「何でもない会話の中で特別な人になる」~日々摘花トークイベント開催レポート【後編】

コラム
「何でもない会話の中で特別な人になる」~日々摘花トークイベント開催レポート【後編】
Coeurlien(クリアン)では毎月、著名人が大切な人との別れを語るコラム連載『日々摘花(ひびてきか)』をお届けしています。そのスピンオフ企画として、初めてのオンライントークイベントを実施しました。この記事は、開催レポートの後編です。

姿は見えなくなっても、愛や情は消えない

小島さん:ここで、インターネットの記事で見た「ご遺体ホテル」のお話しをさせてください。火葬までご遺体を冷やしておく場所のことですが、私も父を一週間ぐらい冷やしていただきました。都心は特にこの遺体ホテルが沢山なくてはいけないんだけど、「自分のうちの近くには建てないで」という方が多いそうです。

記事では、解剖学者の養老孟司さんの言葉を引用して、「生きているときは人なのに、死んだ途端に人じゃなくなっちゃうのか」と。
志村さん:そうね、よくわかります。
小島さん:その人の体に命が宿らなくなった途端、急に何か「汚いもの」、「怖いもの」、「悪いことをする」ものみたいに言われてしまう。今は、亡くなった方に対して扱いが理不尽な社会になったように思えます。でも、身体に命があるかないかにかかわらず、そこにその人はいるわけですよね?

私は父を本当に文字通り腕の中で看取ったんですけど、さっきまで温かかった父がどんどん腕の中で冷たくなっていって、もう息もしていなくて、心電図の数字も全部ゼロになって……。父は亡くなったから、いなくなったってことなのかって思ったけど、やっぱりいるんですよね。私にとっては、身体のあるなしだけじゃなくて。

身体が火葬場で骨になったのも見たし、お墓に入れたのもわかってるんですけど。体のあるなしと、その人の居る居ないってイコールじゃないんだなっていう感覚は、どうしてもあって……。

志村さん:そうですね、そうですね……。

小島さん:でもだからこそ、混乱することもあると思うんです。ご遺体になろうが骨になろうが、もう姿形もどこにもなくなってしまっても、その人がその人であるっていうことは、変わらないから。

志村さん:全部が消える訳じゃないんですよね。その方が思って、愛してくれていたことは。ご自身がその方のことを愛してたことだって消えない。姿は見えないけど、想いとか情は消えないんですよ。その愛や情をどれぐらいまで自分でつかむか、なんだろうなと思います。会えなくても自分でゼロにしちゃうんじゃなくて。

生きていればね、仲良しの私たちふたりが「じゃあね」と体が別れても、思い合えるじゃないですか。「慶子さん、どうしてるかな」と思ったりして。もしも二度と会えなくなっちゃったとしても、想いは消えるわけじゃない。それと同じで、私たちが思いを受け止めることが大事なのかなと。

小島さん:さまざまな文化が確立する中で、死者と生者との間にしっかりと線を引かなくてはならない理由もあったと思うんです。「悲しみを乗り越えるために」とか、「共同体を維持するために」っていう理由が。でも、「その境界線が故人との関係を、すべて無にしてしまうわけではない」というのは、本当に大切なことですよね。

志村さん:たくさんの思い出と、たくさんの影響と、大切なご自身を認めてくれた方がいたわけですからね。
小島さん:次の質問に行く前に一つだけ。

以前、特殊清掃の方にお話を伺う機会があったんです。亡くなってから時間が経って発見されたご遺体のあったお部屋を片付ける仕事をされている方です。その方の言葉が、本当に忘れられなくて……。

その清掃員の方は、こうおっしゃったんです。
「亡くなった方はたぶん、『部屋を汚しちゃって悪かったな』と考えてると思うんですよ。『こんなに散らかったままで恥ずかしいな』とも思っているかもしれない。だから、『大丈夫ですよ、安心してください』って僕らが片付けるんです」
志村さん:(無言で頷く)
小島さん:それを聞いて、あっ、そうだよなって……。

それまでは亡くなって、形が変わってしまった体っていうのは、何か怖いものとか、自分とすごく違う、恐ろしいものだと思ってたけれど、そうじゃない。すごく変わってしまったけど、その人は「申し訳ない」とか、「あれ?これどうしましょう」とか、生きている時と同じようなことを考えている人なんだと思って。亡くなった方への考え方がちょっと変わったんです、その言葉で。

亡くなった方を異界のものや異質なものにしない語りが、もっと増えればいいなって思います。

医療ミスの恨みと悲しみ、二重の苦しみを解消するには

「母と母の妹の姉妹は陽気で近所でも有名でした。2人とも教員で生徒達からも人気がありました。叔母と母は姉妹で暮らしており、老老介護でした。

3年前にその叔母が亡くなりました。その後、母は元気がなくなり、何度か救急搬送されるようになりました。病状も悪化し、元気がなくなり、かわいそうでした。事情があって私とは同居ができなかったので、現在は施設に入っています。母を元気づけたいです」

「数年前に父を亡くしました。生前は、喧嘩っ早くて頑固な父でしたが突然首から下が動かなくなり入院することになりました。病気の原因は分からないまま入院しながら衰弱していく父。病院の対応も疑いましたが、そのまま亡くなりました。今思えばもっと何かできなかったか、後悔の毎日です」

小島さん:実は私もお知り合いが医療ミスで亡くなってるんですけれど。ついお医者さんを恨んでしまう、病院を恨んでしまう、ってことは多くの方が経験されていると思うんです。そういう気持ちを持って苦しくなるときって、どうすればいいんでしょうか?
志村さん:どうしたらいいでしょうね……。おつらいと思います。二重のつらさですもんね。あの……(少し悩んで)。

その答えは、とても難しいんですけど、私も自分の父は医療ミスだったんですね。本当に大切で好きだった叔父までも。

そこで、私たちが決めたことは、「恨みに飲み込まれないようにしよう」ということ。担当医が悪かったと思いすぎて、自分の父や叔父に対するまっすぐな気持ちが、恨みで変わってしまうほうが苦しいなと思いました。そこは少しずつ消化していこうと思ったんですね。消化って言葉は、変ですけど、そういう気持ちだったんです。

医療ミスの恨みと死別の悲しみの2つの苦しみ抱えるよりは、「亡くなった父や、叔父のことを本当に思う気持ちの方を優先しよう」っていう選択をしました。

本当に医療ミスだったか分からないこともあると思うんです。だから、それを考えすぎてしまうのも、なかなか難しいなと思ったりしています。明確な答えにならなくて申し訳ないんですけど……。「自分は、この状況から何をどう選択するんだろう」というところから始まるしかないんじゃないかと。でも、本当におつらいと思う。

緩んだパッキンとその人らしい旅立ち

小島さん:それから、次の質問です。

「最近、大叔母が余命わずかと聞きましたが、会いに行くことが叶わなそうです。そこで、何かできることはないかと改めて考えています。どのような言葉を伝えたいか自分でもわからず難しいです」

志村さん:うーん、そうですね。慰めの言葉が欲しい方ではない場合が多いと思います。私が看取りに関わった方たちは、ご自身の家族や身内の方たちには普通にしてほしいって思われる方が多かったですね。

だから、「元気?」とは言いにくいかもしれないけど、「今ね、こんな風な花が咲いてるよ」とか、「紅葉は綺麗だよ」とか、「その紅葉を写真に撮ったから送るね」とかね。日常のことを伝えると、「自分のことを覚えていてくれて、うれしいわ」となるものでは。何かいい言葉を出そうじゃなくて、気負わずに、優しい温かい時間を持てた方がいいのではないかと思ったりしますね。

小島さん:人がね、誰かを好きになるときって、ものすごく感動的な言葉で好きになることも稀にあるかもしれないけれど、たいていは「このお茶をおいしいね」とか、「今度あそこに行こうよ」とか「昨日のあれ見た?」とか、何でもない会話の中で、その人がある日、何か自分にとって特別な人になるじゃないですか。

志村さん:(大きく頷く)

小島さん:今、季世恵さんの話を聞いていて思ったんですけど、誰かとお別れするときも「このお茶はおいしいね」、「これ素敵だから見て」と、交わしている言葉は何でもないんだけど、特別な時間や特別な想いを伝えることはできるのかもしれないですね。

志村さん:私がすごく好きだった……、好きって言うと変だけど、看取った方がいてね。その方は主婦で、「キッチンで死にたい」とおっしゃったんですよ。だから、ベッドをキッチンに持っていったのね。

そしたらね、水道の蛇口が緩んでたのかな? ポツンポツンと音がしていて、その方は最後にね、「あらあらパッキン緩んじゃってるね」って、言ったの。

小島さん:(笑う)

志村さん:それで「ふっ」と笑いながら、お空に帰ったんですよ。それが「お母さんらしいね」って子供たちも言って、私もそう思ったんですね。なのでね、普通のことがうれしいんだろうなと思うから。その叔母様にもね、普通の言葉を差し上げたらどうかなと思います。

小島さん:今のお話は素敵ですね。私もよく思うんですよ、自分がもし穏やかに家族に看取られて死ぬことができたら、その時にどうやったら、後から思い出したときについ笑っちゃうような思い出を残せるだろうなって。

だから、パッキンの方って、ほんと素敵。パッキンの場面を思い出すと、つい笑っちゃうと思うんですよ。

志村さん:そうそう思い出しますよ。そのポツンポツンと、自分の家でもね、水のついてた時に、「◯◯さん」ってふうに、思い出す。

小島さん:そうですか。その方も自分が愛した日常の音の中で、愛した日常の暮らしを最後の瞬間まで送りながら、旅立たれたわけですね。

今日は他の方のお話を聴きたいというだけではなくて、自分の話も誰かに聴いてもらえたらなという気持ちの方もたくさんいらっしゃったと思います。本当にごく一部しかご紹介できなかったんですけれども、こんな形で皆さんのエピソードをお伝えできる場が、もっと持てたらいいなと思いました。季世恵さん、まだ第2回の予定はないですけれど、でも、もしまたぜひこんな機会があれば色々とお話を伺わせてください。

志村さん:私でよかったら。

小島さん:限られた時間でしたが、大切なご自身の思い出のお話とか、苦しいお気持ちをお寄せくださってありがとうございました。セラピスト志村季世恵さんとのオンライントークイベントはここまでといたします。

おふたり:ありがとうございました。

編集部より、イベント閉会に寄せて

閉会後、参加者の皆様から「普段あまり聞けないようなことが聞けた」「もう一段踏み込んだ話を聞きたい」「いろんな話を聞かせていただき、救われた思い」などの声が寄せられました。ご参加の皆さま、小島さま、志村さま、本当にありがとうございました。

今後も、著名人が大切な人との別れを語るコラム『日々摘花』の連載を充実させていきます。ご期待ください。