「またあちらの世界で」阿川佐和子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第63回~

コラム
「またあちらの世界で」阿川佐和子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第63回~
作家、エッセイスト、テレビ番組のキャスターなど、八面六臂の活躍をみせる阿川佐和子さん。前編では、父で作家の阿川弘之さんとのお別れ、母とのユーモラスな介護生活を語っていただきました。後編では、喪失体験時の心の持ち方や、ご両親亡き後の阿川家らしい遺品整理、年齢を重ねて変わってきた“葬儀観”についてもうかがいました。

「悲しかった」を忘れる方法

――ご両親との死別を経て、どのように気持ちを整理してこられたのでしょうか。

阿川さん:父と母を亡くした悲しみはありましたけど、それぞれ94歳と92歳で大往生でしたから、「よく頑張ったね」という思いのほうが強かったですね。昨年、闘病中だった兄が73歳で急逝しまして、2歳違いで歳が近いのでさすがに驚きましたけど、年齢的には順番通りなので、「次は私だな」と思ったんです。薄情に思われるかもしれませんが、「またあちらの世界で会おうね」という気持ちで見送りました。また会えると信じていると、自然と心がラクになるんですよ。

でもね、これが10代で親や兄弟を亡くしていたら、きっと衝撃と不安は想像もできないぐらい大きかったんじゃないかな。自分の人生はこの先どうなるんだろう、どうやって生きていったらいいんだろうって途方に暮れてしまう。若くして身内を亡くされた方と比べれば、私は比較的気持ちの整理はしやすかったように思います。
――なかなか気持ちの整理ができない場合、どうしたらいいでしょうか。

阿川さん:どなたが亡くなったかによって喪失感の大きさは全然違うと思うんですけど、ひとつお伝えするとしたら、なんでもいいので“やること”を見つけることでしょうか。仕事でもいいし、趣味でもいいし。特に趣味は何歳からでも始めようと思ったら始められますからね、プロにならない限りは。もちろん、プロになってもいいんだけど(笑)。
阿川さん:5年前ぐらいに旦那さんを亡くした友人の話ですけど、友人は料理研究家、旦那さんはクリエイティブ系の仕事をしていて。子どもたちもだいぶ前に独立していたので、何年もずっと二人きり。だから、旦那さんが亡くなった途端、日常生活にぽかんと大きな穴が空いちゃったって感じがしたんですって。

友人はものすごくエネルギッシュな人なんですけど、そのときばかりはひどく落ち込んだ様子で。気持ちの切り替えが早いタイプなのに、この5年間はずっと悲しい悲しいと言い続けていて、私も少し心配してたんです。

ところが、最近お料理とは別に新しい仕事を始めてすごく忙しくなったようで、久々に会ったら前よりも元気そうだったんですね。彼女いわく、「仕事がなかったら、私、本当に元気が出なかったと思う」と。「人間、やっぱり悲しい悲しい悲しい……!って思っても、あれをやらなきゃいけない、これもやらなきゃいけないっていうことがあると動かざるを得ない。そうしていると、悲しかったことをいっとき忘れていられるのよ」って言っていまして、つくづくそうだなと。

人はやるべきことがあると前に進める。だから、そのやるべきことを見つけて、あえて忙しくしていくことが、気持ちの整理をつけるひとつの方法なのではないかと思っています。

母の遺した着物が、新たな手習いに

お母さまが残された大島紬は、阿川さんと同い年!
阿川佐和子のきものチンプンカンプン』(世界文化社 刊)より
――ご両親が遺された品々の整理も大変だったのではないでしょうか。

阿川さん:弟が中心になって実家の片づけをしてくれたのですが、私にとって特別だったのは母の着物でした。母は結婚してから長く着物で過ごしていて、普段着から特別な一枚まで、たくさんの着物を残していたんです。

畳紙には母の手書きのメモが残っていて、「佐和子が生まれた年に仕立てた」「祖母から譲り受けた」といった言葉が添えられていました。そうした記録を読むと、とても処分できませんでした。中には、父が親交のあった志賀直哉先生の奥様から譲り受けた着物もあり、びっくりしました。もちろん、高価な着物ばかりではなく、大半が普段着でしたけど。サイズも私にぴったりだったので、思いきって自宅に持ち帰りました

――普段から着物はよくお召しになられていたのですか。

阿川さん:それがまったくなんですよ。自宅で着る程度ならどうにかなるんですけど、お出かけするほどの着付けはできなくて。弟からは「どうせ着ないでしょ?」なんて言われましたし(笑)。でも、とりあえず持って帰ってから考えようと思って。

持って帰ったまではよかったのですが、あまりにも膨大な数だったので、すべて取っておくわけにもいかず、どう分別していいのか途方に暮れていたんです。そんなときに、世界文化社の媒体で着物の取材を受けることがあって、「母の着物を譲り受けてきたんですけど、何が着られるもので、これはもう着ないほうがいいというものがわからないから、一度自宅に見にきていただくことはできませんか?」とお願いしたら、着物に詳しい編集者さんがいらしてくださって、仕分けをしてくれたんです。

そこで、初心者の方向けの着物の連載のお話をいただきまして、70歳にしてイチから着付けと着物について学ぶことになりました。
父・阿川弘之さんの着物を羽織りに変えて
阿川佐和子のきものチンプンカンプン』(世界文化社 刊)より
――お母さまの着物をお召しになられているとき、お母さまを身近に感じられるものなのでしょうか。

阿川さん:この着物は母が好きだったなとか、この羽織はよく着ていたなっていう思い出は蘇ってきます。それこそ、この着物は私が生まれたときに仕立てたものなんだ、と考えると感慨深いものがあります。

昔の写真を見返すと、その時期に着るものではない着物を着ている母が写っているものが出てきたんです。着物には、この季節にはこれを着るという約束ごとがあるのですが、合わない気候だったんでしょうね。今のこの時代、9月も10月も夏のように暑い日がありますから、着物にもある程度融通性があっていいんじゃないかと、個人的には思っています。

着物っていうと、すごく難しくて、約束ごとも多くて、着物に詳しい人のお茶会かなんかに行ったときには、この柄でこの帯で、この季節にって言われそうで怖いじゃないですか(笑)。だから、私は厳しい場所にはなるべく近寄らないで、自分なりに母の着物を気楽に楽しんでいきたいですね。

お葬式には、色褪せた関係を結び直す力がある

――“終活”で始めていることはありますか。

阿川さん:しなきゃいけないのに、何もしていません(笑)。ただ、葬儀については少し考えるところがあるんです。今の時代、年賀状も、お中元お歳暮もなんでも面倒くさいという風潮があるじゃないですか。お葬式も、人を呼ぶのもお香典返しも面倒だから、家族だけで執り行うことが増えている。それは、面倒くさがりの私にとっては本当にもっともだと思うんだけれど、お葬式って人と人をつなぐ場でもあると思うんです。

正直、昔はお葬式に出席するのは好きではなくて。あんなにご無沙汰していたのに、その時だけ親しかったみたいな顔をする自分の偽善的な気持ちを披露するっていうのがしっくりこなかったんです。その人が亡くなって本当に悲しいと思うんだったら、家で手を合わせてよっていう考えが若い頃から長らく続いてたんですけど、ある程度年をとって、人様のお葬式に行ったときに、神妙な顔で喪服着て行くのに、「あ~! 久しぶりー!」って言っちゃう人、いっぱいいるじゃない?(笑)

――その光景は結構見かけます。

阿川さん:あるとき、学生時代の友人のお父さまが亡くなったので、同級生たちと葬儀に行って、帰り電車に乗ったんですけど、全員喪服なのにぎゃーぎゃー笑っていたのね。「私たちって相当不謹慎じゃない?」って話したんだけど、お葬式ってそういう力があるんだなって思ったんですよ。

今度飲もうとか、今年こそ同窓会しようっていうと、みんな仕事で忙しいとか時間が取れないとか言うけど、ご葬儀は行っとかないと悪いと思うから、なんだかんだ人が集まる。何年も会わなかった人たちにも会えて、これは故人が集めたのねっていうふうに思ったんです。

お葬式は、故人を見送るためのものではあるけれど、そういう人と人をつなぐ役割もあるんだなと最近気づいたんですね。大変なことも面倒なことも多いけれど、葬儀を執り行うことってすごく大事なことだと思うようになりました
阿川さん:自分の葬儀については、まだ考えられていませんけど、いつか私にも死は訪れます。でもそしたら、あっちでみんなと会える。まあ、お迎えが来るまではね、しばらくこっちで楽しませていただきます(笑)。

――最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

阿川さん「いつも喜んでいなさい。」という言葉を贈ります。これは新約聖書の言葉で、「テサロニケの信徒への手紙第一」の一節「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。どんなことにも感謝しなさい。」に書かれています。

高校の卒業アルバムか卒業文集か記憶が定かではないんですけど、座右の銘を書くことになり、当時は本を多く読んでいたわけではないし、良い言葉も知らないから困ったなと。通っていた中学と高校がプロテスタントのキリスト教の学校で、毎日礼拝があり、たまたま聖書をめくっていたらこの言葉を見つけたんです。

私は絶えず祈ることはできないだろうし、どんなことにも感謝しなさいというのも良い言葉だけれど、そこまで良い子じゃないので違うなと(笑)。でも、“いつも喜んでいなさい”という言葉は私らしいなと思って座右の銘にしました。

生きているとうまくいかなくて機嫌が悪くなったり、イライラしたりすることもあるけれど、自分が喜んでいれば周りの人たちもいやな感情にはならない気がするんです。私はもともと「喜ぶ」、「面白がる」、「笑う」という習性みたいなものがあって、いやなことがあったらすぐに笑いに変えちゃう。何があっても喜んでさえいれば、なんとなく道は拓かれると思います。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
40代のときに両親と3人で行った地中海クルーズです。
父はもともと船旅が好きで、母とよくクルーズ旅行をしていたこともあり、その時は船旅のエキスパートみたいな顔をして、乗船している日本人の方を集めては、2、3日に1回の頻度でトークショーやレクチャーをしていたんです。「なんでもいいから船の中を歩きなさい」「船を自由に楽しみなさい」って。なのに、私が船内を歩き回ると「サワコはどこに行った⁉」ってすぐに騒ぐんですよ。それがあまりにも頻繁だったので、外国人スタッフさんも私の顔を見るなり、「Welcome back ! (おかえりなさい)Your father was looking for you ! (お父さんが探しているよ)」と言うようになってしまったほど。自由に歩けないし、やりたいこともできない旅でしたけど(笑)、それでもすごく楽しかったので、愛しい人と行ったらどれほど楽しいものだろうかと。いつかまた行きたいですね。

クルーズ船旅行の平均日数

世界遺産をはじめ、各地の観光地を訪れるクルーズ船の旅。世界一周は90~180日が一般的で、日本一周でも9~14日ほど必要とみられる。地中海へは空路なら3泊5日程度から行けるが、船旅となると2週間は確保したい。JTBでは空旅併用で、スペインから出発し、フランス、イタリア、マルタ共和国の4カ国を巡る11日間の地中海クルーズが用意されている。
(取材・文/鈴木 啓子  写真/鈴木 慶子)