「“生きていて当たり前”にならないほうがいい」為末大さん【インタビュー後編】 ~日々摘花 第4回~

コラム
「“生きていて当たり前”にならないほうがいい」為末大さん【インタビュー後編】 ~日々摘花 第4回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

本編は、第4回のゲスト、元陸上選手・為末大さんの後編です。
前編では、おばあ様やお父様との別れや、別れを通して再発見した家族との関係性についてお話いただきました。後編では「死」にまつわるお考えをうかがいます。現役時代「走る哲学者」と呼ばれた、為末さんならではの多角的な視点をご堪能ください。

「死」を意識する機会が増えると、人生がシンプルになっていく

−−新型コロナウイルス感染症の感染拡大の影響で、これまでよりも「死」を意識する機会が増えたという方も多いようです。この状況について、どうお考えになりますか?

為末さん:僕の場合は、子どものころから「死ってなんだろう」「いずれ死ぬのに、生きるのはなぜなんだろう」と考えることがよくあって、人が「死」を意識すること自体は、ネガティブなことではないと捉えています。むしろ、社会において「死ぬこと」についての観念が薄れるのは、「生きること」への意識が薄れることでもあるんじゃないかな。

競技の世界でこんなことがよくあります。学生時代は時間がふんだんにあるので練習を無制限にできますが、社会人になるとたいていは仕事があるので、学生時代の半分くらいの練習時間になるんですね。ところが、ここを境に競技力が伸びる選手が結構いるんです。そういう選手の多くが「時間が有限であることを意識して、一番大事なことだけをやるようにしたら伸びた」と自己分析しています。

つまり、「メメント・モリ(死を想え)」ではないですが、「死ぬこと」が近くにあることの意味は、人生の有限性を意識すること。有限である人生をどう生きるかを考える、ということです。そこから、おのずと優先順位が生まれ、自分にとって大事なことと、「これはもういいや」と思うことがわかれていく。「死」を意識する機会が増えると、ある種の「断捨離」的な価値観が生まれて、人生がシンプルになっていくという現象が起き得るんじゃないかと思います。

近しい人を亡くしたときの喪失感は、身体の一部をなくした痛みに似ている気がする

−−「死」を意識する機会が増えると、人生がシンプルになっていく。面白い考え方ですね。

為末さん:一方で、「死を想う」というのは、亡くなった方を想うという側面もありますよね。そのときの痛みというのは、ある意味、身体の一部をなくしたときの痛みに似ているような気がするんです。

−−身体の一部、ですか。

為末さん:社会の最小単位は「個人」か「家族」かという話があり、西洋では前者だと言われますが、僕は「個人」だという感じがしないんですね。血縁関係でなくてもいいけれど、「個人」ではないものが最小単位だという気がしていて。

心理学者の河合隼雄さんもご著書の中で、同じようなことを書かれていました。カウンセリングをするときに、すべての人間には光と影があり、それを個人単体で見ようとしても限界があると。家族など周囲の人たちとも話をしないと、個人のここに顕在化している問題がどこからやってきているのかがわからないケースが多いそうなんです。

同様に、自分というものを構成する一番小さな単位が何かを考えたときに、どうしても自分の身体だけで閉じている感じがしません。周囲の人たちを含めて「自分」だとすれば、近しい人が亡くなったときに、「右足を失いました」ということに近い痛みがあるというのも、それほど誇張した表現ではないように思います。

大切な人を亡くした喪失感からの回復と、身体の喪失からの回復のプロセスも似ている気がしています。喪失直後は強い痛みがあり、その後しばらくは日常に適応していくための苦しみが続くけれど、最終的には喪失を受け入れ、回復していく。僕自身の経験で言えば、父を亡くした時はこのプロセスがスポンとはまって、今は自分の中に父の存在がちょうどよくおさまっている感じです。母親との関係は父に比べて身体的に近い感じがあるので、母が亡くなった時は、父の時とはまた違う葛藤があるかもしれません。

−−身体と喪失の痛みの関係性、これも為末さんならではの視点という気がします。

為末さん:ただ、「自分」の範囲が個人で閉じているかどうかというのは、文化による影響も大きいですよね。欧米の場合は長い歴史の中で個人主義が形成されてきて、子どもも早い段階から個室でひとりで寝かせますが、日本では小学生になっても親子川の字で寝ることが珍しくなかったりする。この違いが影響しないはずがないと思います。そうなると、文化圏によって死の捉え方も違ってくるのかなと考えたり、「死」というものに対する関心は尽きないです。

「生きる」がデフォルトになるって、あまりいいことじゃない

※写真はイメージです
−−先ほど、子どものころから「死」について考えることがよくあった、とおっしゃっていました。なぜだったのでしょうか。

為末さん:広島で生まれ育った影響もあるかもしれません。原爆に関連して、たくさんの人たちが一瞬にしてたくさん亡くなるという話を幼いころから聞いていましたから。ただ、何と言うか、死を考えることって生きることを考えることでもありますからね。「死」というのは僕にとってずっと重要視しているテーマです。「死」に関する本も昨年だけで10冊くらい読みました。

−−印象に残っている本を教えていただけますか?

為末さん:有名どころでは、全米で90万部のベストセラーになった『死すべき定め 死にゆく人に何ができるか』(アトゥール・ガワンデ著)かな。アメリカの現役外科医が医療の限界について書いた本なのですが、最期まで自律と尊厳を持って生きるにはということが描かれているんですね。

「死は医療の敗北」と言われ、医療は生を求めて全力を尽くすんだけれども、終末期を迎えた時に人に必要なのは医療だけなのか。死を受け入れることによってできること、より豊かに生きられることもあるんじゃないかということを問いかけていて。著者がインド系アメリカ人なので、アメリカ的な死の捉え方に対す彼の感じ方も興味深くて、いろいろと考えさせられました。あとは、定番ですが、エリザベス・キューブラー・ロスの『死ぬ瞬間―死とその過程について』は20代のころからずっと本棚にあります。僕の本棚、暗いですよ。

−−(笑)。

為末さん:今の時代は死を忌み嫌う風潮がありますが、死を忌み嫌うと、「生きること」を生き生きしたものではなくしてしまう気がします。そういう意味で僕自身は「生」と「死」をシームレスに捉えていて、「死を考えること」への抵抗感がないから、「死」に関する本を読めるのかもしれないです。

「生きる」がデフォルトになるって、あまりいいことじゃないんじゃないか、という思いがあります。「生きていて当たり前」にならないほうがいい。

−−確かにそうですね。最後に、読者に向けてお言葉をひとつ、いただけますか?

為末さん:「やりたい事をやる!」です。

−−ご自身は今、やりたい事をやれていますか?

為末さん:それは、もう。明日死んでも悔いがないくらいです。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
「余命1カ月ならどう過ごすか」というのは、よく自分に問う質問です。結論から言うと、どこにも行かず、最後まで淡々と家族との生活を過ごしたい。ただ、出身地の広島に戻り、瀬戸内海のそばで過ごすのはいいかもしれないですね。いずれにしても、どこかに出かけるという感じではないです。

瀬戸内海の海

広島市佐伯区の五日市という町で育った。瀬戸内海に面し、背後には山々を控える。「実家も海の近くです。父は海がすごく好きで、釣りに行ったり、磯遊びをしたり、週末になると海で何かをしていました。その影響でしょうか。僕は陸上選手としてずっと陸にいましたが、40歳を過ぎたころから海への思いが強くなりました。理想を言えば、最期の瞬間だけは海の上にいたい。海洋散骨してもらうのもいいかもしれないなと考えています」と為末さん。
※写真はイメージです

プロフィール

元陸上選手・為末 大さん

【誕生日】1978年5月3日
【経歴】広島県生まれ。法政大学経済学部卒。スプリント種目の世界大会で日本人として初のメダル獲得者。男子400メートルハードルの日本記録保持者(2020年10月現在)。現在は人間理解のためのプラットフォーム「為末大学(Tamesue Academy)」の学長、アジアのアスリートを育成・支援する一般社団法人アスリートソサエティの代表理事を務める。新豊洲Brilliaランニングスタジアム館長。おもな著作に『Winning Alone』『走る哲学』『諦める力』など。
【趣味】料理。週に2回、長男のお弁当づくりをしている。
【そのほか】ブータン五輪委員会(BOC)スポーツ親善大使。

Information

為末さんの近著『 Winning Alone―自己理解のパフォーマンス論』(プレジデント社)。後進に向けて「人生で一度しかない五輪を悔いなく迎えてほしい」という思いを込め、毎週1本ずつブログに綴ってきた連載をまとめたもの。嫉妬心、スランプ、年齢、短所などとの向き合い方から、人脈やメディア、成功体験についての考え方まで、自分を進化させるための「気づき」を得られ、アスリート以外にもおすすめしたい一冊。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)