禅問答意味と使い方。具体例をあげて分かりやすく紹介

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禅問答意味と使い方。具体例をあげて分かりやすく紹介
禅問答(ぜんもんどう)とは仏教用語で、禅宗の僧が悟りを開くためにおこなう問いと答えのやり取りです。これが転じて、話の噛み合わない言葉のやり取りという意味で普段から使われています。この記事では、禅問答についての基礎知識と考え方に加え、具体例を分かりやすく紹介します。

禅問答とは?

禅問答と聞いて何を思い浮かべるでしょうか。ここでは日常で使われている意味と仏教用語としての違いや禅問答の歴史について紹介します。

日常で使う禅問答の意味

日頃から禅問答といえば、「筋の通らない話や、意味の分からないやり取り」の例えとして使われています。質問に対して見当違いな言葉を返すなど、会話の噛み合っていない様子を表しています。

例えば、「幼い子どもの口喧嘩はまるで禅問答だ」「あの2人の話は禅問答のようだ」などといった使われ方をします。禅問答は仏教用語であり、「意味の分からないやり取り」というのは、本来の意味ではありません。

仏教用語としての禅問答の意味

禅問答は文字通り、禅宗の僧による言葉や動作のやり取りのことです。修行者が疑問に対して、指導者が答える一連の問答のことを指します。「公案(こうあん)」とも言います。これは、禅宗の僧が悟りを開くためにおこなう修行法の1つです。

しかし、禅宗で悟りを開くには、言葉だけでは表しきれないものごとの真理にたどり着く必要があります。禅問答も非論理的で抽象的な側面を備えています。そのため、言葉面を追っただけでは全く意味が理解できないということが起こりえます。

禅問答の歴史

禅問答の歴史は古く、悟りを開くための質疑応答は紀元前5世紀頃のブッダの時代からおこなわれてきました。

もう少し狭義としてみると、禅宗の修行としての禅問答の成立は、中国の禅宗史書『景徳伝灯録(けいとくでんとうろく)』が編纂(へんさん)された11世紀頃と考えられています。この書物には1,701名の禅僧の逸話や説法、問答などが記されており、禅問答が広く知られるきっかけになったといわれています。

さらにこの後、中国の禅僧「雪竇重顕(せっちょうじゅうけん)」によって、禅問答がまとめられた『雪竇頌古(せっちょうじゅこ)』と呼ばれる初の公案集が登場。これに、同じく中国の禅僧「圜悟克勤(えんごこくごん)」によって手が加えられた『碧巌録(へきがんろく)』がまとめられ、現在でも有名な公案集となっています。

禅問答の考え方と向き合い方

ここでは、禅問答の考え方や向き合い方について紹介します。

文字や言葉だけでは真理は見出せない

禅問答は、文意をつかむものではありません。パッと見聞きしただけでは意味の分からないやり取りのなかにある、物事の本質や本当の意味を探すことに意義があります。

人間は文字(言葉)にとらわれやすいが、それにこだわりすぎると大切なことを見失うかもしれません。真理(=正当な知識や知恵、本当に正しいこと)にたどりつくためには、物事の本質を見極める必要があるということです。

人や物事を比較しない

普通の生活において、私たちは常識や習慣、利害関係や損得勘定などに縛られがちです。一方、悟りとは、このような状態を脱却することだと言われています。

・人を地位や関係性で見ない
・人や物に対して好きや嫌いの感情を捨てて、損得を考えない
・何かを比較したり相対的にみたりするような考え方は捨てる

このような考え方が、禅問答のなかに垣間見えるでしょう。今までの「当たり前」を一度捨て去ることが、悟りを開くためには大切なことなのです。

考えるより感じることが大切

禅僧らは1つの公案(禅問答)を与えられて自分なりの答えを見つけるという作業を10~15回ほど繰り返します。公案に向き合う時間を10年以上かける僧もいます。

禅問答では答えを出すことよりも、その問いに人生をかけて向き合い、物事の本質に触れるという体験の方が重視されます。私たちが実践してみる時も、考えることより感じることを大切にしましょう。

例文でみる具体的な禅問答

ここまで、禅問答の基礎知識、考え方、とらえ方についてみてきました。次は、テーマ別にいくつかの例文を交えて、実際の禅問答の世界に触れてみます。

立場の無視をテーマとした例文

【茶一杯の禅理】は、「立場の無視」をテーマにした禅問答です。内容をかいつまむと以下の通りです。

2人の修行僧が師匠の僧侶の元を訪ねます。ひとりは初めて訪れる僧で、もうひとりは以前にも来たことのある僧です。2人に対して、師匠は「以前にもここに来たことがあるか」という問いかけをします。もちろん、2人の修行僧はそれぞれ違った立場を伝えますが、師匠はその答えを聞かなかったかのように2人の僧に同じようにお茶をふるまいます。その様子を見ていたお寺の住職が師匠に「なぜ2人に同じようにお茶をふるまうのか」と問います。しかし、師匠は住職にも同じようにお茶をふるまうのでした。

この禅問答では、師匠は誰に対しても同じようにお茶をふるまっています。「すべての人が平等であり、分け隔てなく接する」という考えに基づいた問答です。

物事の見方を変えることをテーマとした例文

【非風非幡(ひふうひばん)】は、「見方を変える」をテーマにした禅問答の例文です。このやりとりを簡単にまとめると以下のような流れです。

風になびく旗を見ながら、2人の僧が「旗が動いているのか」「風が動いているのか」と言い争いをしています。そのとき通りかかったもう1人の僧侶は「旗でも風でもなく、あなたたちの心が動いているのだ」と言い放ちます。

この禅問答からは、柔軟な思考の大切さが見受けられます。「相手の意見を聞かずに自分の意見を押し通しても何も得られない」「相手の意見を受け入れることで信頼を得られ、長期的に良い人間関係も得られる」という考えに基づいた公案です。

思い込みは本質を見失うことをテーマとした例文

【野鴨】は、「思い込みは本質を見失う」をテーマにした禅問答です。簡単な内容は以下の通りです。

師匠と弟子が歩いていると、野原から野鴨の一群が飛び立ちました。それを見た師匠が弟子に「あれは何だ」と問い、弟子は「野鴨です」と答えます。さらに師匠は「どこへ飛んで行ったのか」と問い重ねます。弟子が「わかりません。ただ飛んで行ったのみです」と答えると、師匠は弟子の鼻を強くつまみます。弟子が「痛い!」と悲鳴をあげると、師匠は言います。「なんだ、飛び去ったというが野鴨はここにいるではないか」と。

どういうことやらさっぱりわかりません。この問答のひとつの解釈をしめすと、野鴨は本当に鳥なのか、今飛び立ったのは君の心ではなかったか。そうであるとしたら、いまここに君はいるではないか。心はそこにあるのでないか、といったところでしょうか。「見たのは鴨で、飛び去った!」という弟子の思い込みを師匠が鼻をつまむことで気付かせようとしています。「自分だけの狭い視野で物事を見ると、周りが見えなくなり本質を見失う」のだと。う~ん、難解です。

禅問答をおこなって心を落ち着かせよう

禅問答は、仏教の中でも禅宗の僧が悟りを開くためにおこなうものです。アップルの創業者、スティーブ・ジョブズが禅に親しんだようにビジネスの場面に応用されることもあります。禅問答は今までとは違う考え方や見方を教えてくれます。新たな自分と出会えるきっかけになるかもしれません。