「私と父は、似た者同士」梅宮アンナさん【インタビュー後編】~日々摘花 第20回~

コラム
「私と父は、似た者同士」梅宮アンナさん【インタビュー後編】~日々摘花 第20回~
前編では父・梅宮辰夫さんの相続関連の手続きに奔走した日々や、残された家族の関係性について語ってくださいました。後編では、アンナさんの死生観や葬儀に対するお考えをうかがいます。

本編は、第回のゲスト、梅宮アンナさんの後編です。
前編では父・梅宮辰夫さんの相続関連の手続きに奔走した日々や、残された家族の関係性について語ってくださいました。後編では、アンナさんの死生観や葬儀に対するお考えをうかがいます。

母からの着信のたびに、「パパに何かがあったのでは」

ーーアンナさんご自身は「死」というものをどのように捉えていらっしゃいますか?

梅宮さん:私は、明日死んでもいいように思っています。と言っても、用意は何もしてないですよ。遺書も書いていないし…。だけど、そのくらい一生懸命生きています。誰かと話す時はその人と話すことしか考えていないし、映画もその世界に入り込んで見るし、焼肉を食べるときも真剣(笑)。ここ10年ほど、1分1秒、無駄な時間はないと思って一生懸命生きてきたから、明日死んでもまったく後悔がないです。

ーー何かきっかけがあったのでしょうか。

梅宮さん:父の死を意識しはじめたのが、10年ほど前でした。父は36歳の時に最初のがんを患い、「余命3カ月」を告げられたところから奇跡的に回復するという経験をしています。その後は明け方まで銀座で飲んで帰るような生活をピタリとやめ、家族第一に。健康診断は定期的に受け、父なりに気をつけてはいましたが、お酒とおいしいものには目がなくて。料理好きとして知られ、実際にそうでしたが、父の料理はヘルシー志向とは言えず、糖尿病も抱えていました。
そんな父が70歳を過ぎ、体力が落ちてきた様子を見て、「いつまで元気でいてくれるかな」という思いがありました。だから、そのころから私はいつも、携帯に母からの着信があるたびに、「パパに何かがあったのでは」と覚悟を決めて電話に出るようにしていました。万が一の時にパニックにならないよう、心の準備をしていたんです。

父を介して「死」を身近に感じるようになって思ったのは、人はいつか必ず死ぬということです。そして、自分の「死」が訪れるのがいつなのか、誰にもはっきりとはわかりません。数10年後かもしれないし、もしかしたら、明日かもしれない。それならば、明日死んでも後悔のないように生きようと考えるようになりました。

母にもね、最近、話したんです。「明日死んでも大丈夫と思って生きようね」って。そうしたら、「いやよ。どうしてそんな暗いことを考えなきゃいけないの」って言われました(笑)。

だし昆布、丸山海苔、ハイチュウ…。いい香りのする父の棺

ーーお父様のことを通し、葬儀についてもお感じになることがあったと思います。お考えを教えていただけますか?

梅宮さん:その人らしいお葬式ができたら、それが一番なのではと思います。父の葬儀には、生前に父が親しくしていた100人ほどの方が参列してくださいました。棺には食べものをたくさん入れました。

まず、生のステーキ肉を少々。父はお肉が大好きでしたから。続いて、アジシオ、味の素、だし昆布、築地・丸山海苔店の海苔、お米、ハイチュウのリンゴ味20個。スーパー「紀ノ国屋」の袋も3袋入れました。父は「紀ノ国屋」が大のお気に入りで、行く時には開店とともにお店に入り、必ず3袋分買い物をして来ていたんです。

一般にはお花をたくさん入れると思うのですが、父の棺には彩りにほんの少しだけ。父が花を飾っている姿なんて見たことがなかったから、「なんか、違うな」と思って。棺は父の大好きだったもので埋め尽くして、喜んでもらいたかったんです。

火葬場の方々にご迷惑をかけないよう、事前に確認したんですよ。「食べ物を入れていいですか?」って。その時に「ビニール袋に入れていただければ大丈夫です」と教えていただいたので、ステーキ肉はジップロックに入れました。火葬炉の中は、きっと美味しそうな香りがしていたと思います。

この話をすると、皆さんが笑ってくださるんですよ。父もそれを一番喜んでくれているはずです。

父のように、人にも自分にも正直に生きる

ーーお話をうかがっていると、お父様の考え方や価値観をアンナさんがとても大切にされていることが伝わってきます。

梅宮さん:私と父はぶつかり合うことも多く、思春期のころはそれこそ取っ組み合いの喧嘩をしたこともあります。大人になってからは、父の考えとは違うこともして、心配をかけることもありました。でも、父が亡くなり、父の残したものを「父ならこれをどうしたいかな」と考える過程であらためてわかりました。私と父は似た者同士。不器用です。

父は自分が信じた人のためには力を惜しまない人。皆さんの前で語ったりはしなかったけれど、人生の中で利用されたり、だまされたりすることもありました。だけど、父が人をだますことは決してなかった。人にも自分にも正直で、相手の肩書きなど気にもせず、損得なく人と付き合っていました。私はそんな父が好きだったし、自分も父のようでありたいと思っています。

ーー最後に、読者の皆さんにお言葉をお願いします。

梅宮さん:「大変なことを大変と思わずに、やっていこう」とお伝えしたいです。これって簡単にできることではないですよね。私自身も、父の闘病に向き合い、看取り、父に代わって家族を支えようと必死だったこの数年、正直、「何でこんなに大変ことばかり起きるんだろう」と何度も思いました。

一番つらかったのは、父が父らしくなくなっていく姿を見ること。父は亡くなる10カ月前に腎盂・尿管がんで左の腎臓を摘出し、透析治療を始めたのですが、この治療が想像以上にハードなものでした。透析による痛みや疲れがよほどつらかったのでしょう。私との喧嘩はしょっちゅうでも、理不尽なことで怒ったり、罵声を浴びせることは決してなかった父が、家の中のものを少し動かしただけで「余計なことするな!俺の家だ」と怒鳴るようなこともありました。病気のせいとわかってはいても、言い合いになってしまい、そんな自分も嫌で……。

疲れ切って「誰にも私の気持ちはわからない」と心を閉ざし、友だちとも会いたくない時期もありました。自分が一番大変だと思い込んでいたんですね。父の闘病の壮絶さを目の当たりにし、「もしかしたら、若い時に親を亡くした方がむしろ楽なのかもしれない」とすら考えたことがあります。

大変なことは人それぞれあって、比較をして「こっちが楽」などと言えることでは絶対にありません。今の私ならはっきりとそう言えるけれど、渦中はそう思えない時期もありました。だからこそ、「大変なことをいかに明るいものにしていくか」が私のテーマなんです。

人生には大変なこともあります。でも、悲観的になろうと思ったら、どんどん悲観的になる。だから、ユーモアを持って生きていきたいですね。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
母の兄が住んでいる、米国・デラウェア州で過ごしたいです。現在はコロナ禍で気軽に旅行できませんが、デラウェアには2013年から毎年のように行っていました。今だから笑って話せますが、きっかけは大失恋。ショックを受けて1カ月で8キロもやせ、とにかく私のことを誰も知らないところに行きたくて、伯父を訪ねたんです。しばらくはお風呂にも入れないくらい塞ぎ込んでいたのですが、デラウェアで過ごすうちに、少しずつ心が回復していきました。以来、デラウェアは私の「パワースポット」です。

デラウェア州

米国・デラウェア州はイギリスから最初に独立した13州のひとつであり、アメリカ合衆国憲法を最初に批准した州。ジョー・バイデン第46代大統領の出身地でもある。「デラウェア州北部はペンシルべニア州に接しており、伯父の家はペンシルべニア州・フィラデルフィアから車で30分ほどの場所にあります。これといった観光地がある地域ではないのですが、緑豊かで心癒されます。エネルギーを与えてくれる場所は人それぞれですが、自分の波長に合う場所をいくつか見つけておくと、人生の停滞期も乗り越えやすいんじゃないかなと思います」とアンナさん。

プロフィール

タレント/梅宮アンナさん

【誕生日】1972年8月10日
【経歴】東京都生まれ。街でのスカウトをきっかけに19歳でモデルデビュー。『JJ』をはじめ数多くの人気ファッション誌の専属モデルを務め、カリスマ的な人気を博す。以降、父・梅宮辰夫との親子共演などでバラエティ番組にも出演。現在はテレビ、雑誌、イベントのほか洋服のプロデュースなど幅広くクリエイティブな分野で活躍中。

Information

梅宮アンナさん監修の『梅宮家の秘伝レシピ -梅宮辰夫が家族に遺した料理帖-』(主婦の友社)。料理愛好家として知られた梅宮辰夫さんが約20冊のノートに書き残した2000品以上のレシピから、とくに家族の思い出が詰まった品々を掲載。「レタス丼」「きゅうりだけの冷やし中華丼」をはじめ簡単においしく作れるレシピばかり。「『料理恐怖症』だった私が、父から受け継いだレシピノートを見ながら、少しずつ料理を始めました。料理初心者の私でも作れるもの、作ってみたいものを選んでいます」とアンナさん。梅宮家の日常のエピソードも飾らずに紹介されており、料理に込められた辰夫さんの家族への愛情が伝わってくる。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)