「口数が少ない父がくれた3つの言葉」歌手・エッセイスト アグネス・チャンさん【インタビュー前編】~日々摘花 第42回~

コラム
「口数が少ない父がくれた3つの言葉」歌手・エッセイスト アグネス・チャンさん【インタビュー前編】~日々摘花 第42回~
香港で生まれ、両親と兄一人、姉二人、弟二人の8人家族で育ったアグネス・チャンさん。17歳で単身来日した当初は、家族と離れて暮らすさみしさにひとり涙する日もあったそうです。前編では、末娘のアグネスさんをいつも励ましてくれたお父様との思い出と別れについてうかがいました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

「アグネス・チャン」ではなく娘「陳美齢」を愛してくれた父

−−アグネスさんにとってお父様はどのような存在だったのでしょうか。

アグネスさん:父は香港生まれの香港育ちで英語が話せ、イギリス紳士のような人でした。口数は少なかったけれど、優しかったです。私は6人きょうだいの4番目ということもあって家族の中での存在感が薄く、優秀な姉たちと比較されて自分に自信を持てない思春期を過ごしました。そんな私を唯一、「君はそのままでいい」と見守ってくれたのが父でした。だから、私は父が大好き。完全なファザコンです(笑)。

−−アグネスさんが香港で歌手としてスカウトされた時、お父様は反対されたそうですね。

アグネスさん: 父は私の学業と仕事の両立がうまくいかなくなるのではと心配したんです。学業を第一にし、テストの平均点が80点以下になったら芸能活動を辞めるという約束で、何とか許しを得ました。

日本でのデビューも、学業をおろそかにしないことと、健康管理が条件でした。ところが、日本でのデビュー曲の『ひなげしの花』がヒットし、寝る間もない忙しさに。父は「これは普通の女の子の生活じゃない」とものすごく怒りました。

21歳で一度芸能界から離れ、カナダに留学したのも、父の勧めでした。目先の忙しさに振り回されていた私を心配した父から、「このままでは自分を見失ってしまう。カナダに留学し、誰も知らない場所で頭を冷やしなさい」と一喝されたんです。

アイドルとして絶好調の時期でしたから、父以外はみんな引退に反対でしたし、私自身もたくさん迷いました。最終的に留学を選んだのは、父の「お金や名声は流れるもの、奪われるもの。でも、学んで得た知識は宝物。誰からも奪われない」という言葉が心に響いたからです。父は「勉強できる時には、ありがたく勉強しなさい」とも言ってくれました。
アグネスさん:カナダ・トロント大学で社会児童心理学を学んだ2年間は、私の人生にとって大きな転機だったと思います。勉強は予想以上に大変でしたが、知識を得ることの楽しさ、大切さを知って「もっと学びたい」という思いが高まり、その後の米国・スタンフォード大学での博士号取得にもつながりました。

そして、学び続けたことによって結果的に芸能界以外での仕事も増え、ユニセフ大使など社会活動の幅も広がっていきました。もしあの時、カナダに留学しなかったら、今の私はいなかったでしょう。父の言葉を信じて学び続けたから、人生がより豊かになったと感じています。

父は激動の時代の香港で苦労しながら事業を興し、家族だけでなく親戚も支えた人。学び続けること、健康であることの大切さを誰よりも知っていたから、私には何をおいてもそのことを教えたかったのでしょう。私を歌手「アグネス・チャン」ではなく娘の「陳美齢」として愛し、私が私として生きるための道を示してくれた父に心から感謝しています。

40年以上経った今も、さみしさは消えない

−−そのお父様が亡くなられたのは、1977年3月。アグネスさんがカナダに留学されて半年が過ぎたころだったそうですね。

アグネスさん:胆石の手術がうまくいかず、急に亡くなったんです。56歳でした。「信じられない」という思いでいっぱいでしたね。「親はいつまでもそばにいてくれるもの」と思い込んでいましたから……。もう永遠に会えないんだ、と悲しくてさみしくて、しばらくは泣き暮らしていました。

40年以上経った今も、悲しみ、さみしさは消えません。何かつらいことがある度に「お父さんがいてくれたら」と思うし、自分の価値を疑って落ち込んだ時には、今でも「お父さんなら、何て言うだろう」と声が聞きたくなります。「時間が経てば、悲しみは消える」とよく言われますが、消えないです。

でも、それでいいのだと思います。悲しみ、さみしさが消えないというのは、亡くなった人との間にいい思い出がたくさんあるということ。思い出は心を温め、生きていく力をくれます。

私のことを無条件に愛してくれた父が旅立ち、道標を失って途方に暮れていた時、私に力をくれたのは、父の言葉を思い出すことでした。父は口数の多い人ではありませんでしたが、ここぞという時にいいことを言うんです。とくに好きな言葉が3つあって、その言葉が今も私の心を支えてくれています。

この世にあるものは、形は変わってもなくならない

−−どのようなお言葉でしょうか。

アグネスさん: ひとつは、先ほどお話しした「お金や名声は流れるもの、奪われるもの。でも、学んで得た知識は宝物。誰からも奪われない」。ふたつ目は「いじめられたとき、裏切られたときこそ相手の幸せを祈ろう」。子どものころ、友だちに意地悪をされたことを父に話した時にかけてくれた言葉ですが、「そんなこと、とてもできない」と思いました。

でも、父に理由を聞くと、「人をいじめるのは、自分の人生が不幸せで、心が狭くなっているから。その人が幸せになれば、ほかに楽しいことがいっぱいあって、あなたにかまっている暇がなくなるよ」と言ったんです。「なるほど」とは思いましたが、曲がりなりにも理解できるようになったのは、大人になり、心理学を学んでからです。

もうひとつは、「迷ったら、一番難しい道を選びなさい」です。この言葉はすごく役立つ言葉(笑)。私は毎日の小さなことから大きなことまで、何かを選択する時に必ずこの言葉を思い出します。例えば、結婚後、スタンフォード大学の博士課程に留学した時。入学試験に合格した後に次男の妊娠がわかりました。

幼い子どもたちを抱えての留学は難し過ぎると思いました。でも、父の言葉を思い出して1989年に留学し、米国で次男を出産。5年後に博士号を取得しました。とても大変でしたが、やり遂げた時の達成感は忘れられません。この経験は私に大きな自信を与えてくれました。
アグネスさん:難しい道より簡単な道を選ぶ方が楽に決まっています。でも、どうしてもやりたいことがあるなら、難しくても、挑戦すべきだと思います。失敗したとしても新たな学びがあるし、何よりも、後悔のない自分でいられます。父の言葉は本当に正しかったと思います。

私には息子が3人いて、子どもたちにも折に触れて父の言葉を伝えています。なかでも「迷ったら、一番難しい道を選びなさい」という言葉にはみんな納得していて、その言葉通りの人生を歩んでいます。困難を怖れず挑戦し続ける息子たちの姿を見ていると、「お父さんは生きている」と感じます。

私が生きている限り父は生きているし、私、息子、孫へと父の言葉が受け継がれていく限り、父の命はなくならない。肉体は土に還って、花を育て、虫の命を支え、鳥が虫を食べて、動物が鳥を食べ、人間が動物を食べる。分子となって形が変わっていくだけで、命はなくならないですよね。この世にあるものは、形は変わってもなくならない。

私たちがその人を忘れなければ、その人は生き続ける。だから、父からもらったいろいろなものを生かして、自分の人生を全うすることが親孝行なのかな、と今は思っています。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
ひつまぶしを家族と食べたいです。ひつまぶしは私の大好物。ある年の誕生日に息子が大きな木桶にいっぱいのひつまぶしを贈ってくれたのも大切な思い出です。あの時はとてもびっくりしました。本音を言えば、最後の時を家族と過ごせれば、後は何も望みません。家族と食卓を囲めば、何でもおいしく感じます。

ひつまぶし

お櫃に盛ったごはんに短冊状に切ったうなぎの蒲焼きをまぶした、ひつまぶし。全国屈指のうなぎの生産地である愛知県・名古屋市のご当地グルメとして有名です。ところで、天然うなぎの旬はいつかご存知ですか? 7月の「土用の丑の日」がうなぎを食べる日として定着していることから夏のイメージがありますが、答えは晩秋から初冬にかけて。本来うなぎには冬眠に入る性質があり、この時期のうなぎは冬眠に向けて脂や栄養を蓄えるため、おいしさが増すと言われています。

プロフィール

歌手・エッセイスト/アグネス・チャンさん

【誕生日】1955年8月20日
【経歴】香港出身。1972年、日本で歌手デビュー。上智大学国際学部を経てカナダのトロント大学・社会児童心理学科卒業。米国スタンフォード大学博士課程に留学し、1994年に教育学博士号を取得。芸能活動以外にも、エッセイスト、ユニセフ・アジア親善大使など幅広い分野で活躍している。

Information

『心に響いた人生50の言葉』
アグネスさんが68年の人生で出会った大切な言葉の数々を紹介した『心に響いた人生50の言葉』(かもがわ出版)。50の言葉が「親の言葉」「自分を大事にする言葉」「働く意味を知る言葉」などのジャンル別に編まれ、自身の経験や思いがつづられている。

(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)