幸せを祈り続ける「即身仏」。歴史や実際に見られる場所は

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幸せを祈り続ける「即身仏」。歴史や実際に見られる場所は
即身仏とは、世の平安を祈るために自分の身を捧げ、厳しい修行を耐え抜き仏となった僧侶の姿です。江戸時代に最も信仰されていましたが、その厳しすぎる修行は現代の法律には抵触する可能性もあります。本記事では、即身仏の歴史や修行内容、似ているようで大きく異なるミイラとの違い、実際に即身仏が見られる寺院を紹介します。

人々の幸せを祈る「即身仏」とは

即身仏とはいったい何でしょうか。言葉の意味と、即身仏の始まりから現代に至るまでの歴史を紹介します。

即身仏とは僧侶が命と引き換えに仏となった姿

飢餓や病に苦しむ人が多くいたその昔、人々の苦しみを代わりに引き受け、世の中の平穏を祈るために自らの命を捧げたのが即身仏です。過酷な修行を積むことで自身の体をミイラ化し、その結果現代もそのままの姿で残っています。今でも仏として各地の寺院などで崇められています。

日本最古は室町時代のもの

即身仏が信仰され始めたのは、室町時代から江戸時代にかけてという見方が有力です。現存する日本最古の即身仏は、新潟県にある弘智法印(こうちほういん)即身仏で、室町時代前期に修行を積んだものと見られています。その他の即身仏は、江戸時代ごろに修行を積んだ形跡のあるものが多いです。

現代では法律に抵触する可能性が高い

明治時代に法律が変わり、即身仏となるための修行のいくつかが自殺行為に等しいものと見なされています。そのため現在は即身仏になろうとすると、法に触れる可能性が高いのです。具体的には、自殺や自殺幇助の罪などで罰せられる可能性があります。

「即身仏」への過程

即身仏になるためにおこなう「木食行・木喰行(もくじきぎょう)」や「土中入定(どちゅうにゅうじょう)」といった修行の内容、そしてその後の安置方法を解説します。また修行に失敗した場合、僧侶はどうなるのかについても併せて説明します。

1.「木食行」で体を作る

まずは即身仏となるための体作りに必要な、「木食行・木喰行(もくじきぎょう)」と呼ばれる修行をおこないます。1000日~5000日かけて山に籠り、米・麦・豆・ヒエ・粟などの五穀・十穀を断つのが基本です。その間は山の木の実や草を食べて過ごし、腐敗の原因となる脂肪を削ぎ落していきます。

2.「土中入定」で仏となる

次に「土中入定(どちゅうにゅうじょう)」に移ります。これは仏の姿となるために必要な、特に過酷な内容の修行です。必要な工程は下記の通りです。
  1. 体の腐敗を防ぐために漆などを飲む
  2. 座禅を組んだ状態で、木箱の中に入る
  3. 箱に入ったまま、地下3メートルほどに作った石室に埋められる
  4. 石室の中で断食をおこないながら、読経をし続ける
石室には外とつなぐ穴が開けられていて、読経をしている間、鈴を鳴らして外にいる弟子たちに存命であることを伝えます。鈴の音が聞こえなくなると、成仏したと考え弟子たちによって穴が塞がれます。

3.1000日後に祀られる

成仏してから1000日後にあたる3年3ヶ月後に、石室から掘り起こされます。そして体が腐敗していなければ、衣を着せるなどの処置をして厨子(ずし)と呼ばれる箱に安置され、即身仏として寺院などに祀られることとなります。

即身仏になれなかった場合

修行が過酷すぎて途中で断念したり、多湿な地域では腐敗が進みやすかったりと失敗した例も少なくなかったようです。
石室から掘り起こされた際に、白骨化していたり腐敗が進んでいたりした場合は、寺院には祀られずに無縁仏として葬られていました。また、掘り起こす前に弟子が修行の場所を変え行方がわからなくなったり、即身仏があるのを忘れてしまったりという例もあったようです。仮に偶然掘り起こされても、僧侶の身元が分からない場合には無縁仏として供養されていました。

「ミイラ」と「即身仏」との違い

一見似ている即身仏とミイラですが、その姿に至る過程やこめられた意味は全く異なります。即身仏とミイラとの違いを説明します。

ミイラ:病気や事故が原因の遺体

ミイラとは、生前に近い形で残された遺体を指します。人が病気や事故で死亡した後、予め脳や内臓を抜き、乾燥・防腐処理など人工的な加工処理を施したものや、死後に気候や風土により白骨化されず、自然にミイラ化したものもあります。古代エジプトでは、来世で復活するには肉体が必要と考えていたため、遺体をミイラにすることで後世まで遺そうとしたようです。
なお、ミイラについては下記の記事でより詳しく解説していますので、興味のある人は併せて読んでみてください。

即身仏:自らの意思で成ったもの

即身仏は、人が修行により生きながらに形状を留め自然乾燥することで完成します。世に起こる不条理から人々を救うために、自らの意志で厳しい修行に耐え抜き、悟りを開いた姿こそが即身仏で、自らの意思で成ったところがミイラとは大きく異なる点です。

「即身仏」が安置されている寺院

最後に、即身仏を拝める有名な寺院を紹介します。それぞれ特色があるので、お参りの際には歴史や時代背景を感じながら拝むと、より理解も深まるでしょう。

「西生寺」日本最古の即身仏が拝める

新潟県長岡市にある「西生寺(さいしょうじ)」に安置されているのが、先述の日本最古と言われる弘智法印の即身仏です。弘智法印は鎌倉時代に生まれ、全国行脚しながら各地で寺院を建立しました。さらに高野山で修行を積んだのち高齢でも旅を続け、仏教の教えを広めました。現存する即身仏のほとんどは江戸時代のものとされていますが、弘智法印即身仏は唯一、室町時代に修行を積んだものとみられています。

「観音寺」日本最後の即身仏を祀る

新潟県村上市の「観音寺」に安置されているのが、仏海上人(ぶっかいしょうにん)の即身仏です。法律が改正される直前の明治36年に入定したとみられ、日本で最後の即身仏とされています。変換する時代の狭間で修行を積んだため、数奇な運命を辿ることとなりました。
まず仏海上人は即身仏となるため、「木食行」の厳しい修行を積みましたが、「土中入定」をする頃には法律が変わっており、入定を止められました。そのため実際に息を引き取ったのはお寺の中で、その後に弟子たちによって穴に埋められました。そして本来は3年後に掘り返されるはずでしたが、墓から掘り起こすことも法律違反となってしまったため、実際に発掘されたのは昭和36年7月になってからです。

「海向寺」全国で唯一2体の即身仏が並ぶ

山形県の庄内地方には6体の即身仏があり、そのうちの2体があるのが「海向寺(かいこうじ)」です。ここには忠海上人(ちゅうかいしょうにん)と円明海上人(えんみょうかいしょうにん)が安置されており、全国で唯一、2体並んだ即身仏が見られます。入定したのはいずれも江戸時代ごろと考えられています。即身仏だけでなく、両上人に関する遺品や資料が納められているのも見どころです。

「本明寺」保存状態の良い即身仏が見られる

山形県の庄内地方にある即身仏の中で最古ながら、保存状態の良い即身仏が拝めるのが「本明寺(ほんみょうじ)」です。安置されているのは本明海上人(ほんみょうかいしょうにん)で、損傷が少ないのは徹底した「木食行」の賜物と言われています。即身仏を祀るお堂の隣には入定塚まで残っています。

「即身仏」の祈りは現代まで受け継がれている

現代では、即身仏となることは法律に抵触する可能性があります。しかし、かつて人々の苦しみを代わりに引き受けるという祈りを捧げ、辛く厳しい修行を耐えたその想いは、現代の人々にも通じるものがあるでしょう。機会があれば、実際に目にしてその思いを感じ取ってみてください。