「人生はフルコース」イルカさん【インタビュー後編】~日々摘花 第32回~

コラム
「人生はフルコース」イルカさん【インタビュー後編】~日々摘花 第32回~
2021年に芸能界デビュー50周年を迎え、記念ツアーの開催や、4枚のアルバムのリリースなどますます元気に活動しているイルカさん。プライベートでは親子4世代、8人の大家族で暮らし、2022年11月にはお孫さんのイラストレーター・月下推敲(げっかすいこう)さんから誘いを受けてSNSでも積極的に発信しています。後編では夫を介護した20年間への現在の思いや、死生観をうかがいます。

70歳にして初めての通帳記帳

−−夫・神部和夫さんが他界されて16年経った今、20年間の介護の日々をどのように感じていらっしゃいますか?

イルカさん:夫は長い間本当によく頑張って、最後まで生き切る姿を私たち家族に見せてくれました。20年という年月をかけて、彼は私にひとり立ちをする時間を与えてくれたのだと思います。

夫が30代後半で病気になった時、もちろん動揺しました。客観的に見れば、不幸だったかもしれません。でも、私たちは不幸ではありませんでした。自分を犠牲にしたとも正真正銘、一回も思ったことがないです。

逆にね、彼は私のために命を捧げてくれたんですよ。夫の体が思うように動かなくなってしまうまで、彼は音楽プロデューサー、そして、個人事務所「イルカオフィス」の社長として外部とのデリケートな交渉からお金の工面まで、すべてを黙って引き受けてくれていました。私はただ自らが望むままに歌って創り、絵本を書いて息子に読み聞かせ、料理や家事をしていればよかったのです。
イルカさん:​この話をすると、皆さんにびっくりされるのですが、結婚後しばらく夫は私にお財布を持たせませんでした。それでは夫の誕生日プレゼントすら買えず、交渉をして月々5000円のお小遣いをもらうように。『なごり雪』がヒットしてからは1万円にアップしましたが、必要なものはすべて夫が買ってくれていたので、私は自分の貯金額すら知りませんでした。

ましてや事務所の経営となると、お恥ずかしい話、意識したことすらありませんでした。夫の苦労がおぼろげながらわかるようになったのは、彼が旭川で療養生活を始めたタイミングで私が「イルカオフィス」の社長に就任した50代から。おまけに、その後も経理のことは現在94歳の父がやってくれていました。

その父が骨折をきっかけに外出できなくなり、いよいよ自分でやらなければいけなくなって、私が初めて銀行に行ったのは2020年。70歳にして通帳記帳のやり方を覚えました。そんな私もちょこちょこと勉強をして、最近では税理士さんとひと通りのお話ができるようになったんですよ。今もお金のことはやっぱり苦手ですが、天国の夫にようやくちゃんとお礼を言えました。「お父さん、大変だったんだね。本当にありがとう」って。

4世代8人暮らしで感じる、命のつながり

−−イルカさんにとって、「死」というのはどんな存在でしょうか。

イルカさん:小さいころから、楽しみのひとつとして捉えているようなところがあります。私の人生ってどんな風に終わるのかな、という興味もあるし、死後の世界を見るのが楽しみでしょうがない。根拠があるわけではないけれど、死んでしまったらすべてがなくなる、とは思えません。魂というのはずっとつながって、続いていく気がするんです。

次の人生がいつ始まるかわからないけれど、今とつながっているとなれば、ぼんやりと今を生きるわけにもいきません。生まれ変わった時に地球が平和で幸せであるように生きなきゃ、と思います。

うちは今、父と私、息子夫婦、孫4人の8人家族で暮らしていて、2021年11月に母が95歳で亡くなるまでは9人家族でした。年の差家族で暮らしていると、ふだんの生活の中でもふと命のつながりを感じるんですよ。
イルカさん:一番下の孫が生まれたころのこと。母は95歳で在宅介護中だったのですが、赤ちゃんを連れて行くと「可愛い、可愛い」と言って喜ぶので、よく私が抱っこして連れて行きました。すると、赤ちゃんも機嫌がよくなるし、母も元気になるんです。

変な言い方かもしれませんが、母はあの世に向かっている途中で、赤ちゃんはあの世から来たばかり。そして、赤ちゃんを抱っこしている私は、行く人と来る人の間にいる。家族として生まれてくるというのはすごい縁だなと思いました。

年齢も性格もバラバラの家族を見ていると、面白いですよ。孫たちに関しては、成長後の姿を想像する楽しみもありますしね。いずれ私がこの世を去っても、この家族の中で過ごし、感じたこと、経験したことをこの子たちが引き継いで行ってくれる。そう考えると、何だかやっぱり、生と死は繋がっている感じがするんですよね。

50周年ツアーで超ミニスカート。みんなを驚かせるのが楽しい

−−イルカさんは神部さんを看取った後、お母様を自宅で介護し、現在はお父様の介護中です。介護世代の方々にお伝えになりたいことはありますか。

イルカさん:母は若いころから「自分の部屋で眠るように逝けたら、最高」と話していて、望み通りの最期でした。母を在宅のまま介護し、看取れたのは「よかったな」と思いますが、それができたのは、ヘルパーさん、看護師さん、お医者さんなどたくさんの方々に手伝っていただけたから。家族だけでは難しいです。

夫の時は、彼がよその人が家に入るのを嫌がったこともあって数年間家族だけで介護をしていたので、支援サービスを利用することを迷う気持ちも私にはよくわかります。でも、できるだけ活用して、介護する方が疲れないよう工夫していただけたら、と思います。
−−最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

イルカさん:還暦を迎えた時、人生ってフルコースの料理のようなものだと思ったんです。私の人生、メインディッシュはもう食べちゃった気がするけれど、まだまだお楽しみのデザートが残っている。そう考えたら、俄然楽しくなってきて、デビュー45周年に『人生はフルコース』という曲を書きました。

振り返ってみると、私の場合、50代くらいが一番心身ともにきつかったかもしれません。自分の体が変わってくる時期だし、夫の病状は年々悪化し、仕事も「この先、やっていけるのかな」と不安を感じました。

でも、還暦を過ぎて、急に吹っ切れたような感じがしました。40代、50代くらいまでは肩肘を張り、鎧をまとって気張らないといけないところもあったけれど、60代では仕事もプライベートも少し落ち着いて、心に余裕が生まれたのかもしれません。これからは少しシフトチェンジをして、食事の最後にデザートを楽しむように、思いっ切りやりたいことをやろう、って思ったんです。

だから古希を過ぎた今、結構私、攻めてますよ。デビュー50周年コンサートで超ミニスカートを履いたり、孫のイラストレーター・月下推敲やボカロの「初音ミク」ちゃんとコラボをしたりね。みんなが驚いてくれるのが楽しくて、「イルカの冒険中」です。

会社員なら定年を迎えたり、子どもが巣立ったりとメインディッシュが終わる世代になると、ちょっとさみしさも感じますよね。でも、なんの、なんの。「人生はフルコース!! デザートはこれからさぁ」って皆さんにお伝えしたいです。

ただし、デザートは60禁(笑)。50代以下の皆さんは、還暦を楽しみにしていてくださいね。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
温かいおにぎりがあれば、ほかには何もいりません。私は結婚したころから無農薬の野菜を中心にした菜食を続けていて、ごはんは玄米。母が生前によく玄米ごはんに梅干しを入れ、のりで巻いたおにぎりを作ってくれました。私が出かける前にささっと握って、「これ、持ってく?」と遠慮がちに聞くんです。「持っていくよ、もちろん」と受け取り、玄関で火打石を鳴らして送り出してもらうのがいつもの光景でした。なつかしいですね。

玄米ごはん

50年来玄米ごはんを食べ続けているイルカさん。通常は酵素玄米を専用の釜で一度に一升炊くが、最近はスタッフに誕生日プレゼントでもらった一号炊きの炊飯器で手軽に楽しむ日も。玄米は芯が残りやすいなど調理が難しいイメージもある。ふっくらおいしく炊くコツをうかがうと「しっかり水に漬け、炊く前に別鍋でゴボゴボと沸騰させてから炊飯器に移すこと」と教えてくれた。

プロフィール

シンガーソングライター/イルカさん

【誕生日】1950年12月3日
【経歴】東京都出身。女子美術大学在学中からフォークグループを結成。夫の神部和夫さんをリーダーに結成された「シュリークス」加入を経て、74年ソロデビュー。翌75年『なごり雪』が大ヒット。1980年、武道館コンサートを行い、以後4年連続開催。歌手活動のほか、ラジオパーソナリティ、絵本やエッセイの執筆、着物のデザイン・プロデュースなども手がける。IUCN国際自然保護連合親善大使も務めている。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)