天台宗の葬儀や法事のマナー。日本仏教の礎と言われる理由

お葬式のマナー・基礎知識
天台宗の葬儀や法事のマナー。日本仏教の礎と言われる理由
天台宗は、平安時代に最澄が開いた仏教のいち宗派です。比叡山延暦寺を本山とし、法華経を経典とします。本記事では、天台宗の葬儀や法事における作法やしきたりを紹介します。また、「すべての人は平等に仏になれる」という教えのもと、現代まで続く天台宗についてもあわせて解説します。

天台宗の基本情報

天台宗は日本仏教の礎(いしずえ)といわれる存在です。最初に天台宗の成り立ちや教えを紹介します。

天台宗とは

天台宗とは、今から約1200年前の平安時代に、伝教大師・最澄(さいちょう)が唐(中国)から持ち帰って日本に広めた仏教の宗派です。以後、日本全国に伝わり、現在の天台宗系の寺院数は4,482、信者数は約292万人を数えます。
※参照:https://www.bunka.go.jp/tokei_hakusho_shuppan/hakusho_nenjihokokusho/shukyo_nenkan/pdf/r01nenkan.pdf
(2019年12月20日 令和元年版『宗教年鑑』-文化庁)

天台宗の教典・教え

天台宗の経典は「法華経(ほけきょう)」です。日本に仏教が伝わった当初は「仏に成れるもの」は修行者に限られていました。しかし、最澄は「すべての人が仏に成れる」と説く法華経に基づき、僧侶の養成、教えの普及を目指したと言われています。

天台宗の葬儀・法事について

ここからは、天台宗における通夜、葬儀・告別式、法事のそれぞれの流れについて解説します。

葬儀・法事の基本

天台宗は、仏の教えを「顕教(けんぎょう)」と「密教(みっきょう)」の2つに分類した「顕密二教(けんみつにきょう)」という考え方が特徴的です。顕教と密教は奥深く、その意味を知ることは簡単ではありません。ひとつ違いがあるとすれば、顕教は言葉ではっきりと教えを伝える「お経」があるのに対して、密教は文字ではなく神秘体験「加持・祈祷」などで仏の境地に達することを重視しています。その両方を取り入れたり、場合によっては融合させたりしているのが、顕密二教です。天台宗のお葬式や法事ではこの顕密二教を基に、以下の3つの法要を重んじます。

①法華三昧(ほっけざんまい):2種ある顕教法要のひとつ。法華経を読誦し、懺悔し、滅罪生善の規範とする
②常行三昧(じょうぎょうざんまい):顕教法要のもうひとつ。阿弥陀経を読誦し、往生極楽の指南とする
③光明供錫杖(こうみょうくしゃくじょう):密教法要。光明真言によって滅罪息災の秘法を修す

ご臨終から通夜までの流れ

天台宗では、ご臨終とされたあと、通夜や納棺の前に臨終行儀(りんじゅうぎょうぎ)という儀式をおこなったり、枕経(まくらぎょう)をあげたりするところがあります。枕経とは亡くなった方の枕元で僧侶に読経してもらうことです。これらの儀式は最近では省略されることもあります。

通夜の儀式は、新霊の浄土への引き入れを祈ることが中心となります。多くは阿弥陀如来のお迎えを頂戴するお経が唱えられます。

葬儀・告別式の流れ

天台宗の葬儀・告別式は、次のような流れでおこなわれます。

①身体を清浄にする
 仏の浄土へ旅立つ前に、ご遺体をきれいにします。洒水(水で清める)塗香(香りで清める)で清めた後、髪を剃ります。剃髪は煩悩を除き去る儀式で、実際には剃刀(かみそり)をあてるだけで、剃ることはあまりしません。

②心を清浄にする
 心を清浄にするため懺悔の文を唱えます。

③仏の教え「戒」を授かる(三帰授戒)
 仏教徒としての基本の教え、三つの戒めを授かります。第一は帰依仏(仏を信じること)、第二は帰依法(仏の残された教えを信じること)、第三は帰依僧(仏の法を実践する僧の教えに従って暮らすこと)です。これが成仏につながる3つの仏の教えとされています。

④戒名
 三戒を受けた証として、2文字の戒名を授かります。戒名は仏の弟子としての名前で、法名とも言います。

⑤引導・下炬(あこ)
 この世と別れて必ず成仏することを言い渡すのが「引導」です。決定的なことを告げることを「引導をわたす」と言いますが、その由来にもなっています。

 次に、霊棺に松明で火を付ける下炬の儀式をします。実際の火葬は火葬場でするため、ここではしません。お釈迦様の最後に倣って、火葬のような儀式をします。

⑥念仏
 葬儀式の最後には、念仏が十回唱えられます。これを十念と言います。新たに霊となった故人を浄土に迎えて欲しい、と阿弥陀如来にお願いするためのものです。

その後は告別式として、他の宗派と同じように、届いた弔辞や弔電が読み上げられてから出棺になります。

法事について

天台宗の法事は他の宗派と同様であり、四十九日の後に納骨をおこなうと忌明けです。その後は百箇日法要を経て、一周忌を迎えると喪明けとなります。

天台宗の年回忌は、一周忌、三回忌、七回忌、十三回忌、十七回忌、二十三回忌、二十七回忌、三十三回忌とおこないます。その他にも地域によっては、毎月お参りをする「祥月命日」や、五十回忌、百回忌をする人もいます。三十三回忌以降は、家族のみで偲ぶことがもっぱらです。

天台宗の葬儀・法事の参列マナー

天台宗の葬儀や法事の流れは、他の宗派とは異なる点も多くあります。実際に天台宗の葬儀・法事に参列するにあたり、心得ておくべきマナーを解説します。

焼香と線香

天台宗は焼香の回数を特に定めていませんが、3回することが多いそうです。焼香の基本の流れは、合掌礼拝した後に右手の人差し指と中指、そして親指の3本で抹香(まっこう)をつまみ取ります。そのまま左手を右手に添えるようにして額の位置に押し上げてから、香炉の中に抹香を落とします。これが焼香の一連の流れです。焼香を終えた後にも、合掌礼拝します。

天台宗では焼香に線香を使う場合もあり、線香は3本立てることが基本です。線香を使う場合は、右手に火のついた線香を持ち、左手であおいで火を消してから供えます。1本は香炉の中心に、残りの2本は香炉の奥側に立てます。

数珠(じゅず)

数珠は念珠(ねんじゅ)とも言い、お経をあげたり、成仏を願ったりするときに左手にかけます。天台宗の本式の数珠は、平珠を使っているのが特徴です。平珠は、そろばんの珠やおはじきのように楕円形をしていることが特徴です。正式な数珠は、煩悩の数と同じ108個の主玉と4個の天玉、そして1個の親玉がついています。

他の宗派の人が天台宗の葬儀や法事に参列する場合は、自分の宗派の数珠を使って構いません。珠数の少ない「略式念珠」や、浄土真宗などで使われる2重になった「二連数珠」も使用できます。

もっと詳しく天台宗~日本仏教の礎となるまで

最澄が開いた天台宗は、その長い歴史の中で消滅の危機に陥ったことがあります。ここでは天台宗の始まりから現在に至るまでの歴史を解説します。

日本における天台宗の始まり

中国の天台山をルーツに持つ仏教が天台宗です。最澄は天台山で修行し、日本にその教えを広めました。天台宗の総本山は「日本仏教の母山」と言われる比叡山延暦寺(ひえいざんえんりゃくじ)。

最澄は天台宗とともに、密教(みっきょう)の教えも日本にもたらしました。密教は、大日如来を本尊とする仏教のいち宗派です。

密教は、言葉だけで宗旨を明白に伝える宗派とは一線を画し、修行を通じて神秘的な体験を重ねたり、師から弟子への口伝が重要視されていたりと、秘密が多いとされる宗派です。
日本における密教は、最澄による天台宗と、空海(くうかい)によって伝えられた真言宗(しんごんしゅう)の2つの系統があります。また、天台宗の密教は台の字をとって「台密(たいみつ)」、真言宗の密教は根本道場の東寺の頭文字をとって「東密(とうみつ)」と呼ばれています。

天台宗の確立

天台宗は最澄が開きましたが、宗派の確立は弟子の円仁(えんにん)によるものです。また、平安末期から鎌倉時代はじめにかけては、各宗派の開祖たちが天台宗の本山・比叡山で学びました。修行僧の中には、後に浄土宗の開祖となる法然(ほうねん)や、日蓮宗の開祖となる日蓮(にちれん)もいたと伝えられています。このことから、天台宗は日本仏教の礎と考えられています。

天台宗の危機と復活

天台宗の本山である比叡山延暦寺は、織田信長によって焼き討ちに遭うなど苦難の時代を経験しています。その後、江戸時代に入ってからは、徳川家康の懐刀といわれた僧、天海(てんかい)によって再び勢力を得て、日本全国に影響を及ぼすようになりました。

天海は、慈眼大師(じげんだいし)としても知られています。この天海がいなければ、今の天台宗はなかったかもしれない、と考えられています。

天台宗の教えを知って心のこもった葬儀・法事を

長い歴史を持ち、日本仏教に多大な影響を与えている天台宗の葬儀や法事は、独自の教えに則って営まれています。天台宗ならではのしきたりを知った上で葬儀や法事に参列することは、故人や遺族に対する想いを伝えることにつながります。天台宗の教えを知ることで、より心を込めて葬儀や法事に参列できそうですね。