「亡き友の墓前で」お笑い芸人 チャンカワイさん【インタビュー前編】~日々摘花 第31回~

コラム
「亡き友の墓前で」お笑い芸人 チャンカワイさん【インタビュー前編】~日々摘花 第31回~
「惚れてまうやろー!」のネタで知られ、近年では年間200本の番組に出演する「ロケ芸人」としても活躍しているお笑いコンビ「Wエンジン」のチャンカワイさん。前編では、ともにお笑いの道を目指した親友との出会いと別れについて語っていただきました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

ともに芸人への夢を追った小中高の同級生

−−これまでに経験された亡くなった方との「別れ」の中で、とりわけ心に残っているのは、どなたとのお別れでしょうか。

チャンさん:親友との別れです。小中高と同じ学校に通った同級生で、30歳の時に突然亡くなりました。初めて出会ったのは、僕たち一家が三重県名張市に引っ越してきた小学校4年生の時。彼は明るくて運動神経が抜群で、クラスのヒーロー的存在でした。

かたや僕は人見知りで引っ込み思案の転校生。小学生のころは、友だちに囲まれて楽しそうにしている彼の姿を教室の隅でまぶしく眺めるばかりでした。ところが、中学入学後、一気に近づき、夜中に長電話をし過ぎて親から怒られるほどの仲になったんです。

真逆のふたりなのに、仲良くなれた。それがとてもうれしかったです。で、僕たちをつないだのが何だったかというと、「お笑い」だったんですね。僕も彼もお笑いが大好きで、とにかく馬が合いました。
チャンさん:高校で僕は剣道部に入り、練習がものすごく大変で、一緒に過ごす時間は減りましたが、教室で羽目を外す時にはいつも彼がそばにいました。高校3年生の時にはふたりでコンビを組んで吉本興業主催のイベントに漫才で出場し、優勝。卒業後はプロの芸人を目指して吉本のライブに出はじめました。

同じころ、大阪のインディーズで頑張っていたのが千鳥さんや笑い飯さんといった面々です。親友はみんなとすぐに打ち解け、とくに千鳥の大悟さんとはよく話していました。みんな若くてやる気にあふれ、熱気に満ちていましたね。僕も夢に向かって必死に走っていて、隣にはずっと彼がいると当たり前のように思っていました。

その彼と別々の道を歩むことになったのは、僕が現在の相方のえとうさんから「コンビを組もう」と誘われた20歳の時。この時、親友はすでに新たな夢を見つけ、お笑いへの情熱を失っていました。それでもコンビを解散したわけではありませんでしたから、えとうさんから誘いを受けた時、まずは彼に相談したんです。

返ってきた答えは、「じゃあ、ふたりで頑張ってみたら」とあっさりしたものでした。彼は本当にお笑いに興味がなくなったんだなと感じて、さみしかったですね。もう一緒に大笑いできなくなっちゃったんだな、って。

30歳で突然訪れた、無二の友との永遠の別れ

−−その後、おふたりの関係は?

チャンさん:うれしいことに、友人としての関係はずっと変わりませんでした。えとうさんと「宴人(現Wエンジン)」を結成するタイミングで僕は上京し、親友と会う機会は減りましたが、連絡は取り合っていましたし、一緒にごはんを食べることもありました。

「Wエンジン」は7、8年のまったく売れない時期があったのですが、「惚れてまうやろー!」「気をつけなはれや!」のフレーズで皆さんに知ってもらえ、テレビ番組にたくさん呼んでいただけるようになりました。その時も彼は「よかったね」と我が事のように喜んでくれたんですよ。

親友は芸人の道は選ばなかったとはいえ、お笑いのことは好きなままだったし、彼と話をしているとやっぱり楽しかった。だから、いずれは彼に僕たち専属の放送作家になってもらって、タッグを組んでやっていけたら、と思い描いていたんです。彼が急死したのはその矢先でした。
−−最後にお会いになったのは?

チャンさん:亡くなる1カ月前とかそのくらいだったと思います。だから、本当にびっくりしましたね。目の前にいた人がポンといなくなった感じで、何が起きたのかわかりませんでした。

当時、僕は初めての映画出演が決まったばかり。訃報を聞いた直後から1カ月半ほど撮影に入り、演技に集中する必要がありました。おかげで別れの悲しみを引きずることはなかったのですが、それだけに言葉にできない思いがいつまでも残り、彼の死を受け入れられませんでした。

真っ赤な納経帳とお遍路さんの言葉が思いを変えた

−−言葉にできない思い、ですか。

チャンさん:はい。彼ともう会えないことが悲しいし、悔しい。でも、自分にはどうすることもできないわけです。何が何だかわからず、誰かに自分の思いを伝えることすらできませんでした。そんなもどかしさを抱えたまま何年も経ったころ、「千鳥」さんの冠番組で、弘法大師が開いた四国88カ所のお寺をめぐるお遍路の旅のロケがあり、レポーターをやらせていただいたんです。

それ以前の僕には、お遍路というと修行というか、自らを鍛錬するものというイメージがありました。ところが、僕自身初めてお遍路を体験しながら、さまざまなお遍路さんと出会ってお話をうかがうと、自分を見つめるために回っているという方もいれば、スマートフォンを片手にスタンプラリー感覚で楽しんでいる方もいる。お遍路の意味はひとつではないんだ、と学ばせてもらいました。

この旅で、ある男性のお遍路さんに出会ったんですね。彼は病気で亡くなった妻の追善供養(故人の魂の冥福を祈って、生きている人が善行を積むこと)のために巡礼をしていて、僕がお会いしたのは8回目の結願(88カ所の霊場を回り終えること)を果たした後でした。

納経帳を見せていただくと、ご朱印がいくつも重ねられていて真っ赤なんですよ。それでも妻の死を受け入れることはできず、気持ちは収まらない。ただ、巡礼中は「妻と会話ができる」と彼は言いました。
チャンさん:その言葉を聞いて「ああ、そうか。誰かが亡くなっても、その人の存在が自分の心にある限り、また話せるんだ」と思った瞬間、親友の顔が頭に浮かびました。それで、「友だちのことを思い出しますわ」とつぶやいたんですね。すると、スタジオで映像を見た「千鳥」の大悟さんがこのひと言を拾ってくれて、「◯◯のことか」と親友の名前を口にしたんです。

親友が芸人の世界を離れて以来、大悟さんと彼は会っていなかったはずです。それでも大悟さんの心の中に彼はまだいました。「あいつはまだ生きているんだ」と思って、むちゃくちゃうれしかったです。

折に触れて彼のお墓参りに行かせてもらうようになったのはそれからです。最近も行きましたよ。お墓に着いたら、まずは「元気でやってるか?」とあいさつをして、次はお掃除。スポンジで墓石をゴシゴシ洗い、ジャバジャバと水をかけながら、「この間のロケで絶景見たぞ。すごいやろ」、「娘がめっちゃかわいいねん」とドヤ顔で近況報告をするんです。

親友のお墓を磨きながら、彼に自慢話を聞いてもらうこのひとときは、僕にとってものすごく大切な時間です。別れ際にはいつも「ありがとう」と手を合わせます。彼が隣にいてくれたから、僕は夢に向けて一歩踏み出すことができました。そして、「死」が大切な人との絆を断つものではないと教えてくれたのは彼でした。心から感謝をしています。

~EPISODE:癒しの隣に~

沈んだ気持ちを救ってくれた本・映画・音楽などがあれば教えてください。
つい最近力づけられたのは、「Mr.Children(ミスター・チルドレン)」の『生きろ』です。今はコロナ禍関連のさまざまな制限が少しずつ緩和されていく一方で、まだ大声では叫びづらくて、もやもやした時期ですよね。そんな中、生きるということの脈を感じさせるこの曲を聞いて、言葉の一つひとつが心に染みました。

やなせたかし著『わたしが正義について語るなら』

チャンさんの「大好きな本」は『わたしが正義について語るなら』(ポプラ社)。「アンパンマン」の作者として知られる故・やなせたかしさんが自身の「正義」に対する考え方がどのように形作られたのかを語った本で、著者の他界直後に新書版が発売された。「正義とはぶつかり合うもの、という当たり前のことを改めて教えてくれた1冊です。人間関係で悩んだり、落ち込んだ時に心をリセットしてくれます」とチャンさん。
『わたしが正義について語るなら』/やなせたかし/ポプラ社刊

プロフィール

芸人/チャンカワイさん

【誕生日】1980年6月15日
【経歴】三重県名張市出身。本名・川合正悟。2000 年にお笑いコンビ、「宴人(現Wエンジン)」を結成。 「惚れてまうやろー!」「気をつけなはれや!」のフレーズで注目を浴びる。 テレビやラジオなどで生中継・ロケリポーターとして年間200日以上全国各地を飛び回る一方、テレビドラマや映画で俳優としても活躍中。
【そのほか】公式ブログ https://ameblo.jp/chan--kawai/

Information

チャンさんの初めての書籍『神さまが惚れてまう48のポイント 〜幸せの見つけ方はロケと神社が教えてくれました〜』(ぴあ)。チャンさんがこれまで心がけてきたこと、コンプレックスとの向き合い方、物事がうまくいかないときの考え方など、大好きな神社めぐりを通じてわかった“神さまと仲良くする方法”について語り尽くした1冊。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)