【無知の知】ソクラテスの死生観。名言から生き方を学ぶ

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【無知の知】ソクラテスの死生観。名言から生き方を学ぶ
ソクラテスは古代ギリシアの哲学者です。哲学の父や哲学の祖と呼ばれ、「無知の知」の概念や「問答法」という思考法のほか、数々の名言を残していることでも知られています。彼の名言は人生をより善く生きるためのヒントに満ちています。本記事ではソクラテスの一生や名言、死生観について解説します。

数々の名言を残したソクラテスとは

ソクラテスは「人間はどう生きるべきか」について深く考えた始めた最初の人と言われています。自身の著書はなく、弟子の著書によって思想や人物像が後世に語り継がれています。こちらではソクラテスの概要を見ていきます。

「哲学の父」と呼ばれる

古代ギリシアに生まれたソクラテスは、西洋哲学を本格的に探究し始めた人とされ、「哲学の父」や「哲学の祖」と呼ばれています。ただし、このニックネームはいろんな哲学者に付けられています。また、釈迦、孔子、キリストと並び「四聖(四人の聖人)」の一人です。

ソクラテスの思想は他人の著書で明かされた

ソクラテスの著書は残っていません。そのため、彼の思想や生涯については、友人・知人の書物から読み解くことになります。中でもソクラテスを師と仰ぐプラトンが書いた『ソクラテスの弁明』が有名です。

ソクラテスの一生

青年期までは平穏な日々を過ごしたソクラテス。人生後半は、戦争勃発や裁判での死刑求刑など、波乱万丈だったようです。名言が生まれる背景として、彼の一生を見ていきます。

BC460年頃に古代ギリシア都市アテナイに誕生

ソクラテスは紀元前460年頃に、古代ギリシアの都市国家アテナイ(現・アテネ)で誕生しました。そして生涯のほとんどを、地元で過ごしたと言われています。

平穏な青年期

ソクラテスの青年期は、政治家・ペリクレスが活躍した時代。当時、アテナイは民主政治が最盛期であったと言われています。その平穏な地で青年期のソクラテスは自然科学などを学んだとの説が残っています。

40歳頃からペロポネソス戦争に3回従軍

ソクラテスが40歳前後の頃、アテナイとスパルタの間でペロポネソス戦争が起きます。自身も50歳までの間に3回従軍したとされています。
戦争に敗れたアテナイは親スパルタ派の30人による「三十人政権」に実権を握られました。その指導者であったクリティアスがソクラテスと親しい関係だったため、アテナイ市民の中にはソクラテスに対して不信感を抱いている人もいたそうです。

70歳で死刑宣告

ソクラテスは70歳のとき裁判にかけられます。その理由は、「国家の信仰と異なるものを信じ、若者に悪い影響を与えている」というものでした。彼は裁判で罪を認めませんでしたが、陪審員たちの多数決により、死刑を求刑されることに。
判決後、彼は友人のクリトンから外国への逃亡を持ちかけられましたが、拒否したとのエピソードが残っています。そして逃亡しないまま、最後は刑を受け入れ、自ら毒を飲み生涯の幕を閉じました。

生きるヒントになるソクラテスの名言

ソクラテスは一生を通し、生き方について追及していました。そこから「無知の知」や「徳は知である」などの考えに辿りつき、数々の名言が生まれました。こちらでは、彼を語る上で外せない言葉や名言の意味を解説します。

「無知の知」

「無知の知」(または「不知の自覚」)とは自分に知識がないことを自覚するという概念です。「自分に知識がないことに気づいた者は、それに気づかない者よりも賢い」ということを意味しています。「無知の知」の想起は、あるできごとがきっかけとなりました。ある日、友人のカイレポンから「アテナイにはソクラテスより賢い者はいない」と神託があったことをソクラテスは聞きます。
自分が一番の知者であるはずがないと思っていたソクラテスは、神様が何を自分に伝えようとしているのか、その真意を確かめる行動に出ます。アテナイの知識人たちに問いかけを繰り返し、相手の知恵を確認するというものです。このとき彼が用いた方法を問答法と言います。そして「知恵があるとされる者が、必ずしも本物の知恵があるわけではない。知らないことを自覚している自分の方が彼らよりは知恵がある」と気づいたとされています。

「善く生きる」

「内面を善くする生き方をすれば、魂が良くなる」と考えていたというソクラテス。その考えから生まれたであろう以下のような名言が、プラトン著の「ソクラテスの弁明」「クリトン」などに記されています。
  • 一番大切なことは単に生きることそのことではなくて、善く生きることである
  • より善く生きることと美しく生きることと正しく生きることとは同じだ
  • 人はどんな場合にも不正を行ってはならない

「徳は知である」

ソクラテスは「徳は知である」または「知徳合一」と呼ばれる考えにたどり着きます。この「徳は知である」の「徳」は人間の魂の良さ、「知」はなにが良くて、なにが悪いかを判断する正しい知識を意味しています。
彼は「正しい知識を持つことは徳である」「善い生き方をするには、善悪を判断できる正しい知識を身に付けることが必要」と考えました。そして人間が罪を犯すのは、本当の意味で「悪いこと」と判断できる正しい知識がないからだとしています。また、他の知識よりも善悪を判断する知識を価値があるものと彼は考えていたそうです。

「汝自身を知れ」

「汝自身を知れ」はソクラテスの言葉として紹介されますが、諸説あります。デルフォイにあるアポロン神殿の入口に刻まれている言葉で、彼の座右の銘としてよく使っていたとの説が残っています。
古い言葉なのではっきりとは分かっていませんが、ソクラテス由来説では「自分に知識がないことを自覚し、正しい知識を得て行動する」という意味に解釈されます。神殿の表札としては「自分が人間であることを自覚し、神の領域に入るように」という警告を発するものです。

ソクラテスの名言から死生観を紐解く

裁判で死刑を求刑されたソクラテスでしたが、死を前にしても自分の信念を貫き通したそうです。彼がどのような死生観を持っていたのか、なぜ無実を主張したにもかかわらず死刑を受け入れたのか詳しく解説します。

死は悪か福かは分からない

『ソクラテスの弁明』では、ソクラテスは死刑が確定した後、裁判官に対して「誰もが死や死後の世界のことを知らないのに、死を悪の最大のものだと恐れるのは賢人を気取ることだ」と語ります。
「死とは人間にとって福の最上なるものかもしれない。しかし、それを知っている人はいない」と続けます。さらには、「神に背くことや不正は恐れるが、良いことか悪いことかわからない“死”は恐れない」と告げています。

死から逃れたい気持ちは病

『パイドン』の中で、ソクラテスは死の直前、友人のクリトンに「クリトン、我々はアクレピオスに雄鶏一羽の借りがある。これを返してくれ、忘れないように」と語ります。アクレピオスとは治癒(医学)の神のことです。この言葉はソクラテスの遺言と捉えられ、後世の哲学者や研究者がさまざまな解釈をしています。最も有名なのは、生はそれ自体が一種の病であり、死はその病を治癒すること、だから治癒の神に感謝するというものです。
また、死刑から逃げたい気持ちを病に例えて、死刑を受け入れれば病が治癒すると考えたとの説もあります。これに対しては「死は恐れない」と語っていたソクラテスらしからぬ言葉とも指摘されています。

ソクラテスの名言から生き方のヒントを

はるか昔に生きたソクラテスが残した言葉やその死生観は、現代を生きる私たちにも通じるものがたくさんあります。プラトン著の『ソクラテスの弁明』は難解ですが、会話劇調で読みやすいです。文庫本などで50ページ強と短時間でも読めるので、一度ゆっくりソクラテスの名言や思想に触れてみてはいかがでしょうか。