「生きていることを、わかったふりをしたくない」演出家 宮本亞門さん 【インタビュー後編】~日々摘花 第8回~

コラム
「生きていることを、わかったふりをしたくない」演出家 宮本亞門さん 【インタビュー後編】~日々摘花 第8回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

本編は、第8回のゲスト、演出家・宮本亞門さんの後編です。
前編では21歳で経験したお母様との別れと、その別れをきっかけに深めてきたお父様との関係についてお話しいただきました。後編では2019年に経験したがんの手術によるご自身の変化と、死生観をうかがいます。

がんを経験し、生かされていることの新鮮さを一層濃く感じる

ーー2019年にはがんで前立腺の摘出手術を受け、心境の変化もおありになったとか。

宮本さん:21歳で母を亡くして以来、僕は常に死というものを意識しながら生きてきたんですね。死というものが目の前にあるからこそ、今の生を絶対無駄にしたくないし、生きていることを何ひとつそこでわかったふりをしたくないという思いを常に持っていました。

だから、死というものはいつか来ると思ってはいましたが、がんになり、「こんなにもポンと前触れもなく来るんだ」と驚きました。そして、生きていること、生かされていることの新鮮さを一層濃く感じるようになりました。

おかげさまで手術は成功し、転移はありませんでしたが、2019年からの新型コロナウイルス感染症の拡大は続いていますし、震災も起きるかもしれない。今は、死がすぐそばにあることを以前にも増して意識しています。ただ、それは死を恐れて不安がるということではありません。死が身近にあるからこそ、今日一日生かされていることのありがたさを感じ、より大切に考えるようになりました。

例えば、人との関係もそうです。僕はさまざまな国に行くチャンスに恵まれて、昔は「世界中の人に会いたい」なんて言っていたけれど、人生で出会える人の数は限られていますよね。ましてや、深い話ができる人の数というのは本当に少数です。だから、例え短い時間の出会いであっても、相手とより真剣に向き合うようになりました。以前は「僕には関係ないことなのに、言ったら、失礼かな」と口を出すのを控えていたようなことも、今はみんなに役立つかなと思ったら、ポンと言っちゃう(笑)。

あと、僕自身もそうだけど、人が僕に対して心を開いて話してくれることが増えたんですよ。生死のことって身近な人にも話しにくかったりしますよね。でも、がんを経験してからは、いろいろな方が「実は、私も」と闘病経験を打ち明けてくれたり、「もう大丈夫?」と気遣ってくれたりして、以前よりもラクに深い話ができる。そういう意味では、がんになったことに感謝しています。

ーーがんに感謝、ですか。

宮本さん:がんを経験してよかったと思うことは、ほかにもまだあります。継母が乳がんの末期で、以前は彼女の「苦しい。死にたい」という言葉にどう返していいかわからなかったけれど、がんになったおかげで今は「苦しいよね」と言えるようになりました。「つらいよね、苦しいよね。でも、生きていると、いろいろあるもんね」って。すると、「わかっているけれど、言いたくなっちゃうのよ」と少し前向きな返事が返ってきたりします。

与論島の文化に感じた、理想的な最期の迎え方

ーーご自身の最期についてお考えになっていることはありますか?

宮本さん:僕自身というよりは、今は父のことを通して考えることの方が多いのですが、自宅で最期を迎えられたら理想的だと思っています。稲野 慎(いなの まこと)さんという朝日新聞の記者が奄美大島の支局長時代に書いた『揺れる奄美、その光と陰』という本を読み、よりはっきりとそう考えるようになりました。

与論島には「神棚のある自宅で死を迎えることにより、それまで祖先に見守られてきたように今度は自分が見守る存在になる」という島独特の死生観があります。その影響もあって在宅死が約8割を占め、病院で患者さんが自らの死を悟ると、医師がどんなに止めても、患者さんは退院して自宅で家族や親戚に囲まれて最後の時を過ごすんだそうです。僕が素晴らしいなと感じたのは、大切な人たちに最後の「ありがとう」を自ら言えること。その言葉を受け取った、遺される側もどれほど勇気をもらえることでしょう。

与論島には亡くなった人を土葬し、数年後に掘り返し、ていねいに洗って骨壷に入れて埋葬する「洗骨」の風習も残っています。親戚一同が集まって故人をしのび、思い出話をしながら骨を洗う……。人それぞれ感じ方はあるかもしれませんが、亡くなった、愛する人への感謝の思いが込められていて、なんて素敵なんだろうと僕は思います。

母の葬儀には兄の会社関係の方など知らない方たちもたくさん参列してくださりました。うれしかった半面、背広の人たちの列を見て「なんだか、お母さんのお葬式じゃないみたい」と感じたことを覚えています。

人の人生って舞台だと僕は思うんですね。それぞれが主役で、周りにいろいろな人がいて、そこでどうやって一生を生きていくかを描いた舞台。その幕が閉じられる時には、その人を本当に知る人たちに「素晴らしかったよ」「よくぞ生きた」と拍手で送ってほしい。その舞台が完成されているかどうかは関係ありません。途中であっても、自分のことを知ってくれている人たちに拍手で送られたなら、それは最も美しい死の瞬間だと思います。

ただ、欲を言えば、その拍手を生きているうちに聞きたいという本音もありますよね。だから、「生前葬」というのもすごくいいアイデアだと思います。

「楽しかった。ありがとう」と言って人生の幕を引きたい

ーー2019年にはお父様の生前葬を企画されていたそうですね。

宮本さん:友人が「ハッピー!生前葬」というのを提案してくれたんです。日本人は照れ屋だから、感謝を伝え合うのが苦手なところがあるじゃないですか。でも、生きているうちに友人に集まってもらって、おたがいに「ありがとう」と言い合い、楽しい時間を過ごせたらそんな幸せなことはないし、本人はもっと長生きすると思う。父の体調不良で延期になりましたが、チャンスがあれば、実現させたいです。

そう言えば、昔聞いた小噺があるんです。あるおばあちゃんが今際の際に「どうしても、したいことがあったの」と言い、家族が聞くと、「タバコが吸いたい」と。そこで願いをかなえてあげたら、しばらくしてまたムクッと起き上がって、今度は「お酒が飲みたい」と言い出し、いつまで経っても死なないという笑い話なのですが、僕はこの話が大好きで(笑)。最後までやりたいことをやって、「楽しかった。ありがとう」と言って人生の幕を引く。これ、いいじゃないですか。

ーー素敵です。最後に、読者の皆さんにお言葉をいただけますか?

宮本さん:「人生、悩むには短かすぎる」。僕が悩んでいた時に、父が紙に書いてそっと渡してくれた言葉です。90歳を超えた今も、父は時折この言葉を口にして頑張っています。人生はあっという間。だから、僕も悩み過ぎず、今を精一杯生きようと思っています。

~EPISODE:癒しの隣に~

沈んだ気持ちを救ってくれた本や音楽は?
舞台やミュージカルの演出では激しい音楽に触れることが多いのですが、リラックスしたい時には深い呼吸に近いような、リズム隊のない音楽を聴きます。普段から、寝る前にはハワイアンや沖縄民謡を「YouTube」で流しています。よく聴くのは、ケアリイ・レイシェルや古謝 美佐子(こじゃ みさこ)など。日中の興奮が取れ、穏やかな自然とつながっているような感覚になります。

ケアリイ・レイシェル

写真提供 ビクターエンタテインメント
「カワイプナヘレ」(ビクターエンタテインメント)
1994年に発表された、ケアリイ・レイシェルのデビュー・アルバム。ハワイアン・ミュージックのグラミー賞と呼ばれる“ナ・ホク・ハノハノ・アワード”で主要5部門を独占。デビュー作にして爆発的なヒットを記録した。フラの伝統を受け継いだ、優しい響き。

プロフィール

演出家・宮本亞門さん

【誕生日】1958年1月4日
【経歴】1987年、ミュージカル『アイ・ガット・マーマン』で演出家としてデビュー。2004年、東洋人初の演出家としてオン・ブロードウェイにて『太平洋序曲』を上演、同作はトニー賞4部門でのノミネートを果たす。 ミュージカルのみならず、ストレートプレイ、オペラ、歌舞伎などジャンルを越える演出家として、国内外で活躍。
【ペット】愛犬のビート(2代目)は沖縄県動物愛護管理センターから引き取った保護犬。初代ビートは監督作『BEAT』の撮影中、沖縄のロケ地に捨てられているところを拾って育てた。

Information

新型コロナウイルス感染症の拡大で先行き不透明な状況が続く中、「自分にできることがあるなら」と7年ぶりに筆を執った『上を向いて生きる』(幻冬舎)。10代での自殺未遂や引きこもり生活、父との関係、2019年の前立腺がん手術など自身の経験をオープンにしながら、つらさを超えて生きていくことの意味、生きることの喜びを生の言葉で語っている。
(取材・文/泉 彩子  写真/鈴木 慶子)