過ちを悔い改める「懺悔」。5つの似た言葉との違いも解説

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過ちを悔い改める「懺悔」。5つの似た言葉との違いも解説
懺悔(ざんげ)とは、今まで自分が犯した罪や過ちを告白して、悔い改めること。日常の中で頻繁に使う言葉ではないですが、テレビや小説など、ふとした瞬間に見聞きすることはあるのではないでしょうか。この記事では懺悔の意味と由来を始め、懺悔に似た5つの言葉との違いや対義語、キリスト教と仏教における懺悔の仕方などを紹介します。

罪や過ちを告白する「懺悔」の意味と由来

懺悔という言葉が示すものは、2つの漢字の意味からも読み解くことが可能です。ここでは、懺悔の意味や由来を紹介します。

懺悔は過ちを告白して悔い改めること

懺悔とは「自分が犯した罪や過ち(あやまち)を告白して、悔い改める」という意味を持つ言葉です。罪を告白する相手は自分以外の他者。信仰する神仏、親や友人といった身近な人など、その対象は多岐にわたります。
また、「懺(ざん)」も「悔(げ)」も、訓読みでは「懺・悔(く)いる」と読むことが分かります。つまり、懺悔に使われている漢字はどちらも「過去に犯した罪や失敗を反省すること、悔い改めること」を表しています。
ちなみに「懺」は心を示すりっしんべんに、細いという意味の「韱」(やまにら)を書きます。一字でたっぷり20画もあります。おみくじの「籤」(くじ)にも同じ漢字が使われています。

もともとは仏教用語だった

懺悔は、なんとなくキリスト教のイメージが強いかもしれません。しかし、元々は仏教用語です。仏教用語としては読み方も異なり、「さんげ」と発音します。「自分の罪や過ちを反省して告白する」という意味で、罪を滅ぼし身を清めるための重要なおこないとされています。
他の宗教にも懺悔(さんげ)に似た儀式や行為があり、これには「懺悔(ざんげ)」という言葉が使われています。いずれの宗教でも罪を認めて告白するという内容は同じです。現代において懺悔は一般用語として浸透しています。

「懺悔」を使う場面と使い方

日常生活の中で、懺悔という言葉を使う機会はそう多くありません。ここでは、一般的に使われる場面と、懺悔という言葉の使い方、例文を紹介します。

一般的に使われる場面

日常で「懺悔」を使うシーンはそうはなく、テレビや小説などで見聞きすることの方が多いのではないでしょうか。日記でちょっとした過ちを反省したい時や、言葉遊びが許される仲間に対して大げさに謝りたい時に使うのは有効かもしれません。

使い方と例文

懺悔は「自分が犯した罪や過ちを告白する」という意味を持つため、「〇〇の前で懺悔する」「〇〇に懺悔した」(〇〇は信仰対象、身近な人などの他者)などと使います。懺悔を使った例文は次の通りです。
<例文>
  • 自分の失言を友人の前で懺悔する。
  • 仕事の失敗の原因が自分にあることを、職場の仲間に懺悔した。

5つの似た言葉と「懺悔」の違い

日本語には、懺悔に似た言葉がいくつか存在します。今回は「謝罪」、「反省」、「告白」、「告解(こっかい)」、「悔悛(かいしゅん)」という5つの言葉に焦点を当て、それぞれの意味と懺悔との違いを紹介します。

1.謝罪

自分の犯した罪や過ちを、相手(主に被害者)に詫びることが謝罪です。懺悔も謝罪も、自分が犯した過ちや罪を認める部分は共通しています。ただし、反省の思いを告げる相手は懺悔と謝罪では異なる場合が多いでしょう。

2.反省

反省とは、自分の言動などを顧みて「良かったのか・悪かったのか」考えること。顧みた結果、悪いことだと判断した場合にその非を認め、自分を改めようとする意味も持ちます。懺悔は「罪を認め告白する」ことであるのに対し、反省は「自分のおこないを考える」ことであり、意味に微妙な違いがあります。

3.告白

自分の中で秘密にしていたことを、他者に打ち明けるのが告白です。キリスト教においては、自分の信仰を公に表明する意味も持ちます。自分の罪や過ちなど、悪い部分を告げる意味を持つ懺悔に対し、告白は他人への好意など良い内容も含む部分に大きな違いがあります。

4.告解(こっかい)

キリスト教の信者が自分の過ちや罪を司祭に告白し、神に許しを請うことを告解(こっかい)と呼びます。ただし、同じキリスト教でも宗派によって「罪の告白」など、呼び方が異なる点は注意が必要かもしれません。

5.悔悛(かいしゅん)

自分の罪を悔い改めることが、悔悛(かいしゅん)です。懺悔は他人に自分の罪を告白して悔い改める意味ですが、悔悛は告白の必要性はありません。また、悔悛は主にキリスト教で使われる言葉ですので、懺悔よりも告解に近いと考えられます。

過ちを告白する「懺悔」の対義語について

懺悔は、自分の犯した罪や過ちを認め、告白することです。その反対は「黙っている」または「隠している」状態と言えます。ここでは、懺悔の対義語に近いと考えられる3つの言葉を紹介します。

黙秘

黙秘とは、何も言わずに黙っていることです。「黙秘権」という言葉があるように、黙秘は自分に不利益になりそうなことを黙っている場合に使われることが多い言葉です。例えばニュース番組などで「被疑者が黙秘をしていて捜査が進まない」などと使われます。
黙秘は何も言わない状態ですので、告白する懺悔の対義語と言えます。

隠匿(いんとく)、隠蔽(いんぺい)

懺悔の対義語に近い言葉として、隠匿(いんとく)と隠蔽(いんぺい)もあります。
隠匿とは、人や物を隠すこと、隠している悪事、心に秘めた罪悪を指します。犯罪などで隠してはいけないモノを隠したときによく用いられます。具体的には、事件の時に関係者が「犯人を隠匿する」、当事者が「物資を隠匿した」などです。
もう1つの隠蔽は、人の行方や物事の真相を故意に隠すことです。抽象性の高いデータやアリバイ証明などの不都合を覆い隠す時に登場します。企業の不祥事が発覚したときなどに、「隠蔽工作をおこなった」「事実を隠蔽した」などと使われることがあります。
懺悔と同じく「黙秘、隠匿、隠蔽」もニュースなどではみかけても日常生活で口にする機会は少ないかもしれません。

【宗教別】懺悔をする方法

自分の過ちや罪を告白して救われたいときにどのように懺悔をすればいいでしょうか。ここでは、仏教とキリスト教の懺悔の仕方についてごく簡単にお伝えします。

仏教は懺悔文を用いる方法もある

仏教の懺悔(さんげ)は、罪を滅し身を清めるためのおこないとして重要なもののひとつです。その基本は、自らの罪を告白すること。儀式の日に集まった他の信徒の前で罪を告白し、それが聞き入れられることによって罪が許されます。他の信徒ではなく、仏像などの前でおこなう懺悔もあります。
その他、懺悔文(さんげもん)を用いる方法もあります。懺悔文とは、自分が犯した過ちや悪行を告白し、改めることを述べた文言で、華厳経(けごんきょう)の一説を抜き出したものです。この懺悔文を唱える、または写経することで懺悔をしたとみなされます。

キリスト教は聖堂の告解部屋でおこなう

過去のバラエティ番組などのイメージから、「キリスト教=懺悔」と連想される人もいるかもしれません。しかし、キリスト教徒でも懺悔のような儀式をする宗派は限られています
また、カトリック信徒による罪の告白は懺悔ではなく告解・ゆるしの秘跡と言い、これに使う小部屋も懺悔室ではなく、「告解部屋」「告解室」などと呼ばれます。
実際に告解がおこなわれる際は、司祭と信者が2つの部屋やブースなどに分かれ、信者は壁や小窓の向こうにいる司祭に自分の罪を告白し、神の許しを請います。許しは神が与え、司祭がこれを間に入ってサポートするようなイメージです。
どのような方法であっても大切にしたいのは、犯した罪と向き合うこと、そして、二度としないと心から悔いてその後の人生を歩むこと。仏教もキリスト教も、そのやり方を長い年月をかけて模索し、今のカタチにしてきたように感じます。

過ちを認めて自分を見つめ直す、それが「懺悔」

過ちを認め告白し、さらに悔い改めることを意味する懺悔。罪を認めるどの言葉よりも、自省の念も、前向きさも求められそうな言葉です。懺悔をするには勇気がいります。その分、実際におこなえるほどの気持ちが持てれば、今後の人生がより良いものになるはずです。