「生きるために、走る」有森裕子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第15回~

コラム
「生きるために、走る」有森裕子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第15回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

本編は、第15回のゲスト、有森裕子さんの後編です。
マラソン競技で実績を上げるだけでなく、1996年12月に日本の五輪メダリストとして初めてプロ宣言。アスリートのマネジメント会社を設立されるなど、スポーツ界において新たな道を切り拓いてきた有森さん。後編では有森さんの「今」と、死生観についてうかがいます。

メダリスト初のプロ転向。原動力は「自分がどう生きたいか」

ーー有森さんはオリンピックで2大会連続メダルに輝いた後、メダリストとして初めてプロに転向。当時の日本のアスリートとしては異例で逆風もあったと聞きますが、マラソン選手の高橋尚子さん、競泳選手の北島康介さんなどが後に続き、現在ではアマチュア選手のプロ転向は珍しくなくなりました。また、宿泊型のプログラムで小学生がアスリートと過ごす「キッズ・スポーツ体験キャンプ」を18年にわたって開催されるなど後進の育成にも尽力されていますね。

有森さん:後進に対して自分が何かを「できる」とか、「しよう」という意識はあまりないんです。自分がどう生きたいか、そのために何をすべきか、したいのか。私の原動力はいつもそこにあって、マラソンも「生きるために」走っていました。

「キッズ・スポーツ体験キャンプ」は、子どもたちの新鮮な感性に触れるのが楽しくてたまらないからやっています。もちろん、子どもたちも多くの発見をしながら楽しんでくれています。でも、私も自分のために楽しくやっているだけなんですよ(笑)。

一方で、自分のあり方が後輩世代に影響を与えることは自覚しています。だからこそ、自分を大事にして整えていくことが大事だと思うんです。私が自分以外の誰かに対して唯一できることは、自分の人生を自分の意思でしっかり生きること。その結果が誰かの気づきを生み、選択肢をひとつ増やすことにつながったとしたら、それはうれしいことだな、と思いますね。

最期を迎えるのなら、前を向いて全力で走っている時に

ーー自分の人生を、自分の意思で生きる。素敵な生き方だと思います。

有森さん:いや、それが、私にはそれしかできないんです。だから、「不完全燃焼」でモヤモヤする時期もあるんですよ。実は、今もちょっとそんな時期です。

話が少し変わりますが、私はもともとあまり「長生きをしたい」と思うタイプではないんですよ。ところが、昨年受けた健康診断で、医師から少し気になる数値が出ていると言われて再検査を受けることになって。結果は「異常なし」だったのですが、その時に「今はちょっと死ねない」と思ったんですね。「頑張ってないから、死ねない」と。

ーーなぜ「頑張ってない」と思われるのですか?

有森さん:今やっている仕事は、やりたいことをやりがいを持ってやっていて、手を抜いたりはしていないんです。ただ、今は「できること」しかやっていないんですよ。「できないことにチャレンジしよう」という状態に自分がないことに違和感を感じています。これはアスリートの気質なのかもしれません。記録を更新するために練習し、常に終わりなきチャレンジを繰り返す日々だったので、それが習い性になっているんです。

新たに大きな目標を見つければ解決するとわかっているのですが、「自分の意思がないと、動かない」という私オリジナルの気質が発動して、腑に落ちないとテコでも動かないから、モヤモヤする時期が長い。そんな自分も嫌いではないのですが、面倒臭いです(笑)。

人生のチャレンジに終わりはないので、「やり切った」と思える日は来ないかもしれませんが、最期を迎えるのなら、前を向いて全力で走っている時がいいですね。今は、神様も「お前、逃げるな」と言って死なせてくれないと思います。

そう言えば、ここ数年、亡くなった父と話したいという思いが強くなっているのは、モヤモヤ期の影響もあるかもしれないですね。ああでもない、こうでもないと同じことばかりを繰り返す私の話をただ聞いてほしいんだと思います。母は健在ですが、一生懸命助言をしてくれるタイプなので、ただ聞いてもらうというわけにはいかないんですよ(笑)。

岡山で暮らす母からの“独特のセンス”の「LINE」スタンプ

ーーご著書によると、有森さんはお母様からさまざまな心に残る言葉を受け取ってきたそうですね。

有森さん:しつけに厳しく、子どものころは苦手でしたが、大きな取り柄のなかった私を見守り、元気づけてくれました。「母がいなくなったら、私はどうなるのかな」と心配になるくらい大きな存在です。

長生きしてほしいと思っていますが、母は80代前半。ともに過ごせる時間には限りがあります。おまけに、離れて暮らしていますから、この先何回会えるかわからない。そう考えると、コロナ禍でなかなか実家に戻れないのは、やはり悔しいです。

母には、自分に万が一のことがあった時にどうするかを、元気なうちに私や兄と話しておきたいという気持ちがあるようです。家のことや、延命措置のこととかね。親子といえど別々の人間。それぞれの思いがあるので、母の話をきちんと聞いて、彼女の選択を尊重したいと考えています。

そう考えるのは、父が亡くなった時の経験から。父は糖尿病と胃がんで亡くなりましたが、がんが見つかった時にはすでにかなり進行していて、本人の希望で延命治療をしませんでした。複雑な感情もありましたが、父の望む通りにしたいと思いましたし、そうしてよかったと思っています。

娘としては無理矢理にでも母を東京に連れて来て、一緒に過ごしたい思いもあります。でも、母には母の思いがあり、岡山で頑張っています。だから、せめて連絡を取りやすいようにとスマートフォンを持つよう説得し、ようやく最近使ってくれるようになりました。母から送られてくる独特なセンスの「LINE」スタンプを眺めて吹き出しながら、「元気そうだな」と少しホッとしたりしています。

ーー情景が目に浮かび、こちらまでホッとします。最後に、読者の皆さんにお言葉をいただけますか?

有森さん:マラソンを走り続けて知ったのは、どんな経験も自分のあり方次第でプラスにできる、ということです。マラソンの大会では、天気の急変や事故など思わぬハプニングが起きることもあります。例えば、初めてオリンピックに出場したバルセロナでもいろいろなことが起きました。そのひとつが、右目のコンタクトレンズを落としてしまったこと。スペアもなく、途方に暮れました。

でも、嘆いている時間はありません。「落ち着け」と自分に言い聞かせ、「コースさえ見えればいい」と覚悟を決めてスタートラインに立ちました。バタバタしましたが、おかげで頭が真っ白になって、気がかりだった足の痛みまで忘れて、無心で走れました。その結果、銀メダルを獲得することができたんです。

マラソンで力を出し切るために大事なのは、自分ではどうしようもないことにとらわれず、ただ目の前のことに集中して走ること。人生も同じではないでしょうか。どんな時も、今自分にできることを一生懸命やり、すべてを自分の力に変える。それが人間にできる唯一のことであり、人間のすごさだと思います。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
「生たらこ」のおにぎりが食べたいです。おにぎりは大好きで、海外から帰国したら、一番に食べます。学生時代、バレンタインデーに片想いの相手に巨大おにぎりを渡したこともあります。一合分のおにぎりをハートの型にぎゅっぎゅっと押し込んで作りました。きっと、迷惑だったでしょうね(笑)。
※写真はイメージです

「生たらこ」とは?

塩漬けされていない、生のマダラの子(魚卵)。国産のものは冬に出回り、煮付けや腕種にする。新鮮なものはぷちぷちとした食感が美味しい。なお、「たらこ」や「明太子」はスケトウダラの卵巣で、一般的に「たらこ」は塩漬けしたもの、「明太子」は唐辛子を含む調味料に漬け込んだものを指す。

プロフィール

元プロマラソンランナー/有森裕子さん

【誕生日】1966年12月17日
【経歴】岡山県岡山市生まれ。オリンピックのバルセロナ(1992年)、アトランタ(1996年)両大会で銀メダル、銅メダルを獲得。2007年「東京マラソン2007」でプロマラソンランナーを引退。1998年NPO法人「ハート・オブ・ゴールド」設立、代表理事就任。2002年4月アスリートのマネジメントを行う株式会社RIGHTS.設立(現在は株式会社アニモ所属)。スペシャルオリンピックス日本理事長、日本陸上競技連盟理事副会長など数多くの要職を務める。
【そのほか】2010年6月、国際オリンピック委員会(IOC)女性スポーツ賞を日本人として初めて受賞。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)