「自由に、好きに生きる」和田秀樹さん【インタビュー後編】~日々摘花 第58回~

コラム
「自由に、好きに生きる」和田秀樹さん【インタビュー後編】~日々摘花 第58回~
人生の終わりをどう受け入れるのか――。精神科医として長年人の心に寄り添い続けてきた和田秀樹さんに、ご自身の経験を踏まえながら、大切な人との別れや喪失感の受け入れ方などについてお話を伺いました。後編では、和田さんの医師人生を変えた恩師とのお別れや喪失感の受け入れ方などについてお届けします。

喪失体験のうつ病は治りやすい

――若死にほど記憶に残りやすいと伺いましたが、死別に対してどのように気持ちを整理したらよいのでしょうか。

和田さん:誰かに故人を“諦める”お手伝いをしてもらうとか、あるいは「人間は遅かれ早かれ死ぬ」ということを受け入れてもらうとか、そういう話になってくるのでしょうね。亡くなった人はもう帰ってこないという事実は、一般的には時間が解決してくれます。まずはその人が亡くなったという、今の状況を受け入れること。その次のステップとして、その人がいなくても自分が日常の生活を楽しむと意識を切り替える。気持ちを新たに生きていくことで、徐々に喪失感が和らいでいきます

喪失体験はうつ病の原因になりやすいのですが、喪失体験が原因であれば治ることは多いです。
――治ることが多いのですか?

和田さん:一般的にうつ病が治りにくいのは、自分を責めるような思考パターンに陥っている状態の人です。「かくあるべし思考」というのがあって、自分がこれだけの仕事ができなきゃいけないのに、できない自分が情けないとか、介護をずっと頑張り続けてどんどん疲れていくわりに自分が不甲斐なく感じるとか、それこそ、親孝行もしないまま親が亡くなってしまって後悔しているとか……。そのような “~するべき” “~であるべき” という思考の方は、時間が経てば治るというものではありません

一方、喪失型のうつ病の場合は、その状況や環境に慣れるに従ってよくなることのほうが多い。ペットロスなども同じです。ペットロスは代わりのペットを飼うようにすると、大半がよくなる傾向にあります。
――自責が原因でうつ病になった場合はどうしたらよいのでしょうか。

和田さん:まずは、少しでも「あれ?おかしいな」と思ったら医者に診てもらうことです。そしてちゃんと休む。働いている人ならなおさらです。日本という国は、残念ながらうつ病などのメンタル系の病気への理解が乏しい。うつ病になるとたいてい仕事の能率は落ちるので、そうなったときに「お前はダメだ」とか「できない人間だ」という話になりがちです。でもそれは病気のせいであって、能力の問題ではないですよね。ですから、「この人はうつ病なのでストレスには耐えられません」と、病院で診断書を書いてもらって会社を納得させるしかない。どこの会社も労基に睨まれたくないですから、拒否するのが難しい部分もあるでしょう。病院には行きづらいかもしれませんが、早めに受診されることをおすすめします

いい加減な僕を変えてくれた恩師

――お父さまとの「永遠の別れ」以外で、つらかった喪失体験はありますか。

和田さん:つらいとまではいかないけれども、精神科の僕の師匠のような竹中星郎先生が亡くなられたときです。竹中先生は老年精神医学の世界では権威のある医師のひとりで、本当に素晴らしい方でした。もともと僕は映画監督になりたくて、映画制作の資金を作るために医者になったような、いい加減な人間だったんですけど(笑)、そのいい加減な人間がまともな医者になろうとしたのは、竹中先生に出会えたからといっても過言ではありません。

僕はね、大学の医学部の入試試験で面接を行うのは反対。なぜなら、いい先生に出会ったら人間は変われるから。でも、今の医学部の教授たちは、18歳の時の性格は一生変わらないって思っているから面接を行うのでしょう? 教育者であれば、一度は「あんなにひどい人間だったのが今は一人前になった」っていう経験をしているはずなんです。“人は変われる”ということを目の当たりにしていれば、まだ18年しか生きていない子たちを面接で落とそうなんて思わない。「先々この子は変わるかもしれないから、今はちょっと変わっているけどうちの大学で学ばせようぜ」ってなる。そう思える人に教育者になってもらいたい。竹中先生は、そういう意味でも本当に素晴らしい先生でした
――人の可能性を信じられる、人を諦めない先生と出会えたら、確かに人間は変われそうですね。

和田さん:今の日本は、「性格がよろしくない人は医学部に入れてはいけない」という人が圧倒的に多くて、性格は変わらないと信じている。さらに、性格どころか頭の良さも変わらないと思っている。でも、頭の良さも性格と同様に変わります。だって、僕は18歳の頃はすごく勉強ができたから東大の理科三類に入ったわけだけど、いま頭がいいかどうかって……ね?(笑)

――十分ご立派ですが(笑)。

和田さん:大学入学後の学力とか、医師に必要な知識とかっていうのは、学歴で決まるものではなく、その後どれだけ勉強したかで決まるものなのに、結局いまだに僕が東大だからすごいって話になる。それっておかしな話じゃないですか。その後ちゃんと努力してきたのに

精神科医として、長年多くの高齢の患者さんにお会いしてきて、人間は変わるもの、変われるものだっていう強い信念を持っています。だから、変えてくれる人との出会いというのはすごく大きくて。2019年に竹中先生が亡くなった時に、やっぱり……何かあったときに話を聞いてくれる、相談に乗ってくれる人がいなくなるというのは、なかなか寂しいものですよ

世間のイメージではわかりませんけど、僕はそんなに自信家じゃないですから。コロナで渡航の規制がかかるまでは、3カ月に一度はロサンゼルスに行ってアメリカの師匠に精神分析の指導をしてもらったり、月1回は森田療法のセミナーにも行ったりしていて、いまだに勉強し続けています。まだまだ知らないこと、わからないことはたくさんあるし、自信もない。だから、竹中先生がいなくなってしまったのはつらいし寂しいです

墓がなければ作ってもらえるような人間になりたい

「吉田松陰の墓および墓所」(写真協力:一般社団法人萩市観光協会)
――自信がない、というのは意外でした。

和田さん自信はないですけど、悩みはしないですよ。人はみな考え方が違うということが前提にあるから、僕は「絶対にこうしなさい」とは言わない。違う意見があっても排除しません。

日本の医者のよくないところは、血圧が高かったら下げろと命令すること。下げるためには薬を飲むか、塩分を控えるか、お酒をやめるかを選択させ、中には3つとも強制する場合がある。でも、これって本当にその患者さんの残りの人生のことを考えての提案なのかと疑問に思うんです。だって、塩気のある食べ物が好きな人やお酒が大好きな人は楽しみがなくなってしまいますよね?

薬だって、飲んだらふらつくからイヤだっていう人もいるでしょう。人によっては、残りの人生がつらくて味気ないものになってしまうかもしれない。ですから、僕はこうしたほうが多分いいだろうと思うことは言いますけど、それに従わないとダメだとは思わないし、強制する気はないです。
――医療分野以外でもご活躍ですが、今後やりたいことについてお聞かせください。

和田さん:頼まれごとはなるべくやめよう​と思っています。嫌われるかもしれないけど、自分が楽しいかどうか、面白いかどうかのほうが絶対大事だと僕は信じている。お金がいつまで続くかわからないし、いつ売れなくなるかはわからないですけど(笑)。

売れるかどうかは、才能が枯渇する云々よりも、ライバルが出てきたら危ないかな。でもね、僕のような考え方をしている人は少なくないはずなのに、なぜかマネする人が出てこないんですよ(笑)。受験勉強法の本を書いていた頃は結構マネする人が出てきたのに。高齢者医療の分野でライバルが出てこないと、自然と生き残れるっていう便利さはあるのでいいんですけど。

これは葬儀会社にとっては邪魔な話なのかもしれないけど、僕はお墓はいらないと思っているんです。いらないというか、この少子化社会で、100年後、自分のお墓を監理してもらえると考えるのは甘い気がして。というのも、この間、荏原中延 (えばらなかのぶ)にある好きなラーメン屋に行ったとき、2時間待ちというので整理券をもらって時間つぶしに池上本門寺に行ったんです。そこに力道山のお墓があって、今でも訪れるファンがいるんですよね。

要するに、自分で墓を立てて子孫に来いって押し付けるのではなく、自らお墓に行こうと思ってもらえるかどうかのほうが大事だなと思って。吉田松陰なんて、死刑になった当時はお墓を作ってもらえなかったのに、今では2つも建ててもらえて観光地にもなっている。松陰じゃないけど、後世の人が勝手に「和田秀樹の墓」を作ってくれるような人間にはなりたいと思います(笑)。
――今日の取材の記念に、お好きな言葉を色紙にいただけますか?

和田さん「自分を信じよ」! これに尽きます。そして、くり返しになりますが、自分が好きなこと、楽しいと思うことを、周囲の目を気にせずに自由に、自分を信じて精いっぱいやったらいいんです。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
再訪するよりも、行ったことのない場所に行きたいですね。サグラダファミリアなどの歴史的建造物で、まだ見たことのないものを一度は見てみたい。南の島のリゾートで過ごすというよりは、そういう旅をしたいです。

しいて再訪したい場所を挙げるなら、プーケットのアマンプリ。先の話と矛盾してリゾートですけどね(笑)。今すごく人気で、ホテルズドットコムのような予約サイトだと全然取れなくて。ホテルの公式サイトから予約すれば取れるのかもしれないけれど。できれば近いうちに行きたいです。

アマンプリ

アマンプリはサンスクリット語で「平和な場所」という意味。今や世界20カ国35施設のラグジュアリーなリゾートホテルを擁するアマンリゾーツの、初のリゾートホテル「アマンプリ」は、1988年、タイ・プーケットにオープンした。エントランスやレストランは、タイの古都・アユタヤの建築様式で統一され、美しい木材はタイ国内産のものを使用。タイの魅力が詰まった、高級リゾートホテル。

プロフィール

精神科医/和田秀樹さん

【誕生日】1960年6月7日
【経歴】
1960年、大阪府生まれ。東京大学医学部卒業、同大学附属病院精神神経科、老人科、神経内科での研修、米国カール・メニンガー精神医学校の国際フェロー、高齢者専門の総合病院である浴風会病院の精神科などを経て、現在、川崎幸病院精神科顧問、一橋大学経済学部・東京医科歯科大学非常勤講師、和田秀樹こころと体のクリニック院長、立命館大学生命科学部特任教授を務める。
主な著書に『80歳の壁』『ぼけの壁』(幻冬舎新書)、『テレビの大罪』(新潮新書)、『受験は要領』(PHP文庫)、『大人のための勉強法』『老人性うつ』『老いの品格』(PHP新書)『70歳が老化の分かれ道』(詩想社新書)などがある。
(取材・文/鈴木 啓子  写真/刑部 友康)