「亡き友から教わったスピリット」谷村新司さん【インタビュー後編】~日々摘花 第14回~

コラム
「亡き友から教わったスピリット」谷村新司さん【インタビュー後編】~日々摘花 第14回~
「日々摘花(ひびてきか)」は、様々な分野の第一線で活躍する方々に、大切な人との別れやその後の日々について、自らの体験に基づいたヒントをいただく特別インタビュー企画です。

本編は、第14回のゲスト、谷村新司さんの後編です。
「かつて」でも「いつか」でもなく、「今、やりたいこと」をやり続けてきたという谷村さん。後編では、ともに夢を追い続けてきた親友との永遠の別れと、彼から教わり、大切にし続けているスピリットについてうかがいました。

「いつ、どこで生命が終わっても悔やまない生き方」を詞に

ーー谷村さんは「死」というものを、どのように捉えていらっしゃいますか?

谷村さん:恐怖感のようなものを抱いたことはありません。死が訪れるのは避けられない事実であり、いつその時が来ても悔やまないよう生きようとずっと思ってきました。死を怖れていたら、人間は生きていけない。「いつ、どこで生命が終わっても悔やまない生き方」というのが自分の中の一番大きなテーマで、それを基本にしてずっと詞を書いてきたような気がします。

もちろん、大切な人を見送るのは悲しいです。でも、明日、その人と会えなくなったとしても、大事なのは、今日、その人との時間を大切に過ごせたかどうか。そう思って、相手と向き合ってきたので、両親を見送った時に、悔いはありませんでした。逆縁の悲しみを思えば、両親を見送るというのは、成長した子どもにとっては幸せなこととさえ思います。

一方、若い日に一緒にアメリカ大陸に飛び出し、「プロの音楽家になろう」という決心を僕にさせてくれた親友・細川健(『アリス』が所属していた事務所「ヤングジャパン」社長。2013年、63歳で他界)を亡くした時は、大きなショックを受けました。「まだ早いよ。もっと一緒に追いかけたいものがあったのに」という思いがありましたね。

「お前らの歌を、アメリカ人に聞かせたいんや」

ーー細川さんとの出会いは、谷村さんがアマチュアバンドとして大阪万博(1970年)のステージに立った日でしたよね?

谷村さん:あのステージで、僕は初めて外国の人たちを見たんです。それだけでも喜んでいたのに、言葉も通じない人たちが、僕たちの歌を聞いて立ち上がって拍手してくれた。大興奮で楽屋に戻ったら、細川が初対面でいきなり「すまん!」と謝ってきたんです。

彼はバンドと団体の間に立つ役割だったのですが、交通費の名目で出演者にギャランティーが出ており、聞けば、彼はそれをポケットに入れてトラックを買おうとしていたと。「なんじゃ、こいつは」とは思いましたが、本音でものを言う姿に魅力を感じたんです。

だから、「お前らの歌をアメリカ人に聞かせたいんや」という彼の言葉に二つ返事で答えたんです。そして、数ヶ月後には「北米コンサート」と銘打ってカナダのバンクーバーにいました。スケジュールは何も決まっていなくて、取りあえずバンクーバーから北米に入れば、あとは何とかなるだろうという算段でした。

ーーなんと、スケジュールは決まっていなかったんですね……。

谷村さん:彼は「やんちゃ」だったんですよ。僕はどちらかというと真面目にバンドをやっていたタイプなので、「こんな奴いるんだ」と思って、ちょっとびっくりしました。でも、彼のすごいのは、ヘコたれないんですよ。ピンチになっても。

例えば、北米コンサートツアー中、メキシコで一文無しになった時。彼はメキシコ政府に一人で掛け合いに行き、僕らを「メキシコ・フェスタ」というお祭りにゲストとして出演させる交渉をしてきました。そのギャランティーで、ホテルの支払いができたんです。

ネガティブなことが起きた時、細川は必ず、「めっちゃポジティブ」になっていました。彼が僕に教えてくれたのは、ヘコたれないこと。そのスピリットをちゃんと自分の中に持って歩いて行くよ、と旅立った彼の枕元でつぶやいた記憶があります。

「谷あり、谷あり」の日々でも、みんな笑っていた

ーー「ヘコたれない」と言えば、『アリス』の活動資金を調達するために、細川さんがジェームス・ブラウンを日本で初めて招聘したり、グアムへのミュージッククルーズを企画したりするも失敗。1億5000万円の負債を皆さんで7年かけて返済した、という話も有名です。

谷村さん:仲間と夢を追いかけているんだから、そのための借金を自分たちで返すのは当たり前だと思っていました。細川のせいで、と思ったことはありません。お金をいくら積んでもできない経験や人の熱い思い、本当の優しさといったものを彼からいっぱいもらったので、お金には代えられないです。

ーー「山あり、谷あり」の日々をともに超えてこられたんですね。

谷村さん:もう、「谷あり、谷あり」でしたけどね。でも、決して暗くなかった。「また、谷に落ちて行きそうだなあ」とか言いながら、みんな笑っていましたから。

そういうポジティブなエネルギーがすごく大事だなと、今、あらためて思います。年齢も性別も国籍も関係なく、世界中がみんなコロナ禍の影響を受けている。みんながアゲインストの風を感じている時だからこそ、この状況をどうプラスに転じていけるかと考える人を、やっぱり素敵だなって思います。

ーー今日の取材の記念に、お好きな言葉を色紙にいただけますか?

谷村さん:「今に心を込めて!」。意味は皆さんそれぞれが感じたままに受け取っていただけたら、と思います。

~EPISODE:癒しの隣に~

沈んだ気持ちを救ってくれた本や音楽は?
多感な高校生時代に読み、僕の骨格を作ってくれたのは文芸評論家・亀井勝一郎(かめいかついちろう)さんの文章です。『愛の無常について』『思想の花びら もの思う人のために』といった亀井さんの本をむさぼるように読み、文章に品格がある、というのはこういうことなんだと思いました。パスカルの『パンセ』を知ったのも、『愛の無常について』がきっかけ。僕の青春の扉を開けてくれた一冊です。

『谷村文学選2020〜グレイス』

明治から昭和を生き、時代や大衆への追従を良しとしなかった亀井勝一郎氏。谷村さんは亀井氏の姿から「品格ある生き方とは何か、を意識させられた」と語る。ソロ・コンセプト・セレクトアルバム『谷村文学選2020〜グレイス』(ユニバーサル ミュージック)に収録されている楽曲『グレイス』の根底にも、「品格(グレイス)を忘れず、この時代を生きぬいていく」という谷村さんの思いが感じられる。

プロフィール

音楽家/谷村新司さん

【誕生日】1948年12月11日
【経歴】大阪府生まれ。1971年、バンド『アリス』を結成。1972年『走っておいで恋人よ』でデビュー。『冬の稲妻』『チャンピオン』をはじめ数多くのヒット曲を輩出し、1974年にはソロ活動も開始。『昴』『いい日旅立ち』など名曲の数々を世に出す。また、長年にわたってアジア各国のアーティストとの交流を深め、音楽を志す若者の育成にも尽力している。上海音楽学院名誉教授、東京音楽大学特別招聘教授。
【そのほか】
谷村新司オフィシャルHP http://www.tanimura.com/

Information

公式動画配信サービス『タニムラテレビ』(通称「タニテレ」)では、谷村さんがさまざまなテーマについて語る「谷村新司のラジテレ」やコンサートのリハーサル風景や楽屋での様子ものぞける「密着ドキュメント」など豊富なオリジナルコンテンツのほか、過去のライブ映像も楽しめる。
(取材・文/泉 彩子  写真/刑部 友康)