「“またいつか”は、来るとは限らない」タレント・ふかわりょうさん【インタビュー前編】~日々摘花 第70回~
コラム

白いヘアバンドに白いシャツという独特のスタイルで、「小心者克服講座」など、日常の“あるある”を独特の視点で切り取ったネタで、20代で大ブレークしたふかわりょうさん。その後もテレビやラジオ、音楽など、幅広い分野で活動を続けてきました。
そんなふかわさんの人生の“橋脚”のひとつになったのが、大学時代の同級生でした。20歳の頃、お笑いの世界を目指すふかわさんの最初の“相方”になってくれた友人との、思いがけない再会と別れ。「じゃあ、またいつか」。最後に交わしたその言葉から、ふかわさんが感じたこととは――。
そんなふかわさんの人生の“橋脚”のひとつになったのが、大学時代の同級生でした。20歳の頃、お笑いの世界を目指すふかわさんの最初の“相方”になってくれた友人との、思いがけない再会と別れ。「じゃあ、またいつか」。最後に交わしたその言葉から、ふかわさんが感じたこととは――。
人は必ず、大切な人との別れを経験します。その深い悲しみと、そこから生まれる優しさを胸に、“今日という日の花を摘む”ように、毎日を大切に生きてゆく……。「日々摘花(ひびてきか)」は、そんな自らの体験を、様々な分野の第一線で活躍する方々に共有していただく特別インタビュー企画です。
20歳の僕の“橋脚”になってくれた友人
――これまで経験された“永遠の別れ”で、特に印象に残っているのはどなたですか。
ふかわさん:大学時代の友人です。同級生で、「ラテンアメリカ研究会」というサークルで知り合いました。
僕はもともとお笑いをやるつもりで大学に進学し、20歳になったら活動を始めようと思っていました。でも、いざ20歳になってみると、どうやって始めたらいいのかわからない。そんなとき、テレビ番組の素人オーディションを見つけたんです。
ふかわさん:大学時代の友人です。同級生で、「ラテンアメリカ研究会」というサークルで知り合いました。
僕はもともとお笑いをやるつもりで大学に進学し、20歳になったら活動を始めようと思っていました。でも、いざ20歳になってみると、どうやって始めたらいいのかわからない。そんなとき、テレビ番組の素人オーディションを見つけたんです。
○タレント/ふかわりょうさん プロフィール
1974年8月19日生まれ、神奈川県出身。慶應義塾大学経済学部卒業。1994年、20歳で芸能界デビュー。お笑い芸人として活動を始め、テレビ・ラジオの司会やコメンテーターなど幅広い分野で活躍。ROCKETMAN名義ではDJ・音楽活動も展開する。近年は執筆活動にも注力しており、エッセイ『世の中と足並みがそろわない』や『ひとりで生きると決めたんだ』(共に新潮社)などを発表。2025年には「R-1グランプリ」に挑戦し、改めて“笑い”と向き合う姿も注目を集めた。
1974年8月19日生まれ、神奈川県出身。慶應義塾大学経済学部卒業。1994年、20歳で芸能界デビュー。お笑い芸人として活動を始め、テレビ・ラジオの司会やコメンテーターなど幅広い分野で活躍。ROCKETMAN名義ではDJ・音楽活動も展開する。近年は執筆活動にも注力しており、エッセイ『世の中と足並みがそろわない』や『ひとりで生きると決めたんだ』(共に新潮社)などを発表。2025年には「R-1グランプリ」に挑戦し、改めて“笑い”と向き合う姿も注目を集めた。
ふかわさん:「これはぜひ応募したい」と思ったのですが、当時の僕の中では、お笑いといえばコンビというイメージが強かったので、相方を探すことにしました。
大学や地元の友人など、いろいろな人に声をかけたのですが、文化祭でやる程度ならともかく、コンビを組んでプロを目指すとなると人生の選択にもなりますから、なかなか首を縦に振ってくれる人はいなかった。そんな中、「オーディションだけならいいよ」と言ってくれたのが、彼だったんです。
――ご友人もお笑いや芸能界にご興味が?
ふかわさん:いえ、むしろそういうタイプではなかったです。人前で何かをするような人でもなかったし、声も小さかったし(笑)。でも、僕としては藁にもすがるような気持ちでしたから、「オーディションだけでもいいから」とお願いしました。
彼は鹿児島出身でひとり暮らしをしていたので、彼の家で一緒にコントのネタを考えて、ひたすら練習しました。駅前で通りすがりの人に「ちょっとネタを見てもらえませんか」と声をかけたりもしましたね。
色々やってはみたんですけど……なかなか笑ってもらえないんですよ。考えてみれば、突然知らない若者に声をかけられて、ネタを見せられても困りますよね。でも当時の僕たちは、ネタが悪いわけではなくて、「場所が悪いんじゃないか」と考えたんです(笑)。
――ウケない理由は場所にある、と(笑)。
ふかわさん:「遊園地なら、みんな楽しい気分で来ているから笑ってくれるんじゃないか」と考えて、横浜・八景島シーパラダイスまで行って、家族連れやカップルの方たちにネタを見てもらいました。そうしたら、本当に笑ってくれたんですよ。
大学や地元の友人など、いろいろな人に声をかけたのですが、文化祭でやる程度ならともかく、コンビを組んでプロを目指すとなると人生の選択にもなりますから、なかなか首を縦に振ってくれる人はいなかった。そんな中、「オーディションだけならいいよ」と言ってくれたのが、彼だったんです。
――ご友人もお笑いや芸能界にご興味が?
ふかわさん:いえ、むしろそういうタイプではなかったです。人前で何かをするような人でもなかったし、声も小さかったし(笑)。でも、僕としては藁にもすがるような気持ちでしたから、「オーディションだけでもいいから」とお願いしました。
彼は鹿児島出身でひとり暮らしをしていたので、彼の家で一緒にコントのネタを考えて、ひたすら練習しました。駅前で通りすがりの人に「ちょっとネタを見てもらえませんか」と声をかけたりもしましたね。
色々やってはみたんですけど……なかなか笑ってもらえないんですよ。考えてみれば、突然知らない若者に声をかけられて、ネタを見せられても困りますよね。でも当時の僕たちは、ネタが悪いわけではなくて、「場所が悪いんじゃないか」と考えたんです(笑)。
――ウケない理由は場所にある、と(笑)。
ふかわさん:「遊園地なら、みんな楽しい気分で来ているから笑ってくれるんじゃないか」と考えて、横浜・八景島シーパラダイスまで行って、家族連れやカップルの方たちにネタを見てもらいました。そうしたら、本当に笑ってくれたんですよ。
ふかわさん:遊園地のひとつのアトラクションみたいな感覚で受け入れてくれたのかもしれないですけど(笑)。ネタを見せて初めて人に笑ってもらった経験だったので、抱き合って喜びました。
彼は、お笑いの道に進みたいわけではないのに、そこまで僕に付き合ってくれたんです。彼の家に泊まり込んで、ネタを書いて、練習して、お腹が空いたら近所のとんかつ屋さんにご飯を食べに行って……。当時、僕は失恋中だったのかな? 夜、部屋の小さなオレンジ色の明かりの下で、相談にのってもらった記憶もあります。
朝になると、彼がおもむろにCDコンポのリモコンを手に取って、音楽をかけるんです。流れてきたのは、ブラジルのギタリスト、バーデン・パウエルの音楽でした。
僕は当時実家だったので、ひとり暮らしにも憧れがあったんでしょうね。そういう朝の光景も含めて、今でも鮮明に覚えています。
おかげで、オーディション番組は決勝戦まで進出。僕はそのまま芸能の世界に入り、彼は地元で就職するために鹿児島へ戻りました。
――ふかわさんがお笑いの世界へ進む、最初の一歩を支えてくれた方なのですね。
ふかわさん:そうですね。もし彼がいなかったら、お笑いを目指すにしても、もう少し違うルートになっていたでしょうし、あれほどスムーズにはいかなかったかもしれない。
そういう意味では、僕の人生という橋を支えてくれている、大きな橋脚のひとつだと思います。20歳の僕に、橋脚を作ってくれた人です。
彼は、お笑いの道に進みたいわけではないのに、そこまで僕に付き合ってくれたんです。彼の家に泊まり込んで、ネタを書いて、練習して、お腹が空いたら近所のとんかつ屋さんにご飯を食べに行って……。当時、僕は失恋中だったのかな? 夜、部屋の小さなオレンジ色の明かりの下で、相談にのってもらった記憶もあります。
朝になると、彼がおもむろにCDコンポのリモコンを手に取って、音楽をかけるんです。流れてきたのは、ブラジルのギタリスト、バーデン・パウエルの音楽でした。
僕は当時実家だったので、ひとり暮らしにも憧れがあったんでしょうね。そういう朝の光景も含めて、今でも鮮明に覚えています。
おかげで、オーディション番組は決勝戦まで進出。僕はそのまま芸能の世界に入り、彼は地元で就職するために鹿児島へ戻りました。
――ふかわさんがお笑いの世界へ進む、最初の一歩を支えてくれた方なのですね。
ふかわさん:そうですね。もし彼がいなかったら、お笑いを目指すにしても、もう少し違うルートになっていたでしょうし、あれほどスムーズにはいかなかったかもしれない。
そういう意味では、僕の人生という橋を支えてくれている、大きな橋脚のひとつだと思います。20歳の僕に、橋脚を作ってくれた人です。
再会した”元相方”との、わずか半年後の別れ
――その後も、交流は続いたのでしょうか。
ふかわさん:僕が20代の頃、DJのイベントで鹿児島に行ったときに会ってはいたんですけど、30代に入って互いに公私ともに忙しくなってからはなかなか会う機会はありませんでした。
再会したのは、今から2年ほど前の初夏だったと思います。僕が第45回霧島国際音楽祭(2024年7月20日開催)に出演させていただくことになり、それにあたって地元の新聞社の方から取材を受けることになったんです。記者の方が東京の事務所まで来てくださるということで、待っていたら、そこに現れたのが彼でした。「おお!」って(笑)。
ふかわさん:僕が20代の頃、DJのイベントで鹿児島に行ったときに会ってはいたんですけど、30代に入って互いに公私ともに忙しくなってからはなかなか会う機会はありませんでした。
再会したのは、今から2年ほど前の初夏だったと思います。僕が第45回霧島国際音楽祭(2024年7月20日開催)に出演させていただくことになり、それにあたって地元の新聞社の方から取材を受けることになったんです。記者の方が東京の事務所まで来てくださるということで、待っていたら、そこに現れたのが彼でした。「おお!」って(笑)。
ふかわさん:新聞社に勤めていることはなんとなく耳にしていましたけど、まさか彼が取材に来るとは思っていませんでしたから、驚きました。
――思いがけない再会だったのですね。
ふかわさん:ええ。普通に取材を受けて、音楽祭の話をして。それが終わって、ほかの人たちが部屋を出たあとに、彼から「ちょっと話がある」と言われて、重い病気を抱えていることを聞きました。
言われてみれば少し痩せているようにも見えましたけど、年齢によるものと言われればそう見えなくもない。見た目には、そこまで大きく変わっているようには感じませんでした。
そういうことを突然伝えられたときって、何と言ったらいいのかわからなくて。何か言葉をかけたいけれど、言葉が出てこなかったです。
その後は、「(音楽祭の)リハーサルのあと、タイミングが合えば飲みに行こう」というやり取りをしていたのですが、リハーサル後に主催者の方々と会食が入ってしまい、彼とは会えませんでした。
確か、それから半年くらい経った頃だと思います。彼の息子さんから連絡が来たんです。「父が亡くなりました」と。
――飲みに行く約束を果たせないまま、お別れをされたのですね。
ふかわさん:はい。重い病気を抱えているとはいえ、どこかで「医療がなんとかしてくれるんじゃないか」と楽観視していたところがあったと思います。実際、彼と同じ50代前半でも元気に過ごしている人は周りにたくさんいますし、こんなに早くそのときが来るとは思っていなかった。でも、若いからこそ病気の進行が早かったのかな……。
「じゃぁ、またいつか」。それが、彼と交わした最後の言葉になりました。
――思いがけない再会だったのですね。
ふかわさん:ええ。普通に取材を受けて、音楽祭の話をして。それが終わって、ほかの人たちが部屋を出たあとに、彼から「ちょっと話がある」と言われて、重い病気を抱えていることを聞きました。
言われてみれば少し痩せているようにも見えましたけど、年齢によるものと言われればそう見えなくもない。見た目には、そこまで大きく変わっているようには感じませんでした。
そういうことを突然伝えられたときって、何と言ったらいいのかわからなくて。何か言葉をかけたいけれど、言葉が出てこなかったです。
その後は、「(音楽祭の)リハーサルのあと、タイミングが合えば飲みに行こう」というやり取りをしていたのですが、リハーサル後に主催者の方々と会食が入ってしまい、彼とは会えませんでした。
確か、それから半年くらい経った頃だと思います。彼の息子さんから連絡が来たんです。「父が亡くなりました」と。
――飲みに行く約束を果たせないまま、お別れをされたのですね。
ふかわさん:はい。重い病気を抱えているとはいえ、どこかで「医療がなんとかしてくれるんじゃないか」と楽観視していたところがあったと思います。実際、彼と同じ50代前半でも元気に過ごしている人は周りにたくさんいますし、こんなに早くそのときが来るとは思っていなかった。でも、若いからこそ病気の進行が早かったのかな……。
「じゃぁ、またいつか」。それが、彼と交わした最後の言葉になりました。
遠くにあった「死」が、少し近づいた
ふかわさん:今思えば、あのとき、どんなに夜遅くなったとしても会っておけばよかった。
「またいつか」って、日常の中ではすごく簡単に使う言葉じゃないですか。「今度飲みに行こう」とか、「またいつか会おう」とか。社交辞令のように使うこともある。僕自身も今でも使いますし、その言葉自体が悪いわけではないんですけど、彼とのことがあってから、「いつか」という言葉がすごく深く刺さるようになりました。
“いつか”って、ある意味、ちょっと怖い言葉だなって。
――確かに“いつか”は日常的に使われる言葉ですけど、その日がやってこない可能性もありますよね。
ふかわさん:そうなんですよ。特にこの年齢になると、「いつか、いつか」と言って先延ばしにしたまま、結局そのまま達成できないことって、たくさんある気がして。
「またいつか」って、日常の中ではすごく簡単に使う言葉じゃないですか。「今度飲みに行こう」とか、「またいつか会おう」とか。社交辞令のように使うこともある。僕自身も今でも使いますし、その言葉自体が悪いわけではないんですけど、彼とのことがあってから、「いつか」という言葉がすごく深く刺さるようになりました。
“いつか”って、ある意味、ちょっと怖い言葉だなって。
――確かに“いつか”は日常的に使われる言葉ですけど、その日がやってこない可能性もありますよね。
ふかわさん:そうなんですよ。特にこの年齢になると、「いつか、いつか」と言って先延ばしにしたまま、結局そのまま達成できないことって、たくさんある気がして。
ふかわさん:“いつか”は来るとは限らないですし、むしろ、“いつか”が来ないままになってしまうことのほうが多いのかもしれない。年賀状に「今年こそ会いましょう」と書いたり、「今度飲みに行こう」と言ったりしても、結局何年も会わないままということがありますよね。彼との「またいつか」も、そうなってしまった。
だから今は、あまり先延ばしにしてはいけないなと思うようになりました。もちろん、年齢的なものもあると思いますけれど。
――「死」というものとの距離も変わりましたか。
ふかわさん:彼との別れでその距離が少し近くに感じるようになったかもしれません。
コロナ禍のとき、志村けんさんが亡くなられたことで、それまでどこか遠くにあったコロナの怖さが、一気に近づいたように感じた人は多かったと思うんです。それと同じように、自分と同じ年齢の、しかも大学時代から知っている人が亡くなると、「死」というものが、それまでより近く感じられるようになったというか。だからこそ、これからの時間を大事にしたいと思います。
――いわゆる「終活」について、意識されていること、ご準備されていることはありますか。
ふかわさん:終活ではないんですけど、「いつか」と言って後回しにして、そのままになってしまいそうなものを、もう少し片付けていきたいという気持ちはあります。特に50代になると、仕事とのバランスもありますよね。
僕はある程度自由がきく職種かもしれませんけど、「仕事が一段落したら」とか、「落ち着いたら」と言っていると、それも“いつか”と同じで、待っていてもそのタイミングはなかなか来ないと思うんです。
だったら、自分から作らないといけない。ただ待っていても、やって来ませんから。
友人との別れを経験して、そういうことを以前より強く感じるようになりました。
だから今は、あまり先延ばしにしてはいけないなと思うようになりました。もちろん、年齢的なものもあると思いますけれど。
――「死」というものとの距離も変わりましたか。
ふかわさん:彼との別れでその距離が少し近くに感じるようになったかもしれません。
コロナ禍のとき、志村けんさんが亡くなられたことで、それまでどこか遠くにあったコロナの怖さが、一気に近づいたように感じた人は多かったと思うんです。それと同じように、自分と同じ年齢の、しかも大学時代から知っている人が亡くなると、「死」というものが、それまでより近く感じられるようになったというか。だからこそ、これからの時間を大事にしたいと思います。
――いわゆる「終活」について、意識されていること、ご準備されていることはありますか。
ふかわさん:終活ではないんですけど、「いつか」と言って後回しにして、そのままになってしまいそうなものを、もう少し片付けていきたいという気持ちはあります。特に50代になると、仕事とのバランスもありますよね。
僕はある程度自由がきく職種かもしれませんけど、「仕事が一段落したら」とか、「落ち着いたら」と言っていると、それも“いつか”と同じで、待っていてもそのタイミングはなかなか来ないと思うんです。
だったら、自分から作らないといけない。ただ待っていても、やって来ませんから。
友人との別れを経験して、そういうことを以前より強く感じるようになりました。
~EPISODE:さいごの晩餐~
「最後の食事」には何を食べたいですか?
今この瞬間に最期を迎えることを想像すると……明太子ご飯でしょうか。明太子は毎日でも食べたいくらい好きな食べ物なんです。ただ、食べすぎて痛風にならないか心配なので(笑)、食べ過ぎないように気をつけています。
僕は、食べることが好きですし、嫌いな食べ物は一切なく、常に「今、何が食べたいか」ということを真剣に考えています。最期だからといって特別なものではなく、いつものご飯に明太子――そういう日常の景色の中にあるものがいいですね。
僕は、食べることが好きですし、嫌いな食べ物は一切なく、常に「今、何が食べたいか」ということを真剣に考えています。最期だからといって特別なものではなく、いつものご飯に明太子――そういう日常の景色の中にあるものがいいですね。
かねふく[無着色]樽入り辛子明太子
1971年創業の明太子の老舗「かねふく」。原料となるスケトウダラの卵は、弾力や艶、粒の大きさなどを確認しながら、一本一本丁寧に選別。粒立ちのよいプチプチとした食感が特徴で、定番の一本物をはじめ、切子やスティックタイプなど多彩な商品を展開。福岡・博多を代表する辛子明太子メーカーのひとつとして、家庭用から贈答用まで幅広く親しまれている。
Information
ふかわさんの最新エッセイ集『中年よ、すねを剃れ』(中央公論新社)が10月21日に発売。デビューから30年、痛みを笑いに変えてきたふかわさんが中年期の自意識と奮闘するエッセイ集。中年の、中年による、年のための一冊。
(取材・文/鈴木 啓子 写真/刑部 友康)
インタビュー後編の公開は、10月30日(金)です。お楽しみに。




