「湯船で聞いた“勤勉な父の苦労話”」弁護士 北村晴男さん【インタビュー前編】~日々摘花 第36回~

コラム
「湯船で聞いた“勤勉な父の苦労話”」弁護士 北村晴男さん【インタビュー前編】~日々摘花 第36回~
一般民事から保険、交通事故、債権回収、企業法務など幅広い分野で活躍する弁護士の北村晴男さん。日本テレビ系「行列のできる相談所」などテレビでもおなじみで、YouTube「弁護士北村晴男ちゃんねる」も配信中。前編では一代で鉄工所を築き、勤勉に働いて一家を支えたお父様との思い出と別れについてお話をうかがいました。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。

筋の通らないことが嫌いな性格は、父譲り

−−北村さんの故郷は長野県更埴市(こうしょくし/現・千曲市)。北アルプスを背にあんずの里が広がる、のどかな町ですね。どのような少年時代をお過ごしになったのでしょうか。

北村さん:両親と7歳上の兄の4人家族で、幼いころから野球が大好き。中学では野球部に入部し、毎日を楽しく過ごしていました。ところが、2年生の4月に突然、野球部が廃部に。校長や教師たちから納得のいく説明がなく、卒業まで抗議を続けましたが、相手にされませんでした。やり場のない怒りを抱え、「理不尽な力には屈しない」という信念が芽生えたことが、弁護士としての原点です。
北村さん:筋の通らないことが嫌いな性格は、職人気質だった父に似たのかもしれません。父は北海道・阿寒郡鶴居村という小さな村で生まれ育ち、東京での工場勤務を経て長野に移り住み、僕が物心ついたころには自宅の敷地内で鉄工所を営んでいました。土日も休まず、朝から晩まで働いていましたね。僕は外で遊ぶのが大好きな子どもだったので、幼心に「どうしてあんなに働けるんだろう」「父ちゃんは遊びたくないのかな」などとさまざまなことを感じました。

頑固で厳しい父親でしたが、父なりに家族には深い愛情を持って接してくれていました。子どものころはしょっちゅう一緒にお風呂に入り、いろいろな話をしてくれたものです。父は小さい頃から酪農を営む家の手伝いに忙しかったため、満足に小学校にも通えず、裸一貫で起業した人でしたから、苦労話もよく聞かされました。

今も心に残っているのは、父親が幼かったころの話です。父は早くに母を亡くしているのですが、その時に近所の女性が「お母さんに会いたくなったら、小川に自分の顔を映してごらん」と優しく声をかけてくれたそうです。自分の顔に「母親の面影が残っている」ということですが、湯船で父の表情を見ながら、悲しかったんだな、としみじみ思ったのを覚えています。

鉄工所が軌道に乗るまでの話もよく聞きました。起業当初は収入が少なく、養鶏場から買ってきたヒヨコを育ててそこに売るというようなこともしていたそうです。大事なヒヨコをネズミに食べられて烈火のごとく怒ったと話していました。僕はその光景を見た記憶がありませんが、庭の一角に大きな鶏小屋の跡があったので、「ここでそんなことをしていたんだ」と思ったりしましたね。

野球をやりたい一心で、父に背いて進学校へ

−−北村さんは弁護士を志し、早稲田大学法学部に入学。卒業後、7年かけて司法試験に合格し、36歳で北村法律事務所(現・弁護士法人北村・加藤・佐野法律事務所)を開設されました。弁護士を目指すことを、お父様はどのようにおっしゃっていましたか。

北村さん:そもそも父からは兄と同様「中学卒業後は工業高校に進学し、鉄工所を継ぐように」と言われていました。一方、僕は(将来は弁護士になりたいという秘かな夢を抱きつつも)とりあえず野球をやりたい一心で、進学校ながらスパルタ指導の野球部が有名だった県立長野高校を志望しましてね。「野球は遊び。義務教育を終えた人間が、野球なんてとんでもない」という考えの父に「野球はやらないよ」と嘘をつき、中学の先生も父を説得してくれて、何とか長野高校への進学を許してもらったんです。先生は「高校を卒業後、大学の工学部に行ってから鉄工所を継ぐという道もありますよ」と父に言ってくれました。
中列右端が北村先生
北村さん:ところが、入学後は野球部に入り、大学は法学部へ。父に「弁護士になりたい」と話すと、「司法試験のための援助は一切しない」と言われました。そこで、大学2年生の時に自宅アパートの近くに部屋を借りて小さな学習塾を開き、卒業後は塾経営で生計を立てながら司法試験を受け続けましたが、なかなか合格できませんでした。

そんななか、私は28歳で妻と結婚。その2年前に父に報告すると、「お前みたいな(夢を追いかけて将来どうなるかも分らない)人間と結婚してくれる女性がいるのか。そんな人に苦労させるわけにはいかない」と生活費の援助をしてくれることになりました。おかげで塾の新規募集を止めて、徐々に司法試験の勉強に専念することができ、29歳で長男が生まれて奮起したことも相まって、30歳の時に合格したんです。
−−お父様、喜ばれたでしょうね。

北村さん:母はめちゃくちゃ喜んでいましたが、父は「ほっ」とした様子で、むしろその先のことをひどく気にかけていました。僕よりも若い新人弁護士がたくさんいる中で、やっていけるのかって。独立してからも、実家に帰ると父は必ず「仕事は大丈夫か」「依頼者はいるのか」と言っていました。心配だったんだと思いますよ。世の中に簡単な仕事などないということを、父はよくわかっていましたから。

−−独立に際し、北村さんご自身に不安は?

北村さん:もちろん、多少はありました。ただ、依頼者の方々が何を望んでいるのかをきちんと把握し、石にかじりついてでも結果を出す、という当たり前のことを一つひとつ積み重ねていけば、「成功」とまではいかなくても、生きてはいけるだろうと思っていました。

基本的に私は楽観的なんです。ただ、仮に父が会社員だったら、独立のリスクを取ることをためらったかもしれないですね。お風呂で聞いた父の思い出話の意味は大きかったと思います。

95歳の親父の日課は、毎日2時間の散歩

−−北村さんは弁護士として活躍する一方、私生活では3人のお子さんに恵まれ、忙しい40代、50代を過ごされたと思います。その間、長野のご両親とゆっくり過ごされる機会はありましたか。

北村さん:年に2回ほど両親と一緒に温泉にいき、みんなでおいしいものを食べるのを恒例にしていました。自分にできる親孝行はそのくらいかな、と思って。

父は70歳を過ぎたころに鉄工所の仕事をリタイアし、それからは発酵食品や太陽光を使った炊飯器などいろいろなものを作っていました。工夫して何かを作り出すのが好きだったんです。「俺は発明で一旗揚げるんだ」と発明協会のコンクールに応募もしていました。

結局、一旗は揚がりませんでしたが、親父なりに力作もありましたよ。例えば、階段昇降用の運搬機。妻の父がお米屋さんをやっていて、エレベーターのないビルで階段を昇って配達をするのが大変だという話を聞き、階段を使って重い荷物を楽に持ち上げる機械を工夫して作り、「これはいいぞ」と満足そうでした。

父は「リタイアして、健康になった」と言っていました。もともと丈夫ではないのに、現役時代は働き通しでしたから、身体を酷使することがなくなって、楽になったのでしょう。そんな風に感じるほど現役時代は大変な思いをして働いていたんだな、と思います。

−−−−お父様は2017年に95歳で他界されました。晩年はどのように過ごされていたのでしょうか。

北村さん:父は面白い人で、リタイアするなり「歩けなくなったら、みんなに迷惑をかけるから、足だけは衰えさせたくない」と毎日2時間ほどの散歩を日課にしていました。亡くなった日も朝はいつも通り散歩に出かけ、夜、お風呂で息を引き取りました。

亡くなる20年も前から言っていたんですよ。「周りに迷惑をかけるようになったら、俺は自分で死ぬ」と。最後まで自分の足で立って生きたかったんでしょうね。父はその言葉通り、自らが思った通りに生きました。すごいな、と思います。

~EPISODE:さいごの晩餐~

「最後の食事」には何を食べたいですか?
考えたことがなかったです(笑)。特にこだわりはありませんが、あえて一品選ぶとすれば、脇屋友詞(わきやゆうじ)シェフのスペシャリテ「フカヒレの上海風姿煮込み」。炊き立てのごはんとトロトロのフカヒレを合わせた一皿で、めちゃくちゃおいしいです。脇屋さんのお店「Wakiya 一笑美茶樓(いちえみちゃろう)」「トゥーランドット臥龍居(がりゅうきょ)」(東京・赤坂)はどのお料理も素晴らしく、会食の場としてよく選びます。全室個室なので、ゆったりと気兼ねなく食事を楽しめるのもいいですね。

フカヒレの上海風姿煮込み

2023年に料理人人生50周年を迎えた脇屋友詞シェフの料理は、上海料理を軸に旬の食材を取り入れた体に優しい中国料理。スペシャリテの「フカヒレの上海風姿煮込み」は、厨房で1週間かけてていねいに戻した宮城県・気仙沼産のフカヒレを6時間かけて取ったスープで煮込んだ逸品。

プロフィール

弁護士/北村晴男さん

【誕生日】1956年3月10日
【経歴】長野県更埴市(現・千曲市)生まれ。早稲田大法学部卒業。在学中から学習塾経営をしながら司法試験を8回受験し、1986年に30歳で合格。1992年、北村法律事務所(現・弁護士法人北村・加藤・佐野法律事務所)設立。日本テレビ系「行列のできる相談所」にレギュラー出演中。
【趣味】野球とゴルフ。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)