「医師だった父の手に、自分の手が似てきた」 総合内科専門医 おおたわ史絵さん【インタビュー前編】~日々摘花 第9回~

コラム
「医師だった父の手に、自分の手が似てきた」 総合内科専門医 おおたわ史絵さん【インタビュー前編】~日々摘花 第9回~
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

第9回のゲストは、総合内科専門医・おおたわ史絵さん。本編は、前・後編の2回に渡ってお送りする、前編です。
テレビのコメンテーターとしても活躍する、医師のおおたわさん。2018年からは、刑務所受刑者の診療にも携わられていて、その背景には、母親の処方薬依存症に家族で苦しんだ日々があります。前編ではその日々をともに歩んだお父様との別れについてお話しいただきました。

「お願いだから、父を連れて行かないで」と願い続けた

ーーこれまでで最も忘れられない「永遠の別れ」は、どなたとのお別れでしたか?

おおたわさん:2004年12月に他界した、父との別れです。持病の輸血性慢性肝炎が悪化し、ある日救急車で運ばれて、2年ほど入退院を繰り返した後に亡くなりました。医師だった父にとって、あの2年間は、自分が終わりに近づいていることをカウントダウンのように感じながら暮らす日々だったはず。私とはまた違う、寂しさや苦しさ、悲しさがあっただろうな、と思います。

一方、子は子として、カウントダウンの日々を悲しい気持ちで過ごしました。当時私は30代。すでに大人になっており、その年になるまで父が生きていてくれていたというのは充分ありがたいことだと頭ではわかっていました。それでも、「お願いだから、父を連れて行かないで」と何度神様にお願いしたかわかりません。

私にとって、父は父であるとともに、戦友のような存在でした。母が処方薬依存症に陥っていたことから、我が家はいびつな家庭で、私には家族3人で和気あいあいと過ごした記憶がほとんどありません。母の病と闘う日々があまりにも長く、それを一緒に闘ってきたのが父だったんです。

母の病気のことは、家庭内の恥だと思って長い間誰にも打ち明けられず、私のすべてを理解していたのは、この世の中で父ひとりでした。父が倒れた時、私はすでに結婚していましたが、夫とはいえ、私の幼少期からのすべてを知るというのは難しい話です。

誰よりも私を知っているのは父と言えましたから、その存在を亡くすことがすごく怖かったですね。父がいなくなったら、どうやって生きていけばいいのか、どう自分の心を支えていけばいいのかわからないという思いがずっとありました。

「神は超えられない試練は与えない」というのは本当

ーー突然の別れとはまた別のつらさがあったでしょうね。

おおたわさん:確かにつらい日々でしたが、振り返ってみると、父は残される者に準備の時間をくれたんだなと感謝をしています。父がいなくなるというのは受け入れ難いことですが、親子はいずれ離れていくんだし、親が子どもより先に亡くなるのは、順番としておかしな話ではない。世の中の大多数の人が経験していくことなのだから、自分に訪れても仕方のないことなのだ、と徐々に心の整理をしていったような気がします。

医師という仕事柄、さまざまな死に立ち合ってきましたが、突然の死であれ、ある程度予測された死であれ、最後の別れまでに与えられた時間というのはそれぞれの家族にとって必然であり、意味のあるものなのだと思いますね。

実際に父が亡くなってみると、もちろん空虚感はありましたし、生まれてきてこれ以上の悲しいことはなかったと思うほどの悲しみも感じました。この先、夫が亡くなる日が来たら、どうかなとは思いますが、今のところ、父との別れを超える悲しみを感じたことはないです。

それでも、父が亡くなったことによって、私が生きていけなかったかというと、そんなことはありませんでした。毎日ごはんを食べ、仕事をして、生きてきたんですよ。それでわかったのは、聖書の言葉にある「神は超えられない試練は与えない」というのは本当なんだな、と。すごく悲しいし、寂しいんだけど、超えられるんだということを実感しました。あと、意外なことに、父が亡くなった後は、少し安心したような気持ちも生まれました。

ーー安心したような気持ち、ですか。

おおたわさん: 2年間の父の闘病生活の間は、父がどうしているかな、と常に気が気ではありませんでした。入院中はお見舞いに行かなければ顔を見ることができませんし、退院している時も、私が気軽に実家に出入りできるような状況ではなかったからです。

当時、母と私の関係はなす術がないほど悪化していました。私が彼女から薬を取り上げようとしたことで、「お前なんて、早く死ね!」などという言葉を母から浴びせかけられたりもしましたし、私は私で、薬物による母の虚言や問題行動に疲れ果て、「いっそ死んでくれたら、どんなに楽になるだろう」とまで思い詰めた時期も。その果てに、実家からは足が遠のくようになりました。

ですから、父の生前は、会いたくても距離があることが歯がゆかったのですが、亡くなった瞬間から、もう会いに行かなくても、父はいつでもそばにいる、と思えるようになりました。それで、ようやくホッとしたんです。いつも一緒にいられるから、もう心配しなくていいんだ、と思って。

父が自分の中に生きているような気がする

ーー今、お父様のその存在をどのようにお感じになっていますか?

おおたわさん:歳を取ったからかもしれないんですけど、自分がだんだんと父に似て来ているんですね。ものの考え方もそうかもしれないですし、具体的に言うと、手が似て来たんです。父が亡くなって15年あまり、一生懸命、父と同じ医師という仕事をしてきて、ふと見た手が父の手にそっくりだったことにびっくりしました。

普通、男性と女性というのは、どこをどうお化粧して誤魔化しても、手でバレるんですよ。痛ましい話ですが、法医学の世界でも、ご遺体が損傷していて性別がわからないというような時に、手で判断できることが多いんだそうです。

男性と女性の手というのはそうそう似てこないものなのですが、私の手はすごく父に似ています。同じような生活をしていると、似たような手になってくるのかもしれません。父が自分の中に生きているような気がしますし、自分も父と同じような歳の取り方をしているなということを感じたりしましたね。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
低糖質ダイエットのために控えている白いごはんをほお張りたいです。お米は佐渡島産コシヒカリがいいですね。粘りと甘みがあり、ごはんだけでも充分おいしいのですが、皮を香ばしく焼いた鮭と一緒に食べたいです。
※写真はイメージです。

トキと共生する、佐渡島の米づくり

国内で唯一、野生のトキが生息する新潟県・佐渡市。一時期は姿を消したが、長年に渡る人工繁殖や環境作りによって現在は約450羽(2020年7月時点)に増えている。トキと共生する環境を作るためにひと役買っているのが、トキの餌となる生物を生息させるために田んぼと水源をつなぐ魚道を設置する、農薬・化学肥料を削減するなど「生きものを育む農法」による米栽培。この取り組みにより、佐渡市は「トキと共生する佐渡の里山」として日本で初めて世界農業遺産に登録されている。

プロフィール

総合内科専門医 おおたわ史絵さん

【誕生日】10月15日
【経歴】総合内科専門医、法務省矯正局医師。東京女子医科大学卒業。大学病院、救命救急センター、地域開業医を経て現職。刑務所受刑者たちの診療に携わる、いわゆる数少ない日本のプリズンドクター。ラジオ、テレビ、雑誌などメディアでも活躍中。
【ペット】シーズー(名前:エンカ ♀)&コッカープー(名前:ポップ ♀)
【そのほか】日本で初めて刑務所での復帰支援に「笑いの健康体操」を取り入れ、積極的に再犯防止に取り組んでいる。

Information

著書『母を捨てるということ』(朝日新聞出版)では、「ひとりでも多くの方が依存症を理解してくれることで、救われる人生もある」という思いを込め、母が処方薬依存症を発症するまでの経緯と、亡くなるまでの40年間を克明につづった。「教育ママ」で異常なほど娘に固執した母と、幼いころから母の顔色をうかがって育った自分の関係性や、依存症患者とその家族の関係性が描かれている。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)