家族に愛情を注ぎ、人とのご縁を大切にした夫らしい、
華やかで明るいお別れにしたい

京都府在住
M.M様(奥様)

他界1年前にがんが発覚。
在宅療養で最後の日々を家族と過ごした

野球やソフトボール、ランニングも楽しんだ、根気強いスポーツマンでした。

野球やソフトボール、ランニングも楽しんだ、
根気強いスポーツマンでした。

夫は元甲子園球児。卒業後は企業の野球チームに所属し、都市対抗野球大会にも京都代表として出場しましたが、一生懸命になり過ぎて胃を痛め、手術で胃の3分の2を切除。10キロやせて体力も落ち、結婚2年目に社会人野球を引退しました。でも、やはりスポーツが好きだったんでしょうね。イチから体を作り直し、長女が小学校に上がってからは地域のパパさんソフトチームに参加。65歳の時にピッチャーのポジションを長女の夫に引き継ぐまで楽しく活動を続けました。

ソフトボールチームを引退後も、体はしょっちゅう動かしていました。毎日ランニングをしてはカレンダーに印をつけ、「765日続いた」とうれしそうに話していたのを覚えています。食事にも気をつけ、健康にはひと一倍気を遣っていました。だから、亡くなる1年ほど前に夫の食欲が落ちはじめた時も、最初は誰も深刻な病気だとは思わなかったんです。

ところが、翌月には食事が喉を通らなくなり、医院で内視鏡検査を受けたところ、スキルス胃がんと診断されました。すぐに入院して抗がん剤治療でがんを小さくしてから、2カ月後に手術をしましたが、腹部にがん細胞が残りました。

本人の希望通り自宅で過ごせた、大切な時間。支えてくれたみなさんに感謝しています。

本人の希望通り自宅で過ごせた、大切な時間。支えてくれたみなさんに感謝しています。

病院からは緩和ケア病棟への入院も提案していただきましたが、夫は我慢強く、人前で弱音を吐かない性格です。病院では、どんなに心のこもったケアをしていただいても、くつろぐことはできなかったのでしょう。夫は自宅療養を希望し、私たち家族もできるだけ長く夫と一緒にいたいと考えて、かかりつけ医にご協力をお願いし、在宅療養の体制を整えました。

夫が他界したのは、退院から5カ月後。お医者さまや看護師さん、ご近所の皆さんなどさまざまな方々、そして、娘ふたりとその家族のおかげで、夫は最後の日々を家族の顔を見ながら過ごすことができました。

人数は少なくても、
さみしいお葬式にはしたくなかった

葬儀について夫は、がんになる前年、義母を見送った時に「自分に何かがあったら、家族葬に」と話していました。リタイアして時間が経っていますから、大きなお葬式を挙げる必要はなく、身近な人たちに囲まれて旅立ちたいと考えたのでしょう。

その時はまだ先のことと思って聞いていましたが、夫の体にがんが見つかって病状が悪化し、葬儀を現実のものとして考えるようになると、気になることがありました。家族葬を、と望む夫の気持ちには応えたいけれど、さみしいお葬式にはしたくなかったんです。家族に愛情を注ぎ、出会った方々とのご縁を大切にしてきた夫の姿を思うと、人数は少なくても、できるだけ華やかなお別れにしたいと思いました。

そこで、夫の目に触れないよう娘の家に葬儀会社3社の資料を取り寄せてもらい、いざという時にはここにお願いしよう、と娘たちと決めたのが「家族葬のファミーユ」でした。お花でいっぱいの葬儀ホールの写真をパンフレットで見て、「こんな風に気持ちが明るくなるお葬式にしたい」と思ったからです。

夫のイメージに
ぴったりの花祭壇を見て、
家族の表情が明るくなった

色紙には私や娘夫婦、孫たちからのメッセージを。野球やソフトボールのトロフィーは、山本さんから「ぜひ持ってきてください」と言っていただき、会場に飾ってもらいました。

色紙には私や娘夫婦、孫たちからのメッセージを。野球やソフトボールのトロフィーは、山本さんから「ぜひ持ってきてください」と言っていただき、会場に飾ってもらいました。

夫の葬儀を担当してくれた「家族葬のファミーユ」の山本さんは、娘いわく「ていねいの塊のような人」。葬儀の打ち合わせの前に、真っ白な布団に寝かされた夫に手を合わせ、深く一礼された姿を覚えています。夫の手を見て「大きな手をしていらっしゃいますね」とおっしゃったことから、野球が大好きだったこと、地域のソフトボールチームでの活動を楽しんでいたことなど夫の生前の話が始まり、山本さんは私たち家族の話を穏やかにうなずきながら聞いてくれました。

夫を亡くし、みんな悲しくてたまらなかったんですよ。でも、あの時はできるだけ夫らしい葬儀にして、家族からの感謝を夫に伝えたいという思いでいっぱいでした。だから、山本さんから「こんな祭壇もありますよ」と野球をモチーフにした花祭壇の写真を見せていただいた時は「お父さんにぴったり!」と家族全員の表情が明るくなりました。


家族葬でしたが、お通夜にはソフトボールチームの方々や、娘の所属するバレーボールチームの方々などが20名も駆けつけてくださり、後日、夫らしいいい式だった、と言ってくれました。

家族葬でしたが、お通夜にはソフトボールチームの方々や、娘の所属するバレーボールチームの方々などが20名も駆けつけてくださり、後日、夫らしいいい式だった、と言ってくれました。

山本さんが私たちの希望を細やかに聞いてくださったので、花祭壇のイメージは大体できていたんです。ところが、お通夜当日、納棺の前に初めてホールに入り、予想を上回る仕上がりに驚きました。たくさんの白い花でバットとボール、ホームベースが描かれ、バットの柄とボールの縫い目を彩った紫と紺の花が上品な華やかさを添えています。紫と紺は夫が所属していたソフトボールクラブのユニフォームカラーで、山本さんからアイデアをいただいて選んだもの。マウンドに立つ夫の姿が胸に浮かび、思わずみんなで拍手しました。


孫たちが見入っていた、懐かしい写真の数々。

孫たちが見入っていた、懐かしい写真の数々。

思い出の写真をたくさん飾っていただいたのも、うれしかったです。娘夫婦や孫たちとの写真のほか、若かりし日の夫の写真や結婚当時の夫婦の写真をそれぞれテーマごとにパネルに仕立ててくださり、孫たちは初めて見る「若いじいじ」の写真に見入っていました。

お通夜後の会食時に流していただいたスライドショーを含めると、写真は100枚ほどあったでしょうか。打ち合わせで山本さんからお願いされ、グループLINEで家族それぞれが自分の持っている写真を送りました。懐かしい写真を見ながら、家族で過ごした楽しい時間が心によみがえり、夫を亡くした日の夜を温かい気持ちで過ごせたことを、よかったと思っています。

「じいじ」への感謝が込められた、
孫の弔辞

孫たちから夫への弔辞も忘れられません。家族葬で弔辞は必ずしも行われませんが、山本さんからご提案いただき、長女の長男(21歳)と次女の長男(18歳)がふたりで引き受けてくれました。孫も以前は野球をやっており、小学生のころは夫とよくキャッチボールをしていました。10年ほど前だったでしょうか。夫がふたりを連れて甲子園球場に行き、春の高校野球を見てきたことがありました。家に戻ってきた時、夫は「結構寒かった」と言っていましたが、まんざらでもない表情だったことを思い出します。

夫が生きてきた証、ともに過ごした時間を紡いだ年表。

夫が生きてきた証、ともに過ごした時間を紡いだ年表。

孫たちが野球をやることを夫はもちろん喜んでいました。でも、それ以上に、一人ひとりが成長していく姿を見ることを楽しみにしていました。だから、今は野球をやめ、それぞれの道を歩んでいる孫たちが夫に贈ったこんな言葉を聞いて、「ああ、孫たちはちゃんと夫の思いを受け止めてくれていたんだな」と胸がいっぱいになりました。

“僕のバレーボールを誰よりも熱心に優しく応援してくれて、今まで続けられているのはじいじのおかげです。僕の集大成の試合、見てほしかったなあ。でも、絶対に見てくれているよね。誰よりも大きな声でビール片手にスルメや乾パンを食べながら応援してね。でも、飲み過ぎはダメだよ”

“野球、続けられなくてごめんなさい。でも、あのころじいじが熱心に教えてくれたおかげで今はじいじのグローブを使ってソフトボールができています。またキャッチボールしよう”

みんなの前に立ち、自分の言葉ではっきり挨拶をする孫の姿を見ながら、心の中で「ありがとう」を何度も言いました。夫もどんなに誇らしかったでしょう。

葬儀が、「じいじ」からの
愛情を孫たちに伝える場にもなった

インタビュー取材の後、子ども・孫と、山本ディレクターと一緒に撮影。

インタビュー取材の後、子ども・孫と、山本ディレクターと一緒に撮影。

「最後まで頑張れて本当によかったね、お父さん。お疲れさま」 最後の別れの時、そう夫に言葉をかけました。がんが見つかってからの1年間、ずいぶんつらかったと思います、でも、夫は最後までしっかり生き抜きました。その姿を家族に見せてくれたことの意味を、日を追うごとに大きく感じています。自宅で寄り添って看病できる、される。それは本人や家族が望んだとしても、必ずしもかなうことではありません。たくさんの方々にバックアップしていただき、私たちは本当に恵まれていました。夫の在宅療養の日々はただ一生懸命でしたが、振り返れば、夫がそうしてくれたんだなと思います。

夫は感謝を忘れない人でした。だから、私たちも夫を看病することを何の苦とも思わず、もっとしてあげたい、もっとしてあげたい、という一心でした。葬儀についても同じでしたね。そんな私たちの気持ちを山本さんが理解し、心のこもった提案をしてくださったおかげで、家族みんなが悔いなく夫を見送ることができました。在宅での看取りでしたので、死亡届の提出方法など手続きもわからないことばかりで心配でしたが、一つひとつていねいに教えてくださり、とても助かりました。

娘が最近、夫の葬儀について「お父さんの愛情を、子どもたちに伝える場にもなったと思う」と言ってくれました。孫たち一人ひとりが葬儀をきっかけに「じいじ」との時間を思い返し、自分がすごく愛されたことを感じたんじゃないか。そして、彼らがこれからの人生で壁にぶつかった時、「じいじ」に愛されたという思いがきっと心の支えになるはず、と。孫たちにとって夫の葬儀がそんな場として記憶に残ったのなら、夫も喜んでると思います。

【式場】ファミーユ宇治槇島(京都花駒)
【時期】2021年11月
【故人】夫(77歳)
【喪主】妻
【会葬者数】40名
【葬祭ディレクター】山本 朝
【葬儀プラン】オリジナルプラン

通話無料

24時間365日、お気軽に相談ください
0120-774-8870120-881-353

通話無料

休日・深夜・早朝対応可
メールでのご相談はこちら
※ ご相談いただいても、当社に依頼いただく必要はございません。
※ 無理な勧誘・執拗なご連絡はいたしません。