「娘に残せる唯一のもの」麻木久仁子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第39回~

コラム
「娘に残せる唯一のもの」麻木久仁子さん【インタビュー後編】~日々摘花 第39回~
2010年に脳梗塞を発症、2012年に乳がんの手術を受け、講演会などで健診の大切さや自身の経験について発信している麻木久仁子さん。後編では、大病を経験した50代を経て還暦を迎えた今、麻木さんが感じている大切な人たちへの思いや、「終活」についてのお考えをうかがいました。

私、母、妹が立て続けに大病を経験した50代前半

−−麻木さんは48歳で脳梗塞を発症、50歳の時には乳がんの手術を経験されたそうですね。

麻木さん:ありがたいことに私の場合はどちらも早期発見で、受診や健診の大切さを実感しました。仕事で病気や医療の情報にはよく触れていましたが、人間というのはやはり自分が経験しないとわからないものですね。脳梗塞の時も乳がんの時も、「まさか私が」と思いました。
麻木さん:当時は家族も立て続けに大きな病気をしました。私が脳梗塞になった直後に当時70代だった母が心臓の大手術をし、ようやく落ち着いたかと思ったら、私が乳がんに。数年後には妹が50代はじめで脳出血を起こし、救急車で病院に運ばれました。

妹が倒れた時は症状が重く、一時は最悪の事態も覚悟しましたが、奇跡的に復活。2週間後には「パソコンを持ってきて」と言ってベッドで仕事を始めました。「社畜だな」とからかいながらも胸を撫で下ろしたのを覚えています。

病気はこりごりですが、この時期以降、家族の絆は一層深くなりました。「お互い何があるかわからない」というのが身に染みてわかり、いたわり合えるようになったのかもしれません。両親の離婚後、母、私、妹、弟の4人で暮らしたころは生活に余裕がなく、妹や弟はまだ子ども。ギスギスした時期もありましたが、今ではそれも笑い話。口には出しませんが、「大変なこともあったけれど、家族がいたから乗り越えられた」と思っています。

母とシェアハウス、ときどき娘と“推し活”

−−現在はお母様と同居されているのですよね。

麻木さん:母が心臓の手術をしたことをきっかけに、2014年から母、私、娘の3人で住み始めました。今は娘が社会人になって独立し、母とふたりに。食事は私が作っていましたが、「自分が食べたいものを作るから、もう作ってくれなくて大丈夫」と言われ、今は必要な時には助け合うシェアハウス状態。ほどよい距離感で暮らしています。
妹や弟は「お姉ちゃんがお母さんの面倒を見てくれているから」と言って、旅行やお芝居にと母を連れ出してくれ、母も喜んでいて助かっています。日常的な母のことも、最近は私も還暦を迎えてすべてをやるのは難しくなり、思い切って「ちょっとお願いしていい?」とふたりに頼んだら、すごく気持ちよくやってくれたんですよ。「なんだ。もっと早く言えばよかった」と思いました(笑)。昔はひとりで頑張っているつもりでカッカすることも多かったけれど、「ちょっとお願い」が言えるようになって、不機嫌でいる理由がなくなりました。
麻木さん:娘もこの数年ですっかり大人になり、今は友人のような関係性です。コロナ禍で私の仕事がすべてなくなって落ち込んでいた時には、「元気の出るものを教えてあげる」と言ってBTSの写真集やDVDを買い与えてくれました。私はすっかりBTSのとりこに(笑)。娘は家を出てからもちょくちょく遊びに来て、楽しくごはんを食べ、一緒にBTSの動画を見て、「じゃね」とハグをして帰っていきます。

「明日は明日の風が吹く」と気楽に構え、一日一日を機嫌よく

−−ところで、麻木さんは「終活」について何かお考えになっていますか。

麻木さん:母ひとり娘ひとりなので、先々娘に迷惑をかけないように、とは思っています。つい最近考えをめぐらせていたのは、お墓のこと。現時点で私が入るお墓はないので、新たに建てるという選択肢もあるかもしれないけれど、娘はいずれ結婚してどっちの姓を名乗るかわからないし、国内でずっと暮らすかどうかもわかりません。「お墓があったところで、どうなんだろう」と思っていた時、東京・築地本願寺で合同墓の募集を見かけました。

調べてみたら、合同墓というのはお墓のマンションのようなもの。プランはいろいろあるようですが、お寺に永久にお骨を預かってもらえ、礼拝堂に名前も刻まれるとのこと。築地本願寺は浄土真宗のお寺ですが、私は子どものころに父の方針で浄土真宗のお寺の日曜学校に通わされた時期があって、「南無阿弥陀仏」のお念仏にもなじみがあります。

仏教に詳しいわけではありませんが、浄土真宗では「故人は亡くなってすぐに成仏して極楽浄土に旅立ち、そこで生まれ変わる」とされていて、「お墓にその人はいない」「お墓は故人をしのびつつ、阿弥陀如来の慈悲に気づく場」という考え方なのだそうです。

その考えに基づけば、私がこの世を去った後、お墓に私はいないのだから、娘がお墓の前で泣く理由がありません。おまけに、合同墓ならお骨もお寺にずっとお任せできるから、娘はお墓のことを気にかけなくていいし、物理的な心のよりどころがほしければ、お寺に来てもいい。「来てもいいし、来なくてもいい」くらいの感じが、少子化時代の代表のようなうちの家族構成には合っているかもしれない、と思っています。
−−娘さんに、「これだけは残したい」というものはありますか?
生後間もない娘を抱いて。麻木さんご提供
麻木さん:残すよりも、できるだけ迷惑をかけず、嫌な思い出を残さないようにしたいです。ただ、望んで子どもに迷惑をかける親はいないはず。迷惑をかけないよう善処はするけれど、明日突然倒れて半身不随になり、治療費のために蓄えも尽きて、娘にお世話になるというようなことがないとは言えません。

人生は何が起こるかわかりませんから、結局のところ、私が娘に約束できることはほとんどありません。唯一あるとすれば、「ママは私の母親として生きて幸せそうだった」と思ってもらうこと。だからというわけではありませんが、最近は素直に、「あなたを産んでよかった」と口に出して言っています。「あなたでよかった」−−−−これだけは、何が起きようと変わらない事実ですから。
−−最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

麻木さん:「明日は明日の風が吹く」という言葉が好きです。映画『風と共に去りぬ』の主人公・スカーレットがラストシーンで口にする“Tomorrow is another day.”の和訳として有名な言葉ですが、浮き沈みの激しい芸能界で40周年を迎えた今、「本当にそうだな」と実感しています。

芸能界で40年間仕事ができたというのは、40年もの間、私に仕事を与えてくれる人がいたということ。ひとつの仕事が終わるとたまたま新しい出会いがあり、「もうダメかな」と思いきや、すんでのところで拾ってくれる人が現れて……。綱渡りのようにして、今日に至ります。

芸能界というのは運や縁に左右される世界。明日のことを思い悩んでも仕方がありません。人生も同じで、「明日は明日の風が吹く」と気楽に構え、一日一日を機嫌よく過ごすことが一番大事なのかなと思っています。

~EPISODE:癒しの隣に~

沈んだ気持ちを救ってくれた本・映画・音楽などがあれば教えてください。
「お葬式にはこの曲を」と娘に頼んでいるのは、EPOの「百年の孤独」。「人生の最後にこんな心境でいたい」と思える歌詞で、私にとって「より良く生きていくための曲」。娘にはこの話を何度も繰り返し、最近では「わかった。かけるから」と軽く流されています(笑)。

EPO 「ゴールデン☆ベスト」

EPOのベスト・アルバム「ゴールデン☆ベスト(EMI YEARS)」。「百年の孤独」のほか、代表曲「Down Town」のアコースティック・ヴァージョン、「さとうきび畑」「竹田の子守唄」などを収録。

プロフィール

タレント/麻木久仁子さん

【誕生日】1962年11月12日
【経歴】東京都出身。タレントやコメンテーターとしてテレビ・ラジオで活躍。2010年に脳梗塞、2012年に乳がんを発症。病気の体験から食事を見直し、国際薬膳師、温活指導士などの資格を取得。「体を温め、免疫力を高める」という考えや食事などを提案している。

Information

麻木さんの著書『おひとりさま薬膳』(光文社)。胃腸に優しい「大きめ茶碗蒸し」、生命力を養う効果があるごまの「おひとりさま和え」など薬膳をベースにし、一人分を作りやすく考案されたレシピや、薬膳を気軽に取り入れるアイデアや自身の経験を綴ったエッセイなど、仕事や子育てに頑張ってきた「おひとりさま」の時間を楽しく、健康に暮らすヒントが満載。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)