「『白夜行』の中には、亡き父がいる」演出家・映画監督 平川雄一朗さん 【インタビュー前編】~日々摘花 第6回~

コラム
「『白夜行』の中には、亡き父がいる」演出家・映画監督 平川雄一朗さん 【インタビュー前編】~日々摘花 第6回~
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

第6回のゲストは、演出家・映画監督の平川雄一朗さん。本編は、前・後編の2回に渡ってお送りする、前編です。
TBSドラマ『白夜行』『JIN-仁-』『義母と娘のブルース』、2020年12月18日公開の映画『約束のネバーランド』など数々のドラマや映画の演出を手がける平川雄一朗さん。初めてチーフディレクターを務めた『白夜行』(2006年)で、プレッシャーを乗り越えられたのは、亡くなったお父様の存在が大きかったとか。前編ではお父様との別れと、別れを経てお感じになっている絆についてうかがいました。

10年間の絶縁状態を解消して間もなく、父が他界。因果を感じた

ーーこれまで経験された「永遠の別れ」の中で、とりわけ心に残っている別れについて教えていただけますか?

平川さん:2005年に亡くなった、父との別れは一生忘れられないと思います。初めてチーフディレクターを務めた『白夜行』の撮影に入る直前で、すでに脚本も仕上がっていた時期。今思えば、すごいタイミングでした。

僕と父の間にはわだかまりがあって、20代前半から10年間、父には会っていなかったんです。その父と再び話すようになったのは、演出を務めた『世界の中心で、愛をさけぶ』(2004年)の打ち上げでスタッフが用意してくれたビデオレターがきっかけでした。僕に内緒でスタッフが当時父が住んでいた熊本県に飛び、父からのコメントを撮影してきてくれたんですね。その映像で久しぶりに父の姿を見たら、涙が止まらなくなって。矢も盾もたまらず、父に会いに行きました。

父と会って、特別な会話をしたわけではありません。ただ、結婚を控えた時期でしたから、その報告をしたら、「そうか」とうなずいてくれました。会いに来てよかった、と思いましたね。父が亡くなったのは、それから丸1年後です。再会して半年ほど経ったころに脳梗塞で倒れ、一度快復してホッとしていたのですが、その後に1カ月ほど入院し、退院した翌日に亡くなりました。

ーーなんと……。

平川さん:危篤の報せを受けたのが夜で、すぐには駆けつけられませんでした。明け方に逝ってしまったので、父に会ったのは、10年ぶりの再会が最後になってしまいました。結婚をして新たな家族ができて、仕事でも責任のある役割を任され、ようやく父と男同士の会話ができるという時期に亡くなるなんて、と因果を感じましたね。この世の中にこんなに悲しいことがあるのかということを、思い知らされました。

一方で、父の死という人生で最大の事件によって、成長させてもらったとも感じています。『白夜行』は父の存在がなければ撮れませんでした。あの作品の中には、父がいるんです。

重責に苦しんだ『白夜行』。やり通せたのは、作品の中に亡き父の存在を感じたから

ーー作品の中に、お父様が?

平川さん:熊本で父の葬儀を終えて、遺品の整理を済ませ、ふと空を見上げた時に、秋の夕陽が大きくて、「夕陽ってこんなにでかいんだな」と感じ入りました。父の戒名の道号が「秋月」ということもあって、以来、月や太陽が僕にとって父の存在を感じさせるものになっていて……。だから、『白夜行』のファーストカットは月の映像なんです。

今だから言えますが、『白夜行』を撮影していた時期は精神的にボロボロでした。父を亡くした直後でしたし、初めてチーフディレクターの重責を担い、プロデューサーからはそれまで以上に高いレベルの仕事を要求される。プレッシャーに苦しみ、「この作品が完成したら、演出家をやめよう」と考えるほど追い込まれました。それでもやり通せたのは、作品のどこかに父がいるような気がして、守られているような感覚があったからです。

『白夜行』は本当に大変でしたが、あの作品がさまざまな意味で僕を大きくしてくれました。今も新たな作品を撮るたびに成長させられたなと感じますが、作品の中に父がいると感じたのはあの時だけ。『白夜行』だけは、父の力を借りたなという思いがあります。あと、不思議なことに、作品を撮っていると、その作品に登場する偉人に守られていると感じることがよくあるんですよ。

ーー偉人、ですか。

平川さん:例えば、『JIN-仁- (完結編)』に登場する、蘭学者・佐久間象山。クランクイン前に、下見で京都にある「象山暗殺の地」に行ったんです。その翌日、空き時間ができたので、急きょ地元の知人におすすめの場所を教えてもらって大覚寺を訪れ、ついでにと地図で見つけた妙心寺に足を延ばしました。すると、偶然そこに象山のお墓があったんです。呼ばれたんだな、と感じました。

その後、第1話の撮影でのこと。象山が火事の中、瀕死の床で主人公・南方仁に「迷わず恐れずに人々を治療し、救え!」と決めゼリフを言うシーンがあるんですね。セットを実際に燃やすので、長回し(カットをせずに長時間カメラを回し続けること)で、失敗が許されません。深夜までリハーサルを重ね、現場は極度の緊張状態でした。ところが、本番はすべてがうまく運び、象山役の市村正親さんはじめ俳優さんたちの演技は完璧。人為ではコントロールし切れない炎の動きも、決めゼリフに合わせたようなタイミングでした。あんな映像は撮ろうと思って撮れるものではありません。象山が助けてくれたとしか思えない炎の動きでした。

このほかにも、人知を超えたものに助けられて撮れた、と感じたことが一度や二度ではありません。ただ、そう感じるようになったのは、父を亡くしたころからです。何かに「助けてもらっている」「守られている」という感覚は、若いころにはなかったですね。まったくなかったです。

年月を経ても、父が一緒にいてくれている気がする

ーー現在は、亡くなったお父様の存在をどのように感じていらっしゃいますか?

平川さん:年月を経ても、一緒にいてくれている気がしますね。父を見送った後、父が乗っていた古いベンツを受け継ぎ、上京以来していなかった車の運転をするようになりました。ところが、1年ほどでギコギコと音が鳴りはじめて……。さすがに手放したのですが、ドラマ『天皇の料理番』(2015年)の撮影が終わり、区切りとして何かをと考えて、新車のベンツを購入しました。父のベンツを大きくしようと思ったんです。見栄を張り過ぎて、経済的にはめちゃくちゃ苦しかったんですけど(笑)。

車のナンバーは父の誕生日から番号を取りました。今は車が僕にとっての父のような存在です。事故に遭いそうになったこともありましたが、大事に至らなかったのは、父が助けてくれたんでしょうね。車に乗ると、「気をつけろ」という父の声が聞こえてくるような気がします。

~EPISODE:癒しの隣に~

沈んだ気持ちを救ってくれた本や音楽は?
心がくじけそうな時は、映画『ツナグ』(2012年)に出演していただいた故・樹木希林さんの本をよく読みます。希林さんの声が聞こえて来るような気がして。希林さんから教わったこと、与えていただいたものは多かったです。それから、我が家には神棚と仏壇があり、祝詞や般若心経を唱える時間も心が鎮まります。

樹木希林さんの著書『樹木希林120の遺言』

2018年9月に樹木希林さんが亡くなった後、樹木さんの言葉を求めて多くの著書をひもといた。『樹木希林120の遺言〜死ぬときぐらい好きにさせてよ』(宝島社)もそのうちの一冊。NHKスペシャル「"樹木希林"を生きる」や朝日新聞の連載「語る 人生の贈りもの」のインタビュー、雑誌、専門誌、フリーペーパーでの発言までさまざまなメディアで樹木さんが遺した120の言葉が掲載されている。
『樹木希林 120の遺言』(宝島社)

プロフィール

演出家/映画監督・平川雄一朗さん

【誕生日】1972年1月23日
【経歴】大分県大分市出身。日本工学院専門学校放送芸術科卒業。2000年、オフィスクレッシェンド入社。2000年、日本テレビドラマ『明日を抱きしめて』で初演出を手がけ、2006年に『白夜行』で初のチーフディレクターを務める。おもな作品にTBSドラマ『JIN-仁-』『天皇の料理番』『義母と娘のブルース』、映画『ROOKIES –卒業–』など。
【趣味】旅行
【そのほか】2021年は、TBS日曜劇場『天国と地獄〜サイコな2人〜』が1月から放送、映画『耳をすませば』も公開予定。

Information

平川さんの監督作『約束のネバーランド』(2020年12月18日(金)公開)は、『週刊少年ジャンプ』(集英社)で連載され、数々の賞も受賞した人気コミックの実写化。
孤児院「グレイス=フィールドハウス」を舞台に、「楽園だと信じていた孤児院」が「鬼に献上する食用児を育てる農園」であることに気づいたエマ、レイ、ノーマンによる脱獄劇を描く。主人公・エマ役を浜辺美波、レイ役を城桧吏、ノーマン役を板垣李光人が演じている。
©白井カイウ・出水ぽすか/集英社 ©2020映画「約束のネバーランド」製作委員会
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)