「人生のマラソンを走り切る」瀬古利彦さん【インタビュー後編】~日々摘花 第44回~

コラム
「人生のマラソンを走り切る」瀬古利彦さん【インタビュー後編】~日々摘花 第44回~
日本陸上競技連盟マラソンリーダーなど陸上界の要職を務め、後進の育成に力を注いでいる瀬古利彦さん。後編では、2021年4月に他界されたご長男の昴さんが遺した闘病記についてや、昴さんへの現在の思い、ご自身の今後の抱負などをお話しいただきました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

「僕はトップランナー」。息子に力を授けた“自覚”

−−ご長男の昴さんは亡くなる1カ月前、2021年3月に闘病記を自費出版されています。過酷な病状や治療、生きることへの思いをユーモアのある、時には笑いを誘う筆致で表現されていて、「読む人のために」という昴さんの気持ちが伝わってきました。

瀬古さん: 昴にとって、「少しでも誰かの役に立てたら」という思いがあの本を書いた原動力だったのではと思います。

もともと彼は家族のエピソードをブログに書いていて、それが面白かったんです。だから、以前から「本を書いたら?」と勧めていたのですが、「病気のことは書かない」と頑なでした。その昴が本を書き始めたのは、主治医の先生の「昴くんはこの病気の患者さんのトップランナーですから」という言葉がきっかけです。

昴がかかっていたホジキンリンパ腫という血液のがんは、日本では欧米に比べて発症する人が少ないそうです。それに加えて、昴は2016年からオプジーボ®という開発されたばかりの新薬による免疫治療を受けていました。ホジキンリンパ腫の長期生存者にオプジーボ®を投薬している症例は世界でも珍しいということで、先生は昴を「トップランナー」と表現したんです。

瀬古さん:彼はすぐにはピンと来なかったようですが、同じ日にニューイヤー駅伝(全日本実業団対抗駅伝競走大会)のテレビ中継でトップを走っている選手を見た時に、「ああ、これが僕なのか」と腑に落ちて、心を揺さぶられたようです。

当時の昴は8年近くあらゆる治療を試した果てに、寛解どころか呼吸困難や激しい頭痛、吐き気に悩まされ、生きる意味を見失いかけていました。そんな中、先生の言葉をきっかけに自分が同じ病を持つ人たちの先頭にいるということを自覚し、「自分の経験が同じ病を得た人たちの役に立つとしたら、自分がここにいる意味はそこにあるのかもしれない」と思ったのでしょう。急に「本を書く」と言い出しました。

原稿の執筆期間は半年ほどだったかな。文章を書いている時は痛みや苦しみを忘れられていたようですが、本が出版されて間もなく具合が悪くなり、翌月に旅立ちました。すべての力を振り絞って書いたんでしょうね。「伝えたい」「少しでも誰かの役に立ちたい」っていう気持ちがよほど強かったんだと思う。そうじゃないと、あんな状況でとても書けないですよ。我が子ながら、すごいなと思います。

「人間として一番にならなければ」。心に刻まれている恩師の言葉

−−昴さんが他界されてもうすぐ2年が経ちます。今はその存在をどのようにお感じになっていますか。

瀬古さん: 毎日、仏壇に向かって話しています。亡くなってからの方が、確実にたくさん話していますね。昴は私にはダメ出しばかりでしたから(笑)。毎朝、お水を供えて手を合わせ、その日の予定を報告するんです。その度に、何か昴が力を与えてくれているような気がするんですよね。「今日は取材があるから、髪もちゃんと整えたよ。いい話ができるよう見守っていてね」と今朝も話しました。

先日は昴が好きだった「ミスター・チルドレン」のコンサートに家族で行きました。昴も連れて行きましたよ。遺影を持って、家族みんなで「いえーい」なんて言ってね。

−−昴さん、脱力していたでしょうね(笑)。ところで瀬古さんご自身の今後について、抱負をお聞かせいただけますか。

瀬古さん:やっぱり、日本のマラソン界をもっと夢のあるものにしたい、という思いは強いですね。米国のメジャーリーグでの大谷翔平選手は、日本人には縁がないと思われていたホームラン王になりました。日本のマラソンは世界トップレベルに遅れを取る状況が続いてきましたが、これからです。2024年1月の大阪国際マラソンで前田穂南選手が女子マラソンの日本新記録を更新するなど若い世代が確実に育ってきています。

今年はパリ、2028年にはロサンゼルスでオリンピックも開催されます。それに、2025年には東京で世界陸上もありますね。私は1984年のロサンゼルスオリンピックで14位に終わりましたから、オリンピックのマラソンでのメダル獲得は個人的な夢でもあります。陸連のリーダー職などを通してそのお手伝いをさせてもらっていることをありがたく感じています。
瀬古さん:​私をマラソンランナーとして育ててくれた中村清先生(元早稲田大学競走部監督)は出会ったころから常々、「いくら走るのが速くても、馬にはかなわない。人間として一番にならなければ」とおっしゃっていました。「だから、お前にいろいろなことを教えるんだ」と言って、練習の前後に聖書や仏教書の言葉を引用しながら人生哲学を説き、レクチャーは長い時で3時間。ハードな練習の後に話を聞くことも多かったから、正直、つらかったです。

でも、67歳の今、中村先生のおっしゃっていたことは本当だなと思います。私はマラソンランナーとしては走り切ったかもしれないけれど、まだまだですよ。人生のマラソンは続いています。人生を走り切りたいですね、昴のように。

涙しか出ない日もある。だからこそ、明るさが大事

−−最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

瀬古さん: 「明るく 悔いのない人生」。放っておいたら、涙しか出ない日もあります。今だから話せますが、がんになり、苦しむ昴を見るのは親としてつらかったです。息子が親より元気じゃないと困りますよね。本当に、逆じゃないかと思います。

でも、家族みんなで暗黙のルールがありました。暗くならないように、明るくって。昴が一番、頑張ったはずですよ。だって、あいつ、ただの真面目男だもん。私みたいに面白くないよ(笑)。それでも努めて明るく、前を向いていたからこそ、昴はあきらめずに走り続けることができたと思います。やっぱり、明るさって大事ですよ。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
真っ白なおにぎりと赤だしのしじみの味噌汁。これしかないね。贅沢な食事はいりません。日本一の料理人さんにおにぎりを握ってもらいたいです。

ほそ島や

瀬古さんが日常的に通う飲食店のひとつに、東京・千駄ヶ谷の「ほそ島や」がある。1979年創業のそば店で、そばがおいしいのはもちろん、カレーや中華そば、親子丼などそば以外のメニューも豊富に揃える人気店。将棋会館の近くにあり、棋士も頻繁に訪れる。「おすすめは半カレーライスと中華そばのセット。昼にこれを食べるのが、幸せ」と瀬古さん。

プロフィール

陸上競技指導者/瀬古利彦さん

【誕生日】1956年7月15日
【経歴】三重県桑名市出身。高校時代から陸上を始め、早稲田大学入学後、マラソンランナーとしての才能を開花。現役時代は国内外のマラソンで15戦10勝の戦績を残した。ロサンゼルス、ソウル五輪マラソン日本代表。現役引退後は後進の育成に注力し、エスビー食品陸上競技部監督、横浜DeNAランニングクラブ総監督などを経て、2019年よりDeNAアスレティックスエリートアドバイザー。2016年より日本陸上競技連盟強化委員会マラソン強化戦略プロジェクトリーダーに就任し、同連副会長を歴任後、現在は評議員を務める。

Information

昴さんの『がんマラソンのトップランナー 伴走ぶっ飛び瀬古ファミリー!』(文藝春秋企画出版)。8年以上にわたる血液のがん・ホジキンリンパ腫の闘病生活と、その間の家族との交流をユーモアのある筆致で綴っている。恋愛や性への思いなどもあえて率直に書かれており、その誠実さや、周囲へのまなざしの優しさに心を打たれる。自費出版で一般の書店では販売されていないが、電子書籍で購入できる。
『がんマラソンのトップランナー 伴走ぶっ飛び瀬古ファミリー!』瀬古昴著(文藝春秋企画出版)
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)