「つらい時も、誰かが見てくれている」友近さん【インタビュー後編】~日々摘花 第18回~

コラム
「つらい時も、誰かが見てくれている」友近さん【インタビュー後編】~日々摘花 第18回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

本編は、第18回のゲスト、友近さんの後編です。
前編では、友近さんがお笑いに関心を持つきっかけをくれたお父様との別れについてお話しいただきました。後編では身近な人たちとの「永遠の別れ」がご自身にもたらした変化や、死生観をうかがいます。

故郷・愛媛の仕事とともに亡き父への報告も増えた

−−お父様が亡くなって5年。今はその存在をどのようにお感じになっていますか?

友近さん:子どものころから、私にとってご先祖様は大切で、身近な存在。仏壇に手を合わせたり、お墓参りすることは日常の中で自然とやっていました。父についても同じで、事あるごとに報告をしています。

−−ここ数年の出来事で、お父様に真っ先に報告したことは?

友近さん:いろいろありますが、愛媛での仕事をたくさんさせてもらえるようになったことかな。私はもともと地元愛が強いのですが、一度故郷を離れて暮らしたことによって少し客観的な視点で愛媛のことを見るようになり、ますます愛媛の魅力を感じるようになりました。海と山と街が近くて暮らしやすいし、伊予柑や「紅まどんな」といった柑橘類、真鯛、ブランド豚など特産物も多く、豊富な食材を新鮮に楽しめます。

そして、たまらなく面白いのが、新しいものとレトロな文化の混ざり具合。おしゃれな洋服屋さんやカフェが立ち並ぶ松山の市街地から車を20分ほど走らせれば、3000年もの歴史を持つと言われる道後温泉があり、温泉街の一角には、日本に3軒しか残っていないストリップ劇場が。ロケの仕事でその劇場の踊り子さんたちにお話を聞いたことがあるんですけどね。皆さん、昭和の文化を守ろうと日々新しい企画に取り組んでいて、そのプロ意識の高さに多くを学ばせてもらいました。

こうした愛媛の土地や人の良さをたくさんの人に知ってほしいという思いがあり、以前から愛媛関連の仕事は喜んでお受けしていましたが、2021年7月からは愛媛県庁より依頼を受け、自分で取材した愛媛の情報をSNSで発信したり、編集長として地域情報誌の制作にかかわったりするなど愛媛を拠点に仕事をする時間がより増えました。

取材のテーマは、おいしいものや注目スポットから、高齢化や過疎問題への県の取り組みなどさまざま。県外の方はもちろん、県内の方たちにも愛媛を再発見してもらえたら、という思いでやっています。私自身、取材をして初めて知ることがすごく多いんですよ。実家に立ち寄って仏壇に手を合わせては、「今日はこんな仕事が面白かった」と父に報告しています。父とは、生前よりも今の方がたくさんしゃべっていますね。ただ、夢にはまだはっきりと父が出てこないんですよ。もうちょっとしっかり出てきてほしいな、と思っています。

やりたいことをやるには、戦うつらさも。それでも、生きている今のうちに

−−友近さんご自身は死というものをどのように捉えていらっしゃいますか?

友近さん:死んだら、生き返ることができないんですよね。当たり前のことなのですが、歳を重ね、父や仕事仲間といった身近な人たちを見送るうちにそのことをリアルに感じ、生きている今を大切にしなければという思いを強めました。老後のために何かをやるのではなく、「やりたいことは、今やっとかんとあかんな」って。愛媛関連の仕事を積極的にさせてもらっているのも、「今を大事にしたい」という気持ちが大きいです。

ただ、やりたいことをやるって、ひと筋縄ではいかないです。私は若いころから自分が本当に面白いと思える笑いしか取り入れることができず、テレビで興味を持ってくれたお客さんが求めるものに必ずしも応えられなくて、葛藤した時期もありました。もう少し柔軟になれたら悩みも少なかったかもしれません。でも、芸人になって20年経った今、たくさんのお客さんがライブに通い続けてくださり、お手紙やSNSにもコメントをくれています。そう考えると、私は私なりの道を歩んできて良かったのかもしれません。

やりたいことをやるには戦わなければいけないこともたくさんあるけれど、戦うからこそ手に入れたものの喜びも大きい。だから、やっぱり、生きているうちにやりたいことを、と思います。

私の葬儀には、「3人」の遺影を飾ってもらいたい

−−ご自身の葬儀については、何かイメージをお持ちですか?

友近さん:あります、あります。私のことを心から理解してくれている人に弔辞をお願いできたらいいな、と思っています。それから、遺影は3人分飾ってもらう予定です。

−−なんと、3人分ですか。

友近さん:まず私の遺影。それから、コントのキャラクターの「中高年プロアルバイター・西尾一男」と「演歌歌手・水谷千重子」の遺影です。ふたりとも数あるネタのひとつから始まりましたが、CMに出演したり、「水谷千重子」は明治座や博多座で「50周年記念講演」をやったりと、ひとり歩きしてやりたい放題。私が最期を迎えるまでこのふたりのキャラクターとは一緒に歩み、私たちの葬儀に来てくださる方には、葬儀という名のラストライブを楽しんでもらえたらと密かにネタを仕込んでいます。

−−3人分の人生を生き、葬儀では3人の遺影を。素敵ですね。ところで、葛藤した時期もあるとうかがいましたが、気持ちが沈んだ時、友近さんはどのように過ごしていますか?

友近さん:「誰かが見てくれている」と思うようにしています。生きている人なのか、ご先祖様や神様なのかわからないけれど、誰かが見てくれているって。そういう意味では、父が他界してからは、「おとん、見とるやろ」と常に感じているので、少し肩の力が抜けた感じがしますね。あとは、「塞翁が馬」じゃないですけど、つらいことがあっても、「絶対、次はいいことにつながる」と考えて、心のバランスを取っています。

−−最後に、読者に言葉を贈っていただけますか?

友近さん:人生一度きり。やりたいことをやっていきましょう! 私もそうします(笑)。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
ハワイです。毎年、家族みんなを連れていき、なじみのホテルに泊まっています。予約するのは、いつも同じホテルの全員で泊まれるオーシャンフロントの部屋で、ソファーでくつろいでいるだけでハワイが満喫できます。祖母や母は足腰が弱くなっているし、子どももいるから、ホテルでゆったりと過ごすのが一番なんですよね。上京以来仕事で忙しく、家族と離れていた私にとって、年に1回のハワイ旅行は貴重なひととき。コロナ禍が落ち着いたらハワイで家族と思いっ切り羽を伸ばしたいです。

スパムおにぎり

友近さんがハワイを訪れる度に食べるローカルフードは「スパムおにぎり」。スライスしたランチョンミート(生のひき肉に塩や香辛料を加え、缶に詰めて加熱した加工食品)を焼き、握ったご飯に乗せて「軍艦巻き」のように海苔で巻いたもので、「スパム®」は米国の食品メーカーの商標。ハワイ在住の日系人が第二次世界大戦後に考案したと言われる。

プロフィール

お笑い芸人/友近さん

【誕生日】1973年8月2日
【経歴】愛媛県松山市出身。2000年に吉本総合芸能学院(NSC)に入学。2002年、「R-1ぐらんぷり2002」でファイナル初進出。2003年にNHK上方漫才コンテスト優秀賞、NHK新人演芸大賞で大賞を受賞。2016年、水谷千重子「キーポンシャイニング歌謡祭」ツアースタート。水谷千重子のInstagram(インスタグラム)のフォロワーは36万人を超える。
【その他】俳優としても活躍し、2018年映画『嘘八百』で第28回日本映画批評家大賞助演女優賞を受賞。2011年愛媛県の伊予観光大使に就任。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)