「父の死に揺れた“家族のバランス”」タレント 梅宮アンナさん【インタビュー前編】~日々摘花 第20回~

コラム
「父の死に揺れた“家族のバランス”」タレント 梅宮アンナさん【インタビュー前編】~日々摘花 第20回~
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

第20回のゲストは、タレントの梅宮アンナさん。本編は、前・後編の2回に渡ってお送りする、前編です。
2019年12月に、役者として活躍した父・梅宮辰夫さんを見送った梅宮アンナさん。晩年の辰夫さんは6度のがん手術を受け、4年間の闘病生活の末に亡くなりました。アンナさんはその日々を母・クラウディアさんとともに支え、現在は「梅宮家の大黒柱」として奮闘しています。前編では相続関連の手続きに奔走した日々や、残された家族の関係性について語ってくださいました

梅宮辰夫の「エンディングノート」はレシピ帳!?

ーーお父様が他界され、2年が経ちました。この2年間はアンナさんにとってどんな日々でしたか?

梅宮さん:父が亡くなってしばらく経ったころ、SNSで皆さんに近況を報告したら、「人は親や家族を亡くして、そこから再び人生を勉強する」と書き込んでくださった人がいたんです。まさに、その言葉通りの2年間だったと思います。ふと気づけば、父がいてくれた時の私だったら知らなかったことを知り、やらなかったことをやっていて……。自分でも不思議です。

ーーお父様が亡くなってしばらくは、相続関係の手続きに苦労されたそうですね。

梅宮さん:相続は家庭ごとに事情があって、大変さもそれぞれだと思うのですが、梅宮家の場合は、預金や不動産からガス、電気、水道料金まですべて父名義。手続きが山のようにありました。母は父を亡くして泣いてばかりなので、私が頑張るしかなくて。一番困ったのは、家のことを父がひとりで取り仕切っていて、母には通帳や実印の場所はおろか、借金の有無すらわからなかったことです。
母も私も父が亡くなる3年ほど前から「年齢も年齢だから、万が一のことを考えて、何か書き残しておいてね」とお願いしてはいたんです。晩年の父はがんの手術を繰り返し、いつ何があってもおかしくありませんでした。でも、「わかった、わかった」と生返事ばかり。亡くなる少し前に、父が何かを一生懸命書いていたと母に聞いて安心していたのですが、父を見送った後に茶色い革の立派なノートを見て唖然。エンディングノートと思いきや、父らしい几帳面な字で得意料理のレシピがまとめられていました。

遺書もなく、相続は何もかも手探り。故人の口座は凍結されてしまうので、自分名義の預金通帳を持っていなかった母が暮らしていくには、少しでも早く解除したかったんです。ところが、解除には父が生まれてから亡くなるまでの戸籍関係の書類をすべて揃え、法定相続人が私たち家族以外にいないことを示さなければいけません。関係各所を調べた結果、父は戦前に満州で生まれて帰国後は水戸で暮らしていたことがわかりましたが、住民票の住所と戸籍謄本の住所が違っていたり、上京後も住まいを転々としていたりと謎だらけ。問い合わせや書類申請のために、各地の役所を駆け回りました。

父が亡くなってすぐに税理士さんに「相続税の申告と納付は死後10カ月以内に」と教えていただき、「余裕でしょう」と思っていたのですが、甘かったです。コロナ禍で外出できない時期もあり、すべての手続きが終わったのは、2020年の7月。その後もバタバタとして、ひと息ついたのは、一周忌の法要を終えたころでした。

父の形見分けのために、北九州から出版社まで

ーー大変でしたね。

梅宮さん:父が亡くなって1年は、本当に目まぐるしい毎日でクラクラしました。でも、忙しさに救われていたと今は思います。父を失った悲しみをゆっくりと感じる暇がありませんでしたから。それに、父が遺してくれたものに一つひとつ向き合うのは、パワーも必要ですが、「どうすれば、パパが喜んでくれるかな」と考える楽しみがありました。

父が愛用していた釣り道具を北九州の釣り仲間の方々に使っていただきたくて、父の事務所のスタッフとふたりで車で運んだり、父が書き溜め、大切にしていた20冊以上のレシピノートを「皆さんにも見てもらいたい」と考えて出版社にご相談し、本としてまとめさせていただいたり…。

こうした過程で父と親しくしていた方々とお話しできたり、私自身の新たな出会いも生まれました。形こそないけれど、父からの大きな遺産ですよね。一方、父の他界を機に薄れてしまったご縁も。だからこそ、変わらぬご縁や、父が導いてくれた出会いを大切にしたいと思っています。

ただ、前向きな自分でいられる時ばかりではなく、父が遺してくれたものを重荷に感じることもありました。一番重かったのは、母かもしれません。母は「あら、そう?」とどこ吹く風ですけど(笑)。

「お花畑」に住んでいる母に苛立ったことも

ーーお父様と、お母様のクラウディアさんは「おしどり夫婦」で有名でしたね。

梅宮さん:母は父から「何もしなくてもいいから、笑っていてほしい」と言われて結婚し、その通りにした人です。父も約束を守って仕事はもちろん、家事もほとんど自分がやり、母は父に頼り切っていました。それだけに、父を失ったことで母が受けたショックは大きく、憔悴ぶりは私の想像を超えていました。

私が母を支え、父に代わって梅宮家を守らなければ。そう心に決めたものの、父が亡くなって半年、1年と経つと、いつまでも自立しようとしない母に苛立つようになりました。母の人生はまだ先があるのに、生活のちょっとしたこともひとりでできない様子を見ていると、「私だっていつ何があるかわからないのに、大丈夫なのかな」と心配になるんです。それなのに、母は相変わらず、お花畑に住んでいますから、私ばかりがイライラしてしまって。それがまた腹立たしくて(笑)。

とくに、昨年、私が東京のマンションを引き払って真鶴(神奈川県足柄下郡真鶴町)の実家で母と暮らしはじめてからは、母のやることなすことが目について。ことあるごとに「なぜ時間を守れないの」「どうして洗濯物をこんな風に干すの」とダメ出しをしたら、母が「アンナがすごく厳しくなった」と言っていました。

母の言葉を聞いて、我に返りました。私はもともと大雑把なタイプ。父いわく「ちゃらんぽらん」です。几帳面な父に「どうして、お前はそうなんだ」といつも怒られていた私が人に厳しいなんて、あり得ない「キャラ変」です。「しっかりしないと」と思うあまり、性格がキツくなっていく自分が嫌でした。

でも、どうすればいいのかわからなかったんです。父が亡くなって家族のバランスが大きく揺れる中、母、私、自立していく娘の距離の調整が難しくて。その時々でみんなで話し合い、東京で3人で暮らしたり、全員で別々に暮らしたり、すでにいくつかのパターンを試していました。

その結果、はっきりしたのは、母はどうしてもひとりでは暮らせないということ。そこで、私が真鶴の家に通ううち、「父の愛した家を守りたい」という思いが強まり、母とふたりで真鶴に腰を落ち着かせることに。それが「正解」と決め込んでいたので、母との距離が近くなり過ぎていると感じつつも、にっちもさっちも行かなかったんです。

そんなあるとき、娘から「ママは真鶴の家で暮らすようになって、少し感覚が敏感になり過ぎている気がする。ママがたくさんの人に発信していくお仕事を大切にしたいなら、それはいいことばかりではないかもね」とアドバイスされ、「確かに!」と。東京の中心で目まぐるしく動いていれば気にならないことも、穏やかな場所で静かに暮らしていると気になります。真鶴がどうこうという話ではなく、いつの間にか私の視野が狭くなっていたことに気づかされ、この状況を続けるのは良くないと思いました。

そこで、再び家族会議をした結果、次は東京にマンションを借りて3人で住み、休みの日を真鶴で過ごす生活に切り替えようということになりました。母と私の間の風通しも良くなり、ちょっとホッとしています。父は天国で「何回引っ越すの?」と呆れているでしょうけど(笑)。

父の闘病から今日までの激動の数年でわかったのは、全身全霊で生きていたら、何かしら答えが見つかるということ。母も私も年齢を重ねていきますし、娘もさらに自立して、これからも家族の形やバランスは変わって行くでしょう。その都度バタバタするとは思いますが、心配はしていません。どんなことがあっても、それぞれが自分の人生をまっすぐに生きていたら、家族は根っこでつながっていられる。父との日々が私たち家族にそう教えてくれましたから。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
「ロウリーズ・ザ・プライムリブ 赤坂店」のローストビーフです。「ロウリーズ」は父のお気に入りのお店で、娘の百々果の16歳の誕生日にも家族みんなで食事をしました。2016年1月でしたから、すでに父の闘病は始まっていたのですが、今思えば、まだ元気でしたね。百々果の隣に座り、肉厚のローストビーフをおいしそうに食べていました。食事って何を食べるか以上に誰と食べるかが大事、と私は思っているんです。だから、最後の食事には父との思い出が詰まった、あのローストビーフが食べたいですね。

ロウリーズ・ザ・プライムリブ

「ロウリーズ・ザ・プライムリブ」は、1938年にアメリカのビバリーヒルズで創業したプライムリブ専門店。プライムリブとは、特製スパイスで味付けした骨付きリブを、長時間かけてじっくり焼き上げたアメリカンスタイルのローストビーフのこと。世界中に11店舗(2022年2月現在)を展開し、日本には東京・赤坂店、恵比寿店、大阪店の3店舗がある。

プロフィール

タレント/梅宮アンナさん

【誕生日】1972年8月10日
【経歴】東京都生まれ。街でのスカウトをきっかけに19歳でモデルデビュー。『JJ』をはじめ数多くの人気ファッション誌の専属モデルを務め、カリスマ的な人気を博す。以降、父・梅宮辰夫との親子共演などでバラエティ番組にも出演。現在はテレビ、雑誌、イベントのほか洋服のプロデュースなど幅広くクリエイティブな分野で活躍中。

Information

梅宮アンナさん監修の『梅宮家の秘伝レシピ -梅宮辰夫が家族に遺した料理帖-』(主婦の友社)。料理愛好家として知られた梅宮辰夫さんが約20冊のノートに書き残した2000品以上のレシピから、とくに家族の思い出が詰まった品々を掲載。「レタス丼」「きゅうりだけの冷やし中華丼」をはじめ簡単においしく作れるレシピばかり。「『料理恐怖症』だった私が、父から受け継いだレシピノートを見ながら、少しずつ料理を始めました。料理初心者の私でも作れるもの、作ってみたいものを選んでいます」とアンナさん。梅宮家の日常のエピソードも飾らずに紹介されており、料理に込められた辰夫さんの家族への愛情が伝わってくる。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)