「父と母が交わした最後の約束」映画監督 信友直子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第24回~

コラム
「父と母が交わした最後の約束」映画監督 信友直子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第24回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

本編は、第24回のゲスト、信友直子さんの後編です。
前編ではご両親の老老介護の様子や認知症が進行していくお母様の姿を信友さんがどのような思いで撮り続け、作品として公開したのかをお話しいただきました。後編ではお母様との別れと、お母様との別れがその後の信友さんに与えた変化についてうかがいます。

「お母さん、逝かないで!」と叫ぶはずが…

ーー2022年3月公開の映画『ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~』では、お母様が脳梗塞で入院された後、毎日片道1時間かけて病院に通い、「おっ母、はよ帰ってこいよ」と励まし続けたお父様の姿が印象的でした。

信友さん:母が家に帰ってきた時にしっかりと介護できるよう、98歳にして筋トレまで始めてね(笑)。昔の父は一日中本を読み、家事も一切しない人でしたから、母の介護が始まってからの父の姿には「90を超えても、人はこんなに進化できるんだ」と感動すら覚えました。

ーーお母様は一時リハビリができるまでに回復したものの、その矢先に2度目の脳梗塞が起き、2019年以降は寝たきりの生活に。そのままコロナ禍に入り、ご家族の面会もままならなくなりました。

信友さん:2020年4月に緊急事態宣言が発令される少し前から面会を控え、父と母は2カ月半くらい会っていなかったと思います。その間に母の容態が悪化したものの持ちこたえ、病院の面会禁止期間が明けた6月1日、その日を待っていたかのように危篤に陥りました。

私は新型コロナウイルスの影響で仕事がキャンセルになって3月から実家に戻っていましたので、父と一緒にすぐに病院に向かったところ、「持って、あと数日」と医師に告げられました。ところが、父が声をかけたとたん母が反応し、母はその日から2週間も頑張ってくれました。
信友さん:母との最後の夜。私は涙ながらに母にあいさつめいた言葉を語り続けていたのですが、父はずっと「あいさつなんかしたら、おっ母が『私はもうダメなんかね』と思うから、わしゃよう言わん」と言ってました。だから、いつも通り励ましの言葉をかけるんだろうなと思っていたんです。

ところが、いよいよという瞬間に父が突然立ち上がり、母の手を握りながら「ありがとね。わしもええ女房もろたと思うちょります」と言ったんです。そして、映画ではお見せしていませんが、旅立つ母に父はもうひとつ言葉をかけました。「わしが逝くときには、あんた、道に迷わんよう手を振りよってくれ。あの世でまた仲良く暮らそうや」って。その父の言葉を聞いて母は息を引き取りました。

ドラマなどで、娘が「お母さん、逝かないで!」と叫ぶ場面がありますよね。危篤の母に語りかけていた時、私も同じ思いでした。でも、父が突然立ち上がった瞬間から私の出る幕がなくなってしまって(笑)。私が生まれるよりも前に出会い、60年連れ添ったふたりが再び会う約束をしながらしばしの別れを惜しむ……。その一部始終を目の当たりにし、何か崇高なものを前にした時のような感覚に包まれながら、母を見送りました。

“憧れの人”に手を握られて旅立った母

©2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会
ーーご両親の絆の強さを感じます。そう言えば、若き日のお母様にとってお父様は憧れの人だったとか。

信友さん:両親はお見合い結婚でしたが、それ以前から母は通勤時に父を見かけて気になっていたようです。憧れの人と結ばれ、介護が必要になってからは優しく面倒を見てもらい、その人の「ええ女房もろた」「あの世で仲良く暮らそう」という言葉を聞きながら旅立つなんて、ものすごく幸せな人生ですよね。

母の人生には大変なこともたくさんあったでしょうし、晩年は認知症になり、脳梗塞で倒れてからは寝たきりでつらかったはずです。家族にとっても、介護の日々はきれいごとだけではありませんでした。でも、最後の最後まで精一杯生きる姿を私たちに見せ、父に手を握ってもらって旅立った母は、「お母さん、逝かないで!」という言葉がそぐわないと感じられるほど幸せそうでした。

私が身近な人の最期に立ち合ったのは、母が初めてでした。初めて触れた死が本当に幸せそうだと感じられるものだったことを「ちょっとラッキーだったかも」と思います。死をいたずらに怖れなくなったからです。母は身をもって生き方、老い方、死に方を私に教えてくれました。

101歳の父を撮り続ける理由

ーー離れた場所で暮らしていると、家族の最期に間に合わないことも多いです。お母様の容態が悪化された時期はコロナ禍の影響でお仕事がキャンセルになり、呉市にお戻りになっていたとのことですが、通常なら東京にいらっしゃっていたかもしれませんね。

信友さん:実は、新型コロナウイルス感染症の拡大が始まったばかりの時期に、実家との行き来がしばらく難しくなりそうだと判断して、一旦東京の住まいを引き上げて呉市に帰ったんです。母にもそのことを報告していました。母の容体が悪化したのはその数週間後。母は父のことをすごく心配していましたから、「直子がおるなら、お父さんもそれほど寂しゅうないじゃろう」と私にバトンを渡して旅立ったのではと思っています。

母がひとつ心残りだっただろうなと思うのは、コロナ禍の影響で、身内だけの葬儀だったことです。移動制限のある時期で、東京に住んでいる親戚すら参列していただくことができませんでした。母は友達の多い人でしたから、本当はいろいろな方に最後のごあいさつをしたかったはずです。わざわざ遠くから会場まで来てくださった方にもご参列いただけず、申し訳なかったです。
ーーお母様の最後のお姿を、映画『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえりお母さん』で皆さんに見ていただけたことが救いですね。

信友さん:そうですね。ちょっと母の執念を感じます(笑)。
©2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会
ーーお父様は現在、101歳になられたとか。

信友さん:母を亡くした直後はやはり気落ちしていましたから、心配していたのですが、コロナ禍の影響が続いていて私の仕事が調整しやすく、そばにいられたのが幸いでした。少しずつ元気を取り戻し、2作目公開前には手押し車にチラシを積んで「娘の作った映画です」と宣伝して回っていた、と友人のSNSで知りました。1作目公開以降、町を歩いていると声をかけられることも多いようです。

元気とはいえ101歳なので、なるべく父のそばにいたくて、私は現在、2週間ごとに呉市と東京を行ったり来たりする生活をしています。東京にいる時も毎日電話はしますが、娘に心配をかけないようにと声だけ元気なふりをすることもあり得ます。電話だけでは心配なので、ご近所や町の皆さんに何となく見守っていただけている感じがあることはとても心強いですね。

父のことはこれから先も撮り続けていきます。父も撮られることが楽しいみたいですしね。いつか映画にという思いもありますが、それ以前に、ひとり娘として父の映像を残しておきたいんです。母が亡くなって思ったのは、母の映像がたくさんあってよかったなあと。写真だと静止しているから「もう声は聞けないんだな」「母はもう動かないんだな」と感じられてさみしいけれど、映像には欠落したものがないから、母をリアルに感じられます。だから、大切な方の映像を撮っておくことを、折に触れて皆さんにもおすすめしています。
ーー本日はありがとうございました。最後に読者に向けて言葉のプレゼントをお願いします。

信友さん:1作目の上映会を開いた時に、認知症のお母様を介護し、看取った経験のある女性から「私は母を見送って、介護は親が命懸けでしてくれる最後の子育てだと思った。映画を観てそれを思い出した」という感想をいただき、印象に残りました。当時は「いい言葉だな」と思っただけでしたが、母の最期に立ち合って実感しました。「介護は親が命懸けでしてくれる最後の子育て。」……この言葉を贈ります。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
かなうことなら、私が生まれたころの広島県・呉市にタイムトラベルをしたいです。父によると、当時の呉市は今よりも人口が多く、すごくにぎやかだったそうです。幼いころ、夕食後は父とふたりで散歩に出かけるのが日課でした。今思えば、父は一日中家事と育児に追われている母に息抜きの時間をと考えてそうしていたのでしょう。父と手をつないで歩いた近所の商店街は夜までにぎわい、ネオンがキラキラと瞬いて、子供心にわくわくしたのを覚えています。

呉の坂道

瀬戸内海に面し、三方を山に囲まれた呉市。海軍の町として栄えた時代、市の平坦部は軍が使用し、住民の多くは山の斜面に住んだことから、山沿いに住宅が密集し、坂道が多い。「呉市の観光で時間に余裕があれば、この坂道を歩くのも面白いと思います。路地が入り組み、曲がりくねった先に石の階段があったり、急に視界が広がって海が見えたり。探検気分も味わえて楽しいですよ」と信友さん。

プロフィール

映画監督/信友直子さん

【誕生日】1961年12月14日
【経歴】広島県呉市生まれ。東京大学文学部卒。1986年から映像制作に携わり、フジテレビ『NONFIX』や『ザ・ノンフィクション』などで数多くのドキュメンタリー番組を手がける。2009年、セルフドキュメント『おっぱいと東京タワー〜私の乳がん日記』がニューヨークフェスティバル銀賞、ギャラクシー賞奨励賞を受賞。2018年、初の劇場公開映画『ぼけますから、よろしくお願いします。』が令和元年度の文化庁映画賞・文化記録映画大賞を受賞。
【そのほか】2018年から広島県呉市の観光特使も務めている。

Information

映画『ぼけますから、よろしくお願いします。〜おかえり お母さん~』は、認知症の母と老老介護する父の暮らしを、ひとり娘である信友さんが丹念に記録した2018年公開のドキュメンタリー「ぼけますから、よろしくお願いします。」の続編。2022年3月から全国でロングラン公開されている。
©2022「ぼけますから、よろしくお願いします。~おかえり お母さん~」製作委員会
全国順次公開中。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)