という新たな一面の発見もありました

この先、まだ私が知らない母と出会う可能性があることを考えると、少しだけ楽しい気持ちになれるので、残りのページを1ページ1ページ大切にめくりながら読んでいきたいと思います。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
そのときの体調にもよりますけど、おいしいシャンパンと北海道産の雲丹かな。自宅1階の玄関わきの廊下にバーカウンターを置いているんですけど、そこでゆっくりおいしいお酒を飲むのが至福のひとときなんです。
体調次第で、食べたいものが変わるかもしれないので、もし弱っていたらおいしいお粥を選びそうな気がします。基本的に好き嫌いはなく、お肉も野菜も好きですし、おいしいものなら何でも好き。最期の瞬間まで「これでなければ」と決めつけずに、そのときの自分の身体の声を聞きながら、自然に選べたらいいなと思います。

モエ・エ・シャンドン モエ アンペリアル

1743年に創業者クロード・モエが設立したモエ・エ・シャンドン。メゾンを代表するシャンパン「モエ アンペリアル」は、長きにわたり世界中で愛され続けてきた1本。ナポレオン・ボナパルトが祝杯に用いたことでも知られ、「祝福のシャンパン」として名声を高めてきた。世界各国で流通し、モエ・エ・シャンドンの象徴的存在として位置づけられている。フレッシュでバランスの取れた味わいは、果実味と爽やかな酸味が特長。

Information

折原みと『60代バツなしおひとりさま、毎日ごきげん暮らし』KADOKAWA刊
Instagramでも反響を呼んでいる、折原みとさんのリアルな日常を綴ったエッセイ本。本書では「ひとり=寂しい」ではなく「ひとり=自由で楽しい」を提案。歳を重ねていくことへの不安や寂しさを抱えている人に対し、心を“少しだけ”明るく軽くするヒントを与えてくれる一冊。
(取材・文/鈴木 啓子  写真/刑部 友康)
インタビュー後編の公開は、2月27日(金)です。お楽しみに。