「がんから教わったこと」青木さやかさん【インタビュー後編】~日々摘花 第37回~

コラム
「がんから教わったこと」青木さやかさん【インタビュー後編】~日々摘花 第37回~
毎年受けていた人間ドッグで腫瘍が見つかり、2017年と2019年の2度、肺がん手術を受けた青木さやかさん。後編では大病を経験したことによるご自身の変化、そして、今後の人生や「終活」に対するお考えをうかがいました。

がんと診断され、車の中で1度だけ泣いた

−−青木さんは肺がんの手術を2度経験されています。最初に肺がんが見つかった時、自覚症状はまったくなかったそうですね。

青木さん:きっかけは、2014年に受けた人間ドッグでした。健康についてとくに気にかけていたわけではなく、先輩に誘われて受けてみたら、右肺に影があると言われました。再検査を受けましたが、影が小さくて判断がつかないということで経過観察に。最初は3カ月ごとに検査をし、だんだん間隔が空いて1年に1度となったころ、人間ドッグでまた再検査になり、「がんの可能性が高い」と診断されました。

がん家系なので、もしかしたらいつか自分も、とは思っていました。でも、実際にがんと診断された時の恐怖感は想像を超えていました。がんは初期で、医師からは命に関わることはないと言われましたが、がんで亡くなった人を描いたドラマの見過ぎだったのかもしれません。「死ぬんじゃないか」と思いましたし、仕事のこと、お金のこと、当時小学校低学年だった娘のことなど一気に不安が押し寄せてきました。

本当は叫び出したい気持ちでしたが、入院までに段取りをつけておかなければいけないことが山ほどあって、その余裕もありませんでした。病気のことで泣いたのは、がんの診断を受けた日、病院の駐車場に停めた車の中で1度だけです。
青木さん:誰かに相談をしたりもしませんでした。病気のことをどこからか母に知られるのを避けたかったからです。当時母はリンパ腫で闘病しており、心配をかけたくないと思いました。所属事務所や、留守中に娘を託す元夫など必要最低限の人に連絡し、入院。手術は5時間かかり、手術後は高熱と吐き気に苦しみました。それでも入院は1週間ほどで、関係者以外には知られることなく仕事に復帰できました。

2度目の手術を受けたのは、1度目から2年経たない時期でした。左肺に腫瘍が見つかり、再発ではなく、肺腺がんの疑いで手術を受けました。腫瘍を摘出しないと、がんかどうかがわからない状況でした。「またか」という思いはあったものの、初めてではないので、1度目よりは気持ちが落ち着いていました。手術直後、夢うつつの状態で「がんではなさそうです」という先生の言葉を聞き、「生かされたのかな」とちょっと思いました。

不安って無限大だから、無限に怖がれるし、不機嫌になれる

−−がんの手術を2度経験され、人生についても、いろいろなことをお考えになったのではないでしょうか。

青木さん:病気から教わったのは、病気になることそのものよりも、病気になるかもしれないという不安の方が私にとっては怖い、ということです。不安って無限大だから、無限に怖がれるし、不機嫌になれます。でも、それはつらいな、と思いました。

この先、また病気になることもあるかもしれないけれど、不安にとらわれて毎日を過ごすより、笑っていたい。どうすれば不安を持たない自分になるんだろうと考えて、それまでの生き方を見直し、自分を180度変えようと思いました。そのために自分に課した8つの行動があります。「嘘をつかない」「悪口を言わない」「顔つき」「態度」「ふてくされない」「言葉づかい」「感情を出さない」「約束を守る」の8つです。

これは信頼している友人が教えてくれました。以前の私は自分を変えるために、心とか、考え方を変えようとしていました。でも、なかなか変えることができず、友人から「8つの行動」を聞いて腑に落ち、やることにしました。心を変えるのは難しくても、行動なら変えやすいですから。

できていないこともあるのですが、何ができていないかがわかるようになり、改善をしやすくなりました。積み重ねが大事だと思ってコツコツやっています。
−−180度、変わりましたか?

青木さん:変わろうと努力したからこそ、大嫌いだった母と最後の最後に仲直りできたと思っています。おかげで、以前よりは自分のことが好きになりました。母が嫌いだったころは、自分の中に母と似ている部分を感じると、自分のことも嫌になっていました。母を嫌いじゃなくなってからは、そういうことがなくなったので、生きやすくなりました。

「死んでもできる親孝行」を続けると決めた

−−ところで、青木さんは「終活」についてどのようにお考えになっていますか。

青木さん:母の他界の5年前、2014年に父も亡くなっているのですが、両親の他界後の状況が対照的でした。うちは父もちょっと変わっていて、両親の離婚後、大学生になって久しぶりに会った時、私に「友だちはいるのか?」と聞き、いると答えると、「じゃあ、親はいらないな」「友だちは大切にしなさい」と言うような人でした。

父は私にとって少し距離のある存在で、そのぶん話しやすいところがあったかもしれません。私の娘が生まれてからは、彼女をとても可愛がっていました。ある日、娘の教育のことを相談しているうちに口論になり、険悪な空気のまま電話を切ったのが最後の会話になりました。危篤の知らせを受けて駆けつけた時、謝りたかったけれど、謝れませんでした。母とのことを何とかしようと行動したのは、この時の後悔も大きかったように思います。

父は自分が亡くなった後のことを何も準備していなくて、「故郷に地蔵を建ててほしい」というのが唯一の遺言でした。家族で話し合いましたが、父の故郷・富山県利賀村は山深い場所で、申し訳ないけれど、尾張旭のお墓に入ってもらいました。今は母のお墓の隣で眠っています。亡くなった時の全財産は4,000円。葬儀代は母と弟と私で出し合うつもりでしたが、死亡時に100万円出る保険に入っていたことが判明し、そのお金でまかないました。
青木さん:一方、母は葬儀のことから財産分与まで寸分の隙もなく段取りをして亡くなりました。父はもともとお金があれば使ってしまうだらしないところがありましたし、母は決めた場所にちゃんとものが置かれていないと気が済まない几帳面な人。どっちがいいのかわかりませんが、「終活」というのは生前のその人がよく現れるものだな、と思いました。
−−ご自身のこの先の人生について、イメージは?

青木さん:私は本当に行き当たりばったりなんです。つい先日も、後輩から「自分は多分100歳まで生きるから、年金は75歳まで繰り下げて、割増で受給する予定です」という話を聞き、「私にはそういう計画性がまったくないな」と思いました。

唯一あるとすれば、「死んでもできる親孝行」を実践し続けたいです。これもまた友人から教わったのですが、一番の親孝行は、子どもが自分の人生を楽しく、人と笑い合って生きること。まずは私がその通りに生きて、娘につないでいきたい。私の死後、娘が彼女の人生を楽しんで生きるまでが私の人生。「死」がゴールだとは思っていません。
−−最後に、読者に言葉のプレゼントをお願いします。

青木さん:「諦めたら試合終了」といつも思っています。お笑いの世界を目指した時もそうでしたし、母との最後の日々もそうでした。

−−諦めそうになったことは?

青木さん:うーん、「たいてい諦めそうになるので、自分に言い聞かせている」というのが正直なところです。

~EPISODE:癒しの隣に~

沈んだ気持ちを救ってくれた本・映画・音楽などがあれば教えてください。
インド映画『きっと、うまくいく』です。インドのエリート大学で青春を過ごした親友3人が繰り広げる騒動を描いた物語で、笑いあり、涙あり、踊りあり。エンターテイメントとしてもとても面白いのですが、親子関係、友情、恋愛、別れ、就職、生と死などあらゆる「人生」が詰まった作品で、元気づけられました。何度も観ましたし、よく友人にもこの作品のDVDをプレゼントします。
『きっと、うまくいく』
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販売元:株式会社ハピネット・メディアマーケティング
© Vinod Chopra Films Pvt Ltd 2009,All rights reserved

『きっと、うまくいく』

インド屈指のエリート理系大学ICEを舞台に、型破りな自由人のランチョー、機械よりも動物が大好きなファラン、なんでも神頼みの苦学生ラージューの3人が起こす珍騒動を描くヒューマンコメディ『きっと、うまくいく』。2010年国際インド映画アカデミー賞で作品賞・監督賞など16部門受賞し、日本では2013年に公開されました。U-NEXT · TSUTAYA DISCAS · Hulu · TELASA · music.jp · Amazonプライムなどで配信中です(2023年7月現在)。

プロフィール

タレント/青木さやかさん

【誕生日】1973年3月27日
【経歴】愛知県出身。大学卒業後、フリーアナウンサーとして名古屋を中心に活動後、お笑い界へ転身。近年は演技や執筆活動にも力を入れている。また、TWFの会(動物、自然、生活環境の保護活動をするNPO法人)でボランティア活動にも取り組んでいる。
【ペット】猫2匹(シティ♂ 、クティ♂)
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)