「ひとつだけ“死”よりも怖いこと」宮本和知さん【インタビュー後編】~日々摘花 第25回~

コラム
「ひとつだけ“死”よりも怖いこと」宮本和知さん【インタビュー後編】~日々摘花 第25回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

第25回のゲストは、元プロ野球投手の宮本和知さん。本編は前・後編の2回に渡ってお送りする、後編です。
テレビの野球解説などで活躍する一方、ジャイアンツの球団社長付アドバイサーを務め、2023年からスタートする巨人軍の女子野球チーム発足や、ボランティアの野球振興活動にも情熱を注いでいる宮本さん。前編では、お父様との思い出と別れについてお話しいただきました。後編では、ご自身の死生観、葬儀の理想像をうかがいます。

プロになりたくて野球を始めたわけではなかった

−−宮本さんご自身は「死」というものをどのように捉えていらっしゃいますか?

宮本さん:僕、死ぬことって怖くないんですよ。まったく怖くないです。

特別なきっかけがあってそう考えるようになったわけではないんですよ。ただ、僕は昔から物事を計算して動くタイプではなく、野球選手になりたくて野球を始めたわけではありませんし、プロ野球を引退した時もその先のことは考えていませんでした。好きなこと、出合ったことを一生懸命やることで道が拓けるということを経験するうちに、「人生というのは神様が定めたもの」と思うようになったんです。

今はジャイアンツの女子野球チームの立ち上げに走り回ったり、プライベートでもボランティアで地元の少年野球チームの監督をしたり、野球振興にかかわることが増えましたが、これももともとは自分から始めたことではありません。一つひとつのお話をいただくたびに「これは神様が『お前はこれまで野球にお世話になったんだから、やりなさい』と言ってくれているのかな」と考えて、やってみただけなんです。結果、たくさんの人が喜んでくれることがわかり、神様の言うことに間違いはないと(笑)。

だから、僕は今、神様の言う通りに生きていて、死もまた定めだと思っています。生きている限り、死を避けることはできません。死を迎えるというのは、神様が「宮本くん、あなたはここで人生を終えるのが一番幸せですよ」と言ってくれているということじゃないのかな、というのが僕の考えです。

“宮本流終活”のファーストステップは、脱毛

−−「自分の死は怖くないけれど、大切な人の死は怖い」とおっしゃる方も多いです。宮本さんはいかがですか。

宮本さん:大切な人を亡くすのはもちろんさみしいです。最近では、プロ野球や駅伝の実況で活躍した日本テレビアナウンサーの河村亮さんのお通夜にうかがってお別れをしてきましたが、「早過ぎる」と残念でなりませんでした。ただ、やっぱり、悲しんでも故人は報われないと僕は思うんです。

大切な人が亡くなっても、その人との思い出は消えません。だから、ふたりだけの思い出がしっかりとあれば、それでいいんじゃないかな。「河村っていたよな。あいつのヒーローインタビュー、素晴らしかったな」って僕が思い出すたびに、きっと河村さんは天国で喜んでくれていると思うんですよね。

そして、僕自身も誰かの記憶に残る人でいたいという気持ちがあります。その思い出を作れるのは、今、生きている時しかありませんから、毎日、一生懸命生きたいですね。一生懸命生きると言っても、走らなくていいと思うんです。僕の祖母は102歳まで生きましたが、晩年の祖母の姿を見て、自分の力で歩けるってすごいことだなと感じました。

だから、僕、ランニングはやめたんですよ。ちゃんと歩き続けられる自分でいたい。最後の最後まで一生懸命歩けたら、人生に後悔はないって思っています。ところで、僕には死よりも怖いことがひとつだけあるんですよ。

−−それは何でしょうか。

宮本さん:誰かに迷惑をかけることです。親父から「人様に迷惑をかけるな」と言われて育った影響なのか、「みんなに迷惑をかけたくない」という気持ちがすごくあるんです。自分で自分のことができなくなった時に、誰かの手を借りたくない。とくに家族、一番近しい人たちに迷惑をかけたくありません。

ですから、本音を言えば、「死期を悟ったら、みんなの前からそっと姿を消したい」という思いが僕にはあります。アメリカのいくつかの州では安楽死が認められているそうですから、かなうことなら、余命を宣告された段階で移住したいです。あれって、いくらかかるのかな(笑)。でも、この話を友人にしたら、それは無責任だと言われました。確かにその通りかもしれません。

それならばせめて、「僕の体の自由が利かなくなった時に、家族にかける負担を減らしたい」と考えて、今のうちにできることを少しずつやっています。いわゆる「終活」ですね。相続の準備もちょこちょこ始めていますし、脱毛もしていますよ。介護をしてもらうことになるなら、最低限の礼儀として清潔にしておきたいなと思って。時間を見つけてはサロンに通い、もうすぐ完了です。

世界中の子どもたちに棺を囲まれて旅立ちたい

−−葬儀について、理想像はありますか?

宮本さん:世界中の子どもたちに棺を囲んでもらって旅立ちたいんです。僕は神奈川県の葉山町に住んでいるのですが、近所の方から「地元に野球チームがないから作りたい」という話を聞いて少年少女野球チーム・葉山巨人軍を作り、今年で13年目になります。瀬戸内海の小豆島で主催している少年少女軟式野球大会・宮本和知杯も15回目を数えますし、全国各地で野球教室をやらせていただくことも多く、今の僕にとって、子どもたちと一緒に野球をし、彼ら、彼女らの成長を見るのが一番の喜びです。

僕は野球をはじめスポーツでこれまで生きてきて、スポーツにお世話になってきました。恩返しをしたいという気持ちもありますし、僕も人生後半戦になってきて、残りの人生を幸せに生きたい。その幸せって何だろうと自分に問いかけた時に、子どもたちの成長だなって思うんですよ。だから、この先もずっとスポーツに携わっていきたいし、最後の最後は子どもたちに囲まれて旅立ちたい。そんなイメージを心に描きながら、今、自分にできることを一歩ずつやっている感じです。

−−そうなると、ますます姿を消すわけにはいきませんね(笑)。最後に読者に向けて言葉のプレゼントをお願いします。

宮本さん「生まれ変わっても同じ人生!! だから 今、最高の人生を!!」です。というのも、僕は生まれ変わりはないと思って生きているんですよ。仮に生まれ変わったとしても、同じ人生を歩むから、この人生を絶対に最高のものにしようと思って生きています。これまでの人生に納得できないなら、これからの人生、なんかやっちゃいましょうよ(笑)。そう考えたら、今が楽しくなりませんか? 楽しくね、って皆さんに言いたいです。

~EPISODE:追憶の旅路~

人生でもう一度訪れたい場所はありますか?
グアムが大好きで、永住したいんです。巨人の現役時代には毎年キャンプで訪れ、これまでに100回以上行っています。のどかで、人がせかせかしていないのがいい。飛行機で3時間半もあれば行けるから日帰りもできるし、時差が1時間しかないのも最高。好きすぎて、家まで買ってしまいました。

ブルーアステール チャペル

恋人岬を望むタモン湾のビーチフロントに建つチャペル「ブルーアステール」は、宮本さんの思い出の場所。宮本さんは長女が8歳の時に離婚し、再婚については「娘の意思が第一」と考えていたが、長女の後押しもあって2008年に現在の奥様と再婚。当時は入籍のみだったため、長女とともに奥様に内緒で準備を進め、2012年に「ブルーアステール」でサプライズ結婚式を挙げた。
写真はイメージです。

プロフィール

元プロ野球選手/宮本和知さん

【誕生日】1964年2月13日
【経歴】山口県下関市出身。1984年、ロサンゼルスオリンピック日本代表チームに選ばれ、金メダル獲得。同年、読売巨人軍に指名され、翌年入団。1997年に選手を引退するまでの間、3回胴上げ投手に選ばれるなど数々の実績を残した。現役引退後はスポーツキャスターなどで活躍。2019年より巨人投手総合コーチとして22年ぶりに現場復帰。2022年からは球団社長付アドバイサーを務めるほか、女子野球アドバイザー、ジャイアンツアカデミー校長、スポーツキャスターなど多方面で活躍中。
(取材・文/泉 彩子  写真/川島 一郎)